奇跡の一本松2025年07月17日

奇跡の一本松
陸中宮古のキャンプ場では、買い溜めた薪をすべてくべて、深夜まで一人大キャンプファイアーとなった。加川良や高田渡といった懐かしいフォークソングを流し、若き日々を思い出してセンチメンタル・ジャーニーに浸る。鳥のさえずりで目を覚ましたのは午前五時前。結局シュラフは枕代わりにして何も被らなくても十分暖かく、クマとも遭遇せず、安堵と共に吹き抜ける心地よい朝風に身をまかせ、しばし二度寝を貪った。バイオマス燃焼のシャワーで眠気を流し、ノタノタと撤収に取りかかる。湿度が高く、動くだけで汗が吹き出す。車のエアコンで汗を乾かしては荷をまとめるというインターバル作業になり、やたらと時間がかかった。

すぐ近くの浄土ヶ浜は、AIが「見ておけ」と勧めるので立ち寄る。小雨がぱらついていたが、空の合間には青さも覗いている。車を停めて、浜まで歩いた。浄土ヶ浜は、白い砂と白い岩が海と空の青に映える、美しいコントラストが印象的だ。白い岩も砂も安山岩の色。その風景の中に、海沿いの岩肌に咲くオレンジ色の鬼百合が鮮やかなアクセントになっている。鬼百合の花言葉は「富」「誇り」「華麗」など。強く美しい花の象徴とされるという。汗をかきながら坂道を登る帰り道、ビジターセンターに昇降用エレベーターが設置されていたことを知る。どうりで誰も坂を歩いていなかったわけだ。歳を取ったのだから、なにごとも即断せず、もう少し落ち着いて行動したいものだと、頭を掻いた。

その後、「奇跡の一本松」で知られる陸前高田の津波復興祈念公園へ向かう。奇跡の一本松は、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田市において、唯一残った松の木である。津波により松林のすべてが流される中、ただ一本だけが耐え抜き、復興の象徴として知られるようになったが、塩害により枯死。現在は樹脂製のレプリカが立ち、その記憶を伝えている。その隣には、旧ユースホステルの建物が津波遺構として保存されていた。伝承館では、津波のメカニズムから災害救助、復興の記録まで幅広く展示されている。自然災害そのものは避けがたいが、命をかけて人を救おうとした人々の記録に触れるたび、目頭が熱くなる。最後まで地域の人々を守ろうとして命を落とした消防団員。全国から20万人の半数を投入し、長期にわたって救援活動にあたった自衛隊。世界各地から駆けつけた災害医療チーム。名前も知らぬ、多くのボランティアたち。助けたい、力になりたいという一念だけで動いた彼らの記録は、強く胸を打つ。「あるべき国と国民の姿」が、ここにはっきりと示されているように思えた。気仙沼にも立ち寄り、被災を克明に記録したリアス・アーク美術館を訪れた。爆発的な破壊力を持つ津波被害を克明に残した学芸員の記録にも深く感銘を受けた。

「人間も捨てたもんじゃない」と思いながら、余韻に浸って国道を仙台に向かって走っていると、目の前に突然、警官が赤い旗を振って飛び出してきた。しまった、ネズミ捕りだ。居住区間の制限速度は40キロ。18キロオーバーで、罰金1万2千円。国道は通常50キロ制限なので、60キロ未満で走っていたのだが、住宅地の中で速度が下がることは知っていながら、田舎道で交通量が少ないせいか、見落としてしまった。とはいえ、不思議と腹は立たなかった。「震災の勉強代だ」と思い妙に納得している。明日は仙台からフェリーに乗って、家路に着く。

コメント

トラックバック

Bingサイト内検索