維新議員ら“国保逃れ”疑惑 ― 2025年12月22日
「制度は守った。だが、信頼はすり抜けた」——。
維新所属の地方議員らによる“国保逃れ”疑惑は、そんな言葉がぴたりと当てはまる後味の悪さを残している。一般社団法人の理事に就任し、国民健康保険ではなく社会保険に加入する。理事報酬は最低等級、労務提供の実態は乏しい。形式上は適法だが、実態としては社保加入資格を得るための装置ではないか、というのが疑惑の核心だ。報道では「年間86万円の負担減」と派手に打たれたが、実際には理事側が法人に協力金(会費)を支払っており、差し引きの軽減額は年13万円程度、節税率にして約15%にとどまるとみられる。金額だけを見れば、決定的な“不正蓄財”と断じるのは難しい。
それでも、この問題が軽く扱えないのは、「制度の抜け道として再現性が高い」からだ。このスキームは、特別な権力を持つ議員でなくとも、知識さえあれば誰でも使える。つまり、問題は個人のモラルではなく、制度の設計そのものにある。
国民健康保険は、自営業者や非正規労働者、高齢者など、医療リスクの高い層が多く加入する制度だ。財源を安定させるには、高所得者の負担が不可欠である。しかし現実には、国保は所得比例に加えて均等割・平等割が重く、保険料上限も高い。一方、社会保険は報酬比例で、頭打ちは早い。結果として、「稼げば稼ぐほど国保から逃げたくなる」構造が温存されてきた。今回の疑惑は、逆選択が制度に内蔵されていることを可視化したにすぎない。
ここで看過できないのが、維新という政党の看板との乖離である。維新はこれまで、歳出削減と「身を切る改革」を前面に掲げてきた。だが、その足元で、議員による“国保逃れ”のような歳入面の不公平や制度の抜け道が放置されていたのだとすれば、改革の説得力そのものが揺らぐ。歳出だけを削っても、歳入が不透明で不公平なままでは財政は安定しない。それは企業会計でも国家財政でも同じ話だ。
制度改正として、まず必要なのは「実態のない役員による社保加入」の厳格化だろう。労務提供の実態確認や、極端に低い役員報酬での加入審査強化など、このスキームを直接封じる対応は難しくない。しかし、それはあくまで対症療法に過ぎない。本質は、国保と社保の負担格差という構造問題にある。国保の上限引き下げか、社保の上限引き上げか。あるいは国保財源を税方式に近づけるのか。「逃げたくなる制度」を放置したままでは、同じ抜け道は形を変えて必ず復活する。
さらに深刻なのは、制度運営の“縦割り”だ。個人事業主の所得は自己申告が基本で、税務署、国保、社会保険のデータは分断されたまま。だからこそ、制度の隙間が温存される。税務署が把握する所得データと社会保険の加入情報を、国保側に自動連携させるだけで、歳入の合理化は大きく進むはずだ。マイナンバーと電子申請が整った今、それすらできていない現状で「身を切る改革」と言われても、臍が茶を沸かすというものだ。
歳出改革は、歳入の透明化と徴収の公平性があって初めて意味を持つ。今回の“国保逃れ”疑惑は、誰かを吊し上げて終わる話ではない。制度を守っても、制度への信頼が壊れれば、社会保障は立ち行かない。問われているのは、個々の議員の行動以上に、「正直者が損をする設計」をいつまで放置するのかという、日本の社会保障システムそのものの覚悟なのだ。改革を名乗る政党が、歳入の不透明さから目を背ける限り、その改革は看板倒れで終わる。
維新所属の地方議員らによる“国保逃れ”疑惑は、そんな言葉がぴたりと当てはまる後味の悪さを残している。一般社団法人の理事に就任し、国民健康保険ではなく社会保険に加入する。理事報酬は最低等級、労務提供の実態は乏しい。形式上は適法だが、実態としては社保加入資格を得るための装置ではないか、というのが疑惑の核心だ。報道では「年間86万円の負担減」と派手に打たれたが、実際には理事側が法人に協力金(会費)を支払っており、差し引きの軽減額は年13万円程度、節税率にして約15%にとどまるとみられる。金額だけを見れば、決定的な“不正蓄財”と断じるのは難しい。
それでも、この問題が軽く扱えないのは、「制度の抜け道として再現性が高い」からだ。このスキームは、特別な権力を持つ議員でなくとも、知識さえあれば誰でも使える。つまり、問題は個人のモラルではなく、制度の設計そのものにある。
国民健康保険は、自営業者や非正規労働者、高齢者など、医療リスクの高い層が多く加入する制度だ。財源を安定させるには、高所得者の負担が不可欠である。しかし現実には、国保は所得比例に加えて均等割・平等割が重く、保険料上限も高い。一方、社会保険は報酬比例で、頭打ちは早い。結果として、「稼げば稼ぐほど国保から逃げたくなる」構造が温存されてきた。今回の疑惑は、逆選択が制度に内蔵されていることを可視化したにすぎない。
ここで看過できないのが、維新という政党の看板との乖離である。維新はこれまで、歳出削減と「身を切る改革」を前面に掲げてきた。だが、その足元で、議員による“国保逃れ”のような歳入面の不公平や制度の抜け道が放置されていたのだとすれば、改革の説得力そのものが揺らぐ。歳出だけを削っても、歳入が不透明で不公平なままでは財政は安定しない。それは企業会計でも国家財政でも同じ話だ。
制度改正として、まず必要なのは「実態のない役員による社保加入」の厳格化だろう。労務提供の実態確認や、極端に低い役員報酬での加入審査強化など、このスキームを直接封じる対応は難しくない。しかし、それはあくまで対症療法に過ぎない。本質は、国保と社保の負担格差という構造問題にある。国保の上限引き下げか、社保の上限引き上げか。あるいは国保財源を税方式に近づけるのか。「逃げたくなる制度」を放置したままでは、同じ抜け道は形を変えて必ず復活する。
さらに深刻なのは、制度運営の“縦割り”だ。個人事業主の所得は自己申告が基本で、税務署、国保、社会保険のデータは分断されたまま。だからこそ、制度の隙間が温存される。税務署が把握する所得データと社会保険の加入情報を、国保側に自動連携させるだけで、歳入の合理化は大きく進むはずだ。マイナンバーと電子申請が整った今、それすらできていない現状で「身を切る改革」と言われても、臍が茶を沸かすというものだ。
歳出改革は、歳入の透明化と徴収の公平性があって初めて意味を持つ。今回の“国保逃れ”疑惑は、誰かを吊し上げて終わる話ではない。制度を守っても、制度への信頼が壊れれば、社会保障は立ち行かない。問われているのは、個々の議員の行動以上に、「正直者が損をする設計」をいつまで放置するのかという、日本の社会保障システムそのものの覚悟なのだ。改革を名乗る政党が、歳入の不透明さから目を背ける限り、その改革は看板倒れで終わる。