医療費危機論の危うさ2026年07月16日

医療費危機論とオオカミ少年
最近ニュースを見ると、「医療費が48兆円になって日本はもう大変だ」と大騒ぎしている向きがある。しかし、「危機だ、危機だ」と繰り返されても、こちらはどうにも腑に落ちない。数字を落ち着いて眺めれば、国民医療費48兆円は名目GDP約600兆円の約8%にすぎない。さらに、国際比較に用いられるOECDの総医療支出(CHE)で見ても、日本の医療費対GDP比は10.74%で、OECD平均の12.75%を下回る。アメリカの16.69%やドイツの11.74%と比べても、日本だけが特別に重い負担を抱えているわけではない。加えて、平均所得に対する医療関連費(保険料と自己負担)の割合を見ても、日本は約17%でドイツとほぼ同水準である。一方、アメリカは約27〜28%に達し、国民負担は際立って重い。こうした比較を踏まえる限り、医療費48兆円という数字だけで「国が沈む」と語るのは、いささか短絡的に思える。

もちろん、高齢化が進めば医療費は増える。10年後には64兆円程度になるかもしれない。しかし、その間に名目GDPが年2〜3%程度の成長を続け、800兆円規模に達すれば、医療費の比率はなお約8%前後にとどまる。20年後も30年後も、医療費は増えるだろう。しかし経済も同じように成長していれば、負担割合は大きく変わらない。にもかかわらず、総額だけを取り上げて「危機だ」と叫ぶ議論を見ていると、まるで家の床がギシギシ鳴るのを家具のせいにしているように思えてくる。本当に傷んでいるのは、家具ではなく床板の方ではないのか。

では、その床板、つまり国の成長力はどうなっているのか。この20年余り、日本は家の手入れを後回しにしてきた。成長力を支える公共投資や研究開発投資は伸び悩み、デジタル投資もOECD諸国の中で見劣りする。これで成長力が弱まるなという方が無理である。経済という家を広げる努力を怠っておきながら、家具の一つである医療費だけを責めても始まらない。医療費が重く感じられるのは、家具が増えたからではない。家そのものが十分に大きくならなかったからである。平均所得に対する医療負担率が日本とドイツでほぼ同水準に収まっているのも、両国が公的負担を厚くし、国民負担を抑えてきた結果と考えられる。

こうした状況で気になるのが金融政策である。日銀は金利を引き上げる方向へ動いている。物価の安定が重要なのは言うまでもない。しかし、成長力がなお十分とは言えない局面で資金調達コストを引き上げれば、設備投資や研究開発投資に水を差しかねない。せっかく伸び始めた若木を育てる代わりに、枝を切り落として「もっと大きく育て」と言っているようなものだ。短期的には為替が金利に反応するとしても、長期的に通貨の価値を決めるのは、その国の生産性と成長力である。成長の土台を弱めながら、円安だけを金利で解決しようとしても、おのずと限界がある。

本当に危機があるとすれば、それは医療費が増えることではない。医療費を支えられるだけの成長を実現できていないこと、そして国の未来を育てる投資を長年後回しにしてきたことの方である。医療費48兆円という数字だけを見て右往左往するのではなく、「なぜその数字が重く感じられるのか」を考えるべきだ。医療費危機論が失われた30年の生贄のように聞こえるのは、危機の原因を取り違えているからである。本当に議論すべきなのは、医療費を削ることではない。経済を成長させ、生産性を高め、国全体のパイを大きくし、社会保障を無理なく支えられる土台を築くことである。医療費だけを削減対象として論じる前に、まず国を育てる政策そのものを問い直すべきだ。