TOKYOタクシー ― 2025年12月01日
『パリタクシー』(2023)のリメイク『TOKYOタクシー』(2025)は、同じ“老婦人とタクシー運転手の旅”でありながら、作品の思想も重力もまったく異った。観客は山田監督でキムタク主演とあり久々の満席の盛況ぶりだった。原作が冒頭から運転手を“都市システムの末端”として描き、制度の冷たさと個人の孤独に光を当てたのに対し、日本版の冒頭は木村拓哉と明石家さんまの“前口上”で、映画の気圧がいきなり下がる。視聴者は最初の3分で、作品が向いている方向を悟ってしまう。
フランス版の老婦人は、DVや息子の死という個的悲劇の裏に、ベトナム戦争、女性解放運動、社会が見捨ててきた弱者の歴史が折り重なる。個人の人生が時代の裂け目に飲み込まれていく、欧州映画特有のリベラルな視線が骨格にある。しかし日本版は、この“政治性”を見事に去勢した。DVは薄まり、女性が背負った制度的暴力は空気のように蒸発し、息子の死は“良い話の燃料”として再加工される。原作が描いた「歴史に翻弄される個人」は、日本版では「優しいおばあちゃん」へと丸められ、社会の影は徹底的に脱臭される。
フランス版では、老婦人がかつて恋人だったアメリカ兵が帰国後に別の女性と結婚していたことを知る設定になっている。これに対し日本版では、その背景をわざわざ「北朝鮮帰還事業」に置き換えている。息子の容姿をハーフとして描くことを避けたかったのかどうかは不明であり、結局はバイク遊びであっけなく落命する展開に終わるため、演出意図は見えにくい。結果として、フランスにとっては救世主であるアメリカ軍を恋の相手に据えたのに対し、日本版では「同胞と東京を奪ったアメリカ兵を恋人にはしたくない」という回避の姿勢と、混迷を極める北朝鮮問題にまつわる妙な政治的配慮を意識させてしまう。全体として政治色を薄めただけに、ここだけがかえって強い違和感を残した。
さらに、匿名のまま別れた原作に対し、日本版は序盤からフルネームを提示し、普遍性を捨てて“個別の美談”に舵を切る。原作は普遍性。日本版は個別の救済劇。この一点だけでも、両者の思想は別ジャンルと言っていい。リアリズムも弱い。フランス版は遺産2,000万や運転手の生活苦といった生活の肌触りを正確に描いた。日本版も東京での運転手の生活苦を描きはするものの、1億円の遺産や「私学初年度100万円」なるフィクションを軽々出す。東京都では授業料・入学金は補助でほぼゼロ、実負担は50万円前後という現実とズレすぎていて、数字が出た瞬間、物語がファンタジー化する。人情を盛る前に“制度の下調べ”をしてほしい。
そしてキャスティング。木村拓哉、倍賞千恵子に加え、“電話の声”として明石家さんまと大竹しのぶ。ここまで揃うと、観客はどうしても映画の人物より、芸能界の人間関係図を思い浮かべてしまう。山田組の常連配置に加え、“元夫婦”という舞台裏を連想させる演出は、物語よりも制作側の事情が透けて見える。フランス版が国民的スターを使いながらも世界観を壊さなかったのとは対照的だ。
総じて『TOKYOタクシー』は、原作が投げかけた「制度と歴史の重圧」という骨太なテーマを潔く手放し、東京的人情にすべてを寄せた作品だ。リベラルな背景は去勢され、匿名性の普遍性は削ぎ落とされ、制度批判も現実感も捨て置かれた。結果として残ったのは、“リメイク”ではなく“原作の影を借りた別ジャンルの良い話”である。
もちろん、東京とパリでは文化も作法も違う。だが、それを差し引いても、原作に対しては少々申し訳が立たない。温かい話ではある。だが、深みに手が届くほどの熱さは、スクリーンに宿っていなかった。
フランス版の老婦人は、DVや息子の死という個的悲劇の裏に、ベトナム戦争、女性解放運動、社会が見捨ててきた弱者の歴史が折り重なる。個人の人生が時代の裂け目に飲み込まれていく、欧州映画特有のリベラルな視線が骨格にある。しかし日本版は、この“政治性”を見事に去勢した。DVは薄まり、女性が背負った制度的暴力は空気のように蒸発し、息子の死は“良い話の燃料”として再加工される。原作が描いた「歴史に翻弄される個人」は、日本版では「優しいおばあちゃん」へと丸められ、社会の影は徹底的に脱臭される。
フランス版では、老婦人がかつて恋人だったアメリカ兵が帰国後に別の女性と結婚していたことを知る設定になっている。これに対し日本版では、その背景をわざわざ「北朝鮮帰還事業」に置き換えている。息子の容姿をハーフとして描くことを避けたかったのかどうかは不明であり、結局はバイク遊びであっけなく落命する展開に終わるため、演出意図は見えにくい。結果として、フランスにとっては救世主であるアメリカ軍を恋の相手に据えたのに対し、日本版では「同胞と東京を奪ったアメリカ兵を恋人にはしたくない」という回避の姿勢と、混迷を極める北朝鮮問題にまつわる妙な政治的配慮を意識させてしまう。全体として政治色を薄めただけに、ここだけがかえって強い違和感を残した。
さらに、匿名のまま別れた原作に対し、日本版は序盤からフルネームを提示し、普遍性を捨てて“個別の美談”に舵を切る。原作は普遍性。日本版は個別の救済劇。この一点だけでも、両者の思想は別ジャンルと言っていい。リアリズムも弱い。フランス版は遺産2,000万や運転手の生活苦といった生活の肌触りを正確に描いた。日本版も東京での運転手の生活苦を描きはするものの、1億円の遺産や「私学初年度100万円」なるフィクションを軽々出す。東京都では授業料・入学金は補助でほぼゼロ、実負担は50万円前後という現実とズレすぎていて、数字が出た瞬間、物語がファンタジー化する。人情を盛る前に“制度の下調べ”をしてほしい。
そしてキャスティング。木村拓哉、倍賞千恵子に加え、“電話の声”として明石家さんまと大竹しのぶ。ここまで揃うと、観客はどうしても映画の人物より、芸能界の人間関係図を思い浮かべてしまう。山田組の常連配置に加え、“元夫婦”という舞台裏を連想させる演出は、物語よりも制作側の事情が透けて見える。フランス版が国民的スターを使いながらも世界観を壊さなかったのとは対照的だ。
総じて『TOKYOタクシー』は、原作が投げかけた「制度と歴史の重圧」という骨太なテーマを潔く手放し、東京的人情にすべてを寄せた作品だ。リベラルな背景は去勢され、匿名性の普遍性は削ぎ落とされ、制度批判も現実感も捨て置かれた。結果として残ったのは、“リメイク”ではなく“原作の影を借りた別ジャンルの良い話”である。
もちろん、東京とパリでは文化も作法も違う。だが、それを差し引いても、原作に対しては少々申し訳が立たない。温かい話ではある。だが、深みに手が届くほどの熱さは、スクリーンに宿っていなかった。