纒向遺跡と紀元節2026年02月12日

纒向遺跡と紀元節
紀元節とは、明治政府が1873年に制定した「日本の建国を祝う日」である。根拠となったのは『日本書紀』に記された「神武天皇が辛酉年春正月朔に即位した」という記事であり、それを太陽暦に換算した日が2月11日と定められた。すなわち紀元節は、古代の神話的年代を近代国家の時間軸へ移し替え、国家の起点として固定した祝日だ。

記紀によれば、神武天皇は天照大神の子孫であり、父は鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと) 、祖父は山幸彦、曾祖父は天孫邇邇芸命(てんそん・ににぎのみこと)とされる。しかしこの系譜は、史実の記録というより皇統の正統性を示すために編まれた神話的構造と理解されている。考古学的にも、即位年とされる紀元前660年に国家規模の政権が存在した確証はない。

だが、神武天皇を単なる作り話と断じるのもまた短絡である。崇神天皇(西暦250〜350年頃)以前の天皇については同時代史料がなく、記紀の年代設定も数百年さかのぼらせて構成され、寿命も百歳を超えるなど現実的とは言い難い。それでも、神武東征の道筋――九州から瀬戸内海を経て大和へ至る経路――は、3〜4世紀における政治勢力の移動と符合する。神話は虚構である前に、記憶の形式でもある。そこには初期王権成立の痕跡が折り重なっている可能性が高い。

この見方を具体的に裏づけるのが、先日公表された奈良県桜井市・纒向(まきむく)遺跡の最新調査成果である。大型建物跡や祭祀遺構に加え、吉備・九州・東海など広範な地域から搬入された土器群が確認された。纒向は孤立した集落ではなく、政治・祭祀・物流が結節する広域ネットワークの中心地であったとみられる。

さらに近接する箸墓(はしはか)古墳の周辺からは、古墳築造期と同時代に埋葬された従者層の墓も見つかり、箸墓が初期王権の象徴的王墓である可能性は一層高まった。纒向の都市的構造、箸墓の巨大規模、そして列島規模の交流網――これらは4世紀前半に大和政権が成立したことを強く示唆する。記紀が「崇神天皇の時代」として描く状況と重なる点も見逃せない。

このように考えるならば、神武天皇とは、特定の一個人というより、初期大王たちの記憶を統合し、王権の起源を象徴化した存在と理解するのが妥当であろう。とりわけ崇神天皇は「初めて国を治めた」と記紀が強調する人物で、年代的にも4世紀前半に位置づけられることから、神武像の有力な歴史的基層をなすと考えられる。

紀元節は、神話の単純な追認でも、史実の確定でもない。それは、神話と歴史が交差する一点を、近代国家が「起源」として選び取った政治的かつ文化的行為であった。建国とは、出来事そのもの以上に、それをどう物語るかによって形づくられる。神武天皇は実在の人物像というより、国家形成の長い過程を凝縮した記憶の結晶である。

紀元節をめぐる議論は、神話の真偽を争う問題にとどまらない。私たちが国家の始まりをどこに置き、どの物語を共有するのかという、より根源的な問いそのものなのである。今回の纒向発掘成果は、神話と歴史を対立させるのではなく、両者が響き合いながら立ち上がる日本の建国像を、いっそう具体的に照らし出している。建国記念の日を目の敵にする向きもあるが、実際にはその背後に、ロマンに満ちた考古学の世界が広がっている。国家の起源を辿る過程で、神話と遺跡が互いに補い合い、古代の姿が少しずつ立ち上がってくる。このような重層的な歴史体験ができる国は、世界でもそう多くない。日本は、国家のルーツを探ること自体が知的な冒険となる、きわめて興味深い国なのだ。