現役VS高齢者?保険料負担2026年07月15日

現役負担1ミリも動かず
与党が「高齢者の窓口負担を見直す」と骨太方針に書き込んだというニュースが流れた。政治家は「現役世代の負担を軽くするためだ」と胸を張る。こちらは朝の食卓で焼き海苔をちぎりながら、「また話を単純化してくれたものだ」とため息をつく。高齢者の1割負担を3割にすれば若者が助かる──そんな年齢対立の物語は耳目を集めやすく、説明も簡単で、政治には実に都合がいい。しかし制度の中身を見れば、話はまったく違う。

後期高齢者の医療費は本人が1割を払い、残り2割は公費で賄われている。現役世代の保険料(支援金)はこの2割には使われていない。つまり窓口負担を3割にするとは、公費で支えていた2割を高齢者本人に肩代わりさせるだけで、現役の保険料が軽くなる話ではない。現役の負担は1ミリも動かない。動くのは公費だけだ。鍋底の焦げだけを見て「料理全体が分かった」と言い張るようなものである。

数字を見れば、この構図が財政トリックであることはすぐ分かる。高齢者の平均的な自己負担は月7,000~8,000円。それを3倍にすれば2万円を超える。一方、現役の保険料は制度構造上まったく変わらない。医療費総額が同じである以上、支援金が軽くなる余地はない。「若者が助かる」という物語は、制度の実態とは噛み合っていないのである。

年金10万円台で暮らす人にとって、2万円の医療費は重い。病気は我慢できず、多くの人は払わざるを得ない。その代わりに削られるのは食費であり、光熱費であり、日々の暮らしそのものだ。医療費の負担増とは生活費の切り下げにほかならない。味噌汁の具が豆腐のかけらだけになる暮らしを想像すれば十分である。

それほど生活を切り詰めてもらって得られる「改革の成果」が、公費負担を減らすことだけだとしたら、それを公平な制度改革と呼べるだろうか。現役と高齢者は別々の人間ではない。誰もが制度を支える側から支えられる側へ移る。にもかかわらず、議論は「若者対高齢者」という静止画ばかりを描きたがる。人は一生のうちに保険料を負担する側にも、給付を受ける側にもなる。それが社会保険という仕組みである。

制度の持続可能性を考えるなら、窓口負担ではなく、所得に応じた負担の在り方そのものを見直すべきだ。とりわけ現役の保険料制度には重大な欠陥がある。標準報酬月額の上限によって高所得者の保険料は頭打ちとなり、支払い能力に応じた負担になっていない。その不足分を、老後の金融資産やその所得から回収しようとする制度案も提示されている。しかし金融資産とは、現役時代に税と社会保険料を支払った後の剰余を蓄積したものであり、金融所得も全世代共通に20%の金融課税がすでに行われている。こうした課税済みストックや課税済み所得に保険料率を重ねるのは、税原理と保険原理の混同であり、実質的な二重課徴というゆがみを不可避に生む。

本当に問われるべきは高齢者ではない。制度そのものである。世代を競わせる物語ではなく、病気という誰にでも訪れ得るリスクを社会全体で支え合う──その社会保険の原理を守ることこそ、本来の制度改革ではないだろうか。