「辞めるな」報じ「辞めろ」は黙殺 ― 2025年09月02日
官邸前に4000人が押し寄せ、「石破辞めろ‼」の大合唱が響いた猛暑の午後。参加者は「辞めるなデモ」の3倍以上。ところがどうだ、全国紙はほぼ沈黙。報じたのは産経だけ。他紙は知らぬ顔、テレビもTBSが申し訳程度に触れただけで、NHKも民放各局も“夏休みモード”。これが「報道の自由」の現実だ。「辞めるなデモ」は各紙が大見出しで持ち上げ、テレビは生中継までやってみせた。つまり「どの声を拾い、どの声を無視するか」。ここにメディアの体質が露骨に現れる。公平公正の看板が泣くというものだ。
新聞は軽減税率という“特権”を享受している。その理由は「民主主義の基盤を守るため」。だが、権力の顔色を伺い、都合の悪い市民運動を黙殺するような姿勢で、その資格があるのか。公共性を盾に甘い汁を吸っているだけではないか。見直し論が噴き出すのも当然だ。NHKも同罪だ。受信料を半ば税金のように強制徴収しながら、報道に角度をつける。スクランブル化も拒み、「見なくても払え」の一点張り。公共放送を名乗りながら、実態は国家に庇護された“強制放送機関”と揶揄されても仕方あるまい。
「辞めるな」は報じ、「辞めろ」は握り潰す。そんな報道姿勢は編集方針の範疇を超え、もはや制度不全の証拠である。ならば国民も“報道しない自由”に倣い、税や法律で“支援しない自由”を行使していいのではないか。報道の自由を守るために必要なのは、報道の公平性と公共性を制度的に担保することだ。新聞の軽減税率も、NHK受信料制度も、その資格を失いつつある。
さて次は、「軽減税率辞めろ‼デモ」か「受信料制度見直せ‼集会」か。会場はもちろん新聞社本社とNHK放送センター前。各社報じられるかどうか? ──まあ、期待しない方が精神衛生にはいいのだが。
新聞は軽減税率という“特権”を享受している。その理由は「民主主義の基盤を守るため」。だが、権力の顔色を伺い、都合の悪い市民運動を黙殺するような姿勢で、その資格があるのか。公共性を盾に甘い汁を吸っているだけではないか。見直し論が噴き出すのも当然だ。NHKも同罪だ。受信料を半ば税金のように強制徴収しながら、報道に角度をつける。スクランブル化も拒み、「見なくても払え」の一点張り。公共放送を名乗りながら、実態は国家に庇護された“強制放送機関”と揶揄されても仕方あるまい。
「辞めるな」は報じ、「辞めろ」は握り潰す。そんな報道姿勢は編集方針の範疇を超え、もはや制度不全の証拠である。ならば国民も“報道しない自由”に倣い、税や法律で“支援しない自由”を行使していいのではないか。報道の自由を守るために必要なのは、報道の公平性と公共性を制度的に担保することだ。新聞の軽減税率も、NHK受信料制度も、その資格を失いつつある。
さて次は、「軽減税率辞めろ‼デモ」か「受信料制度見直せ‼集会」か。会場はもちろん新聞社本社とNHK放送センター前。各社報じられるかどうか? ──まあ、期待しない方が精神衛生にはいいのだが。