ふつうの子ども ― 2025年12月13日
ドラマ『こんばんは、朝山家です。』でヘナチョコ小学生を好演した嶋田鉄太くんが、この映画にも出演していると知りサブスクで観た。期待は裏切られない。相変わらずの“ヘナチョコぶり”が全開で、「これ演技なの?それとも地なの?」と思うほど自然体だ。いわゆる“天才子役”のキラキラ路線とは別次元で、むしろ“ダメな感じがリアルな新種の子役”というジャンルを確立しつつある。
監督は『そこのみにて光輝く』『きみはいい子』の呉美保、脚本は高田亮。名コンビが再び組み、令和の小学4年生たちの“ふつう”の日常を描く。主人公・唯士(嶋田鉄太)は、環境問題に熱心な心愛(瑠璃)に片思い。しかし心愛が想いを寄せるのはクラスの問題児・陽斗(味元耀大)。3人が始めた小さな環境活動は、親や教師を巻き込みながら次第に過激化していく。クラスメイトはオーディションで選ばれた実際の子どもたち。母親役に蒼井優、ダメ教師に風間俊介、毒親に瀧内公美と、大人陣も盤石だ。
率直に言えば、「これが本当に“ふつうの子ども”なのか?」と驚かされる。もしこれが現代の小学4年生のリアルだとしたら、自分の頃よりずっとませている。好きな子に好かれようと、興味のないテーマに急にのめり込む姿は昔も今も変わらない。ただ、昔はロックやスポーツが憧れの対象だったのに、今は「環境問題」なのだという点に時代を感じる。
映画の中の子どもたちは「車に乗るな」「電気を使うな」と違法ポスターを貼り、「メタンガスを出す牛はだめだ」と精肉店にロケット花火を打ち込み、牛舎の扉を壊す。いたずらの域を超えた立派な“環境テロ”だ。見ていて頭に浮かんだのは「左翼小児病」だった。 子供だから当然だけど。
劇中ではグレタ・トゥーンベリの国連スピーチ「How dare you!」が効果的に使われる。最初は作文発表で担任に軽くあしらわれ、心愛が激怒。やがて“環境テロ”が発覚し、大人たちの前で弁明する場面ではグレタの英語をぶつぶつ呟く。そしてラスト、“環境テロ”の理由を心愛が好きだったからと弁明した唯士に、心愛が口パクで「How dare you!(よくもまぁ)」とほほ笑む。唯士はポカーンとして意味も分からないままエンドロール。皮肉で、可愛くて、そして空恐ろしい。
観終わって思った。自分も子どもの頃、同じように社会問題に憤り、「将来は記者になって告発する!」と息巻いていた。あの熱病のような正義感は、結局は先生が教えた中途半端な知識と、大人が与えた断片的な情報から生まれたものだった。 今、米国ではトランスジェンダー教育の影響で「性否認」をする女子が急増し社会問題になっているという。環境問題も同じ構図かもしれない。大人が都合よく切り取った“正義”を、子どもは純粋に、時に暴走しながら信じてしまう。
唯士を見ればわかる。子どもたちの動機の9割は「好きな子と一緒にいたい」「目立ちたい」「認められたい」。残りの1割が純粋な正義感だとしても、それは十分に危うい。だからこそ、この映画は妙にリアルで、妙に怖い。「ふつうの子ども」って、こんなに過激で、こんなに脆くて、こんなに危なっかしいものだったのか――。観終わったあと、しばらく立てなかった。考えさせられるというより、「How dare you!」な一作だった。
監督は『そこのみにて光輝く』『きみはいい子』の呉美保、脚本は高田亮。名コンビが再び組み、令和の小学4年生たちの“ふつう”の日常を描く。主人公・唯士(嶋田鉄太)は、環境問題に熱心な心愛(瑠璃)に片思い。しかし心愛が想いを寄せるのはクラスの問題児・陽斗(味元耀大)。3人が始めた小さな環境活動は、親や教師を巻き込みながら次第に過激化していく。クラスメイトはオーディションで選ばれた実際の子どもたち。母親役に蒼井優、ダメ教師に風間俊介、毒親に瀧内公美と、大人陣も盤石だ。
率直に言えば、「これが本当に“ふつうの子ども”なのか?」と驚かされる。もしこれが現代の小学4年生のリアルだとしたら、自分の頃よりずっとませている。好きな子に好かれようと、興味のないテーマに急にのめり込む姿は昔も今も変わらない。ただ、昔はロックやスポーツが憧れの対象だったのに、今は「環境問題」なのだという点に時代を感じる。
映画の中の子どもたちは「車に乗るな」「電気を使うな」と違法ポスターを貼り、「メタンガスを出す牛はだめだ」と精肉店にロケット花火を打ち込み、牛舎の扉を壊す。いたずらの域を超えた立派な“環境テロ”だ。見ていて頭に浮かんだのは「左翼小児病」だった。 子供だから当然だけど。
劇中ではグレタ・トゥーンベリの国連スピーチ「How dare you!」が効果的に使われる。最初は作文発表で担任に軽くあしらわれ、心愛が激怒。やがて“環境テロ”が発覚し、大人たちの前で弁明する場面ではグレタの英語をぶつぶつ呟く。そしてラスト、“環境テロ”の理由を心愛が好きだったからと弁明した唯士に、心愛が口パクで「How dare you!(よくもまぁ)」とほほ笑む。唯士はポカーンとして意味も分からないままエンドロール。皮肉で、可愛くて、そして空恐ろしい。
観終わって思った。自分も子どもの頃、同じように社会問題に憤り、「将来は記者になって告発する!」と息巻いていた。あの熱病のような正義感は、結局は先生が教えた中途半端な知識と、大人が与えた断片的な情報から生まれたものだった。 今、米国ではトランスジェンダー教育の影響で「性否認」をする女子が急増し社会問題になっているという。環境問題も同じ構図かもしれない。大人が都合よく切り取った“正義”を、子どもは純粋に、時に暴走しながら信じてしまう。
唯士を見ればわかる。子どもたちの動機の9割は「好きな子と一緒にいたい」「目立ちたい」「認められたい」。残りの1割が純粋な正義感だとしても、それは十分に危うい。だからこそ、この映画は妙にリアルで、妙に怖い。「ふつうの子ども」って、こんなに過激で、こんなに脆くて、こんなに危なっかしいものだったのか――。観終わったあと、しばらく立てなかった。考えさせられるというより、「How dare you!」な一作だった。