EBPM(Evidence-based Policy Making)2024年01月20日

政治ネタはあまり書きたくないと思ってきた。建前と本音が激しく乖離し生臭すぎるからだ。EBPM(Evidence-based Policy Making)が注目されているが、根拠のある政策立案をする政治家自身がそれを阻んでいるという矛盾がある。常にデータを収集して最適解に近づく連続的な政策決定・修正のためには日本の政治制度や風習は絶望的だ。企業ならば金を儲けるという動機がはっきりしているのでここに向かって何度もデータを収集して戦略を実行・修正していく。この仕組みが今の政治にはない。データは半年か1年程度でしか収集していないので実行速度は遅く、一度決めると修正できない風習が大東亜戦争から営々と続く。実行速度や修正速度がどんなに遅くても、政治屋が当選するという利得には直接には結び付かないからだ。

政治屋が当選するには、根拠のないことでも大衆を煽って火が付けばそれでよい。根拠なくても自分がいなければ施策は実現しないとあれこれの理由で支持者らを囲い込めば勝てる。つまり、政治屋の当選と政策立案の動機の結びつきは絶望的に弱い。法で定められた政治資金の不記載が摘発されれば議員資格を失効すると法改正すればすむことを、法律にもない派閥組織を解消すれば解決するかのように吹聴してる。これは、近い国政選挙で裏金派閥の議員だとレッテルを貼られて票を減らしたくないだけだ。政治屋は己が当選するためなら見え透いた噓を平気でつく。これは与党に限らず、全ての政治屋に通じる。国民に利益があるかどうかは関係がなく、選挙区で勝てばそれで政治屋の目的は終わるように制度ができている。既得権を得ている者が自らを律するルールを作るわけがない。そんな自明のことに首を突っ込んでも自己嫌悪に陥るだけだ。
Google
www Blog