Nスペドラマ総力戦研究所2025年08月18日

Nスペドラマ総力戦研究所
「昭和16年夏、日本はすでに敗けていた」。2夜連続のNHKスペシャル『シミュレーション 昭和16年夏の敗戦』が描いたのは、開戦前夜の日本が抱えていた“見えていた敗北”の構造だ。1941年、首相直属の総力戦研究所に集められた若きエリートたちは、日米開戦を前提に国家の総力を分析。石油・鉄・食糧・造船能力などを精査し、結論は明快だった。「日本は必ず敗北する」。この報告は近衛文麿首相や東條英機陸相に届けられたが、東條は「日露戦争も勝てると思わなかったが勝った」として一蹴。理性より精神論が優先された。この時点で日本はすでに軍部独裁・ファシズムの体制にあった。統帥権の独立により軍は内閣の統制を拒否し、軍部大臣現役武官制の復活で、軍が内閣の存立を左右する拒否権を持った。五・一五事件や二・二六事件では、軍の政治支配が暴力によって正当化され、民間の統治機構は沈黙を強いられた。昭和天皇は和平を望んだが、軍部の制度的優位の前ではその意向も貫徹できなかった。

戦後の東京裁判は政府の指導層を裁いたが、実際に戦争を推進した参謀本部の幕僚や制度設計者は多くが免責された。裁かれるべきは個人ではなく、軍部が政治を超えて安全保障を独占した制度構造そのものだった。この教訓は、現代日本にも通じる。安全保障政策が現実に拡張される一方で、国会と政府がそれに対して「制度的責任」を負っているかは曖昧だ。自衛隊の運用、日米安保の実態、周辺事態への対応。これらは国民の生命に直結するにもかかわらず、政治の側が「憲法の制約」や「米国との協調」に逃げ、責任を曖昧にしている。

戦前の失敗は、軍部が暴走したことではなく、政府と国会が安全保障に責任を持てる制度を欠いていたことにある。総力戦研究所はこの制度論にに立ち入ることは既にできなかった。令和の日本が平和を守るために必要なのは、理念の空中戦ではなく、国会と政府が安全保障の意思決定に対して明確な責任を持つ制度設計だ。「大和魂」も「憲法9条平和論」も根拠のない精神論でしかない。精神論では戦争は防げない。制度が責任を生む。昭和の敗戦はそのことを、痛みとともに教えている。