女流棋士の出産規定2025年12月11日

女流棋士の出産規定
「妊娠したら、タイトルか出産かの二択を迫られる。第2子は不可能だと絶望した」。12月10日、大阪。照明に照らされた会見場で、福間香奈女流六冠(32)は、声を震わせながらもはっきりと言い切った。名実ともに現役女流棋界の絶対的エース。その彼女が、妊娠という自然な出来事をきっかけに“キャリアの死角”へ追い込まれるという事実は、将棋界にとって痛烈な一撃となった。前日、彼女が日本将棋連盟に提出した要望書は、遠慮も婉曲も一切ない。妊娠・出産を理由とした出場制限の撤回、タイトルや挑戦権の保護、復帰ルートの明確化──いずれも、世界のプロスポーツでは当たり前の仕組みばかりだ。連盟は慌てて「不安を抱かせ申し訳ない」とコメントを出したが、火消しのスピードは異例。裏側で泡を食った様子が目に浮かぶ。

“火薬庫”となったのは、2025年4月に施行された新規定だ。「出産予定日±14週にタイトル戦が重なれば、出場不可」。表向きは「母体の安全」「棋戦の公平性」。しかし実態は、妊娠した瞬間に王座から転落する構造そのもの。対局は体力勝負ではないと言われながら、制度は身体状況を理由に真っ先に締め出す。矛盾を抱えたまま導入された“乱暴なルール”だ。そもそも十四週の根拠も曖昧だ。医療ガイドラインを踏まえた形跡は乏しく、タイトル戦の年間スケジュールと衝突しないよう“事務的に”設定された気配が濃厚だ。だが棋士は人間だ。妊娠は予定調和の出来事ではない。

さらに言えば、将棋界にはスポーツ界で一般化している制度がほとんど存在しない。テニスでは産休時のランキング凍結(プロテクトランキング)。サッカーや卓球では地位保全と復帰支援。欧米なら契約書に出産時の待遇条項が当然のように盛り込まれる。対して将棋界はどうか。「休めばその瞬間に順位失効」という、アマチュア競技すら驚く“空白地帯”のままだった。

福間が突きつけた改善案は、その空白を一気に埋める内容だ。
1. 新規定の即時停止
2. 出場判断を本人の意思と医師の判断に委ねる仕組み
3. 椅子対局・会場温度・服装など環境整備
4. 暫定王者制度、挑戦権保護などの地位保全策
さらに「1か月以内に回答を」と期限まで切った。これは単なる要望ではなく、“制度改革への時限爆弾”だ。会見で福間は静かに語った。「これから将棋を志す女の子たちが、安心して頂点を目指せる環境にしてほしい」ここにあるのは、ひとりの棋士の叫びではない。将棋界全体が長年放置してきた“構造的な見落とし”への告発である。

不可解なのは、現在の連盟役員構成だ。女性初の会長・清水市代女流七段、理事の斎田晴子女流五段──女性の声が執行部に届く土壌はかつてより整っていたはずだ。それでもこの制度が導入されたのはなぜか。内部を見ると、タイトル戦の主催者やスポンサー、スケジュール調整の論理が優先され、女性棋士が制度設計に本質的に関与できる仕組みが整っていなかった可能性が浮かぶ。表面的には女性役員がいても、実質的な権限が伴わなければ「女性がいるのに何も変わらない」という矛盾だけが残る。

つまり今回の問題は、単なるルール不備ではない。“意思決定の場で、女性当事者が制度を左右できない”という根深い構造の露呈でもある。福間の告発は、長年の暗黙の了解「女流棋士は子どもを産むならキャリアを諦めろ」という不文律を、初めて公式の場で引きずり出した。

連盟は、もう逃げ場がない。1か月後の回答が曖昧なら、世界に向けて「将棋界は女性を守る気がない」と宣言するのと同じだ。少女たちが将棋盤に向かい、「いつか自分もタイトルを」と夢を見る未来を守れるのか。試されているのは制度ではない。この競技を支えてきた“大人たち”の成熟度そのものである。