無償化は「持ち出し」か「投資」か2025年12月19日

給食無償化の地方負担に批判噴出
政府が小中学校の給食費と高校授業料の無償化を打ち出した瞬間、全国知事会が一斉にブレーキを踏んだ。「自治体の財政負担が過大だ」。地方行政の世界では、聞き慣れすぎた台詞である。無理もない。自治体予算は常に余白がない。教育費が数%増えるだけで、福祉やインフラ、地域サービスのどこかを削らざるを得ない。「予算の1%増でも重い」という知事会の訴えは、現場を知る者ほど現実味をもって響く。

だが、この議論は致命的な欠陥を抱えている。支出を“今の帳簿”でしか見ていないのだ。教育への公的支出は、地方への押し付けでも、選挙向けのバラマキでもない。将来、税収として回収される投資である。ここを見誤れば、どんな政策も「高すぎる」の一言で葬られる。

数字は感情よりも正直だ。小中学校給食費の無償化では、対象児童は約650万人。保護者が年間約6万円負担してきた費用が消え、全国で約4,832億円が家計に戻る。高校授業料の無償化では、公立で年間11万8,800円、私立でも平均14〜15万円の負担が軽減され、規模は約4,048億円に達する。両者を合わせれば、約8,880億円が子育て世帯の可処分所得となる。

一世帯あたりにすれば、年20万円前後の余裕だ。この金が貯金だけに回ると考えるのは非現実的だろう。食費、学用品、日用品へと流れ、消費を押し上げる。では、その結果はどうなるか。

日本の過去データでは、GDPが1%増えると税収は約3%増える。税収弾性値は近年の実績で2.8〜3.2程度とされ、3前後が妥当だ。仮に7,000億円の支出がGDPを約0.12%押し上げれば、税収は0.35%以上増える。金額にして年間約3,500億円。国税で約2,500億円、地方税でも約1,000億円が戻る計算になる。

投入額のほぼ半分が、数年以内に回収される。これをなお「持ち出し」と呼ぶなら、将来の税収という概念自体を否定することになる。政府は長年、税収弾性値を1.1程度と低く見積もり、「どうせ税収は増えない」と財政出動を渋ってきた。その結果が「失われた30年」だ。需要を恐れ、投資を避け、成長の芽を摘み続けた。その失敗を、教育分野でまで繰り返す理由はない。

もちろん、知事会の懸念を切り捨てる話ではない。自治体の裁量経費が乏しいのは事実だ。だからこそ、支援の線引きが重要になる。

公立の給食費や授業料は、基礎教育という公共財そのものであり、ここは国が正面から負担すべき領域である。一方、私立の給食費や授業料は「選択的サービス」の性格が強く、公共投資としての優先順位は明らかに低い。支援は義務教育とそれに準じる普遍的部分に絞り、私学への過度な肩代わりは避ける――それが最も公平で現実的な整理である。

維新がしばしば唱える「私学と公立の条件を公平にして競争させ、質の向上を目指す」という主張は、聞こえは良い。しかし実際には財政力があり意思決定の速い有名私学が優位に立つことは明らかであり、「公平」という言葉は弱小公立校を切り捨てるためのレトリックにすぎない。従って私学の無償化は弊害が大きくほとんど意味がない。

結論は明白だ。知事会の反対は、目先の痛みを訴える声として尊重されるべきだ。しかし、国全体で見れば、教育無償化は確かな経済投資であり、税収還元効果も十分に見込める。

政府はこれを「子育て支援」という情緒的な言葉で済ませてはならない。
家計を下支えし、成長を呼び込む投資だと、正面から語るべきだ。未来への投資を「高い」と言い続けた国に、成長は訪れない。日本はいま、教育をコストと呼ぶ癖そのものを、改める時代に入っている。