シニアの心得2025年05月31日

シニアの心得
久しぶりに、かつての同僚たちとの同窓会に顔を出した。最高齢は七十五歳、下は六十三歳まで。悠々自適に好きなことに没頭している者もいれば、七十を前にしてなお再雇用で働き続けている者もいる。人生の歩みは、それぞれに異なる。私はというと、何かに縛られるのがどうにも性に合わず、退職して以来、仕事からは遠ざかっている。だが一方で、再雇用に精を出す仲間は少なくない。理由を尋ねると、「暇で仕方がない」「自由になっても、何をしていいか分からない」といった答えが返ってきた。自由とは、手に入れた瞬間にその重さに戸惑うものなのかもしれない。

定年後の話題は、誰かが患った大病の話から、孫が増えたという微笑ましい報告まで、実にさまざまだ。だが、「これから何を課題とし、どう生きてゆくか」といった問いを口にする者はほとんどいない。ただ、今を生きるということは、単に働くということではなく、その先の生き方を思い描くことではないか。そうした話を誰かと交わしたいと願うのだが、それを口にするのはどこか気恥ずかしいのか、皆あえて避けているようにも思える。再雇用で働くのは、それはそれで立派なことだ。けれども、どこかで“主流”から外れ、“傍流”に身を置くような感覚が付きまとう。そんな立ち位置に、私はふとした寂しさを覚えるのだ。余暇を楽しみ、日々に充実感を求めるのも悪くはない。だが、それだけでは何かが足りない。歳を重ねた者が人生を語ることに遠慮を感じさせるこの空気の中に、私はなかなか居場所を見いだせずにいる。

皆、かつて教育の現場で、それぞれの信念を持って働いていた仲間たちだ。にもかかわらず、職を離れると、とたんに語る言葉を失ってしまうのは、どうしてなのだろう。語るべきものが、もう何も残っていないのだろうか。他愛もない近況を、途切れることなく語り合う輪の中で、私だけがどこか所在なげにその場に佇んでいるような気がした。そして、その静かな寂しさが、胸の奥にじんわりと広がっていった。
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