デモ隊が暴徒化2025年06月10日

デモ隊が暴徒化
ロサンゼルスで、移民・税関捜査局(ICE)による不法移民の一斉摘発をきっかけに、抗議活動が激化している。デモ隊は一部が暴徒化し、車両放火や国境警備隊との衝突も発生。これを受けて、トランプ大統領はまず州兵300人を派遣し、さらにホワイトハウスは州兵2000人の追加派遣を決定。国防長官は海兵隊500人の投入準備にも踏み切った。だが、こうした連邦政府の対応に対し、カリフォルニア州知事ギャビン・ニューサムは「違法な介入」として反発。州兵派遣の撤回を要求した。トランプ氏はSNSで「不法移民と犯罪者による侵略だ」と警鐘を鳴らし、事態は連邦と州の対立に発展している。

この構図、どこかで見覚えがないだろうか。そう、2020年のBLM(ブラック・ライブズ・マター)運動の時とよく似ている。あの時も、暴動が起きるまでリベラル寄りの州政府や自治体は強制力の行使をためらい、結果として略奪や放火が横行。警察すら介入できない“無法地帯”が各地に広がった。今も一部の住民は、その爪痕に苦しんでいる。不思議なのは、今回のケースでも、暴動が起きてからようやく政府が動いたにもかかわらず、その「予防的措置」に対してメディアが一斉に政府を非難していることだ。かつての暴動時に、メディアや自治体は事態を黙認していたのに。

これは、決して“対岸の火事”ではない。実は、日本の埼玉県でも、川口市を中心に不法滞在外国人の問題が深刻化している。地元住民は繰り返し治安悪化を訴えてきたが、自治体も政府も長く沈黙を保ってきた。ところが、選挙が近づくと、それまで口を閉ざしていた政治家たちがようやく発言し始めるという構図は、あまりに無責任ではないか。日本は海に囲まれ、米国のように陸続きで不法入国される心配は少ない。だが、「ノービザ」で入国できる国が多い現在、空路を利用すれば実質的には“開かれた国境”と変わらない。ビザ免除国からの不法滞在者は、ベトナム・タイ・韓国・中国・フィリピンを中心に4万人を超える。川口に集住するトルコ人も1300人を超え、地域に複雑な影を落としている。

今ならまだ間に合う。だが、米国のように事態が膨れ上がってしまえば、手がつけられなくなるだろう。このような警鐘を鳴らすと、すぐに「外国人差別だ」と決めつける声が上がる。しかし、本質はそこではない。違法なものは違法として摘発する、という当たり前の原則に立ち返ろうというだけだ。地域社会で共に暮らすなら、そのルールや文化を尊重することは当然の前提である。米国でも、日本でも、問われているのは「共生」の本当の意味だ。暴力や違法行為を見て見ぬふりをすることが、寛容ではない。むしろそれは、善良な住民にも移民自身にも、長い目で見れば害をなす。偏った報道が「盗人猛々しい」言説を正当化してはならない。必要なのは、冷静なルールの再確認と、それを実行する覚悟である。

「共に民主党」李在明大統領2025年06月04日

「共に民主党」李在明大統領
韓国の大統領選挙が終わり、「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)氏が49.42%の得票率で新大統領に選ばれた。今回の選挙は、単なる政権交代を超え、韓国民主主義の根幹を問う出来事であった。そもそもの発端は、前大統領・尹錫悦(ユン・ソギョル)氏による昨年12月の「非常戒厳令」発出だった。これは野党による予算案の執行妨害を理由に、国民の自由を制限する措置だったが、憲法違反と見なされ、今年4月、尹氏は大統領職を罷免されるに至った。国政の空白と憲政秩序の揺らぎの中で行われた今回の大統領選は、まさに“民主主義の正念場”だったといえる。与党「国民の力」は、尹氏の失脚後に急速に求心力を失った。候補者選びは混迷し、党内の分裂が表面化するなか、ようやく金文洙(キム・ムンス)氏が擁立されたものの、選挙戦を通じて結束を取り戻すには至らなかった。保守層からも離反が相次ぎ、「改革新党」の李俊錫(イ・ジュンソク)氏が独自に出馬。三極構造の選挙戦となった。

主要な争点は当然、戒厳令の是非である。李在明氏はこれを「民主主義への冒涜」と断じ、「国民の力」への批判を強めた。金文洙氏は尹前政権の一定の継承を掲げ、安定した政治運営を訴えたが、過去の行動の責任を問う声をかわせなかった。李俊錫氏は政治そのものの構造改革を主張し、若年層を中心に一定の支持を集めた。投票率は79.4%。日本の感覚からすれば驚異的な数字だが、それだけ国民の政治意識が高まり、今回の選挙に重大な意味が込められていたことの表れだろう。最終的に李在明氏が勝利したが、もし「国民の力」と「改革新党」が候補者を一本化していれば、両党の合計得票数は49.49%。わずかながら李氏を上回っていた可能性もある。だが、路線の違いと調整力の欠如が、それを不可能にした。

今回の騒動を見ていると、改めて感じるのは、韓国政治における「大統領制の限界」と「政党政治の未成熟」だ。戒厳令を出さざるを得なかった尹氏の苦境は理解できなくもないが、それを出した瞬間に憲政秩序は崩れ始めた。少数与党ゆえに国会解散もできず、最終的には大統領自らが退陣するしかなかったわけだが、ここは潔く政権を手放し、民意を仰ぐべきだっただろう。議会制民主主義とは、そうあるべきだ。そしてもうひとつ、今回象徴的だったのは「中道政党」の存在感である。日本でも同様だが、中道や中間勢力がキャスティングボートを握ると、結果として政権交代の可能性を左右する。韓国ではその弊害が「候補一本化失敗」という形で現れ、日本では公明党が与党の存続を支え続ける構図が、それにあたる。結果として、最大野党が政権にすり寄るような構図すら生まれつつある。

さて、李在明氏の今後だが、彼の姿勢や過去の発言から見て、日韓関係は厳しい4年間を迎えることが予想される。反日リベラル色の強い政権運営が続けば、日本としても過度な期待は禁物だろう。政権内に冷静な声が残っていれば良いが、今のところはそうした兆しは乏しい。選挙結果そのものは民意の表れであり、民主主義の正常な機能といえる。ただ、それを導いたのが憲法違反による大統領罷免だったという点に、韓国政治の不安定さが象徴されている。今後、この国がどこへ向かうのか。その行方を冷静に見守る必要がある。

ハーバード大中国人留学生2025年06月01日

ハーバード大助成打ち切り
米国が再び「アメリカ・ファースト」にかじを切った。中国共産党と関係があるとされる中国人留学生に対し、ルビオ国務長官はビザ取り消しを含む厳格な措置を発表した。背景にあるのは、国家安全保障への懸念である。中国本土や香港からの申請についても、今後はより厳しい審査が適用されるという。対象は「共産党とのつながりの有無」に限らず、「重要分野」を専攻する学生まで広がる。情報収集や技術流出への警戒がにじむ政策だ。すでにハーバード大学などでは、約1,300人の中国人留学生が学籍を失う可能性があるとされ、大学側も訴訟を検討している。一方、そんなアメリカの動きとは対照的に、日本の留学生政策はある意味で「おおらか」だ。東京大学のデータを見ると、大学院に在籍する外国人留学生のうち、約6割が中国出身。理工系ではその比率がさらに高いという。学部生も含めれば、中国人留学生は東大全体の約1割強。過去10年で倍以上に増えている。この傾向をどう受け止めるべきか。もちろん、国際交流は大切だ。優秀な学生を受け入れ、多様な価値観に触れることは、大学の活性化につながる。だが、ここで一度立ち止まりたい。日本の留学生支援は、果たして公平なのだろうか。

文部科学省やJASSO(日本学生支援機構)による国費留学生制度では、外国人留学生に対し、年間150万円前後の生活費と学費の全額免除が提供される。大学によってはさらに手厚い支援もある。東大など一部の国立大学では、一人あたり年間300万円前後の補助が支給されている例もあるという。その総額は、全国で年100億円規模に達するとされる。ハーバード大の留学生全体に対する助成金270万ドル(約4億円)なので一人当たりにすれば80万円程度、物価を考慮すれば日本はその5倍以上と言える。さらに問題は、日本人学生とのバランスである。多くの日本人大学院生は、授業料や生活費を奨学金(しかも多くが貸与型)やアルバイトでまかなっている。その一方で、外国人留学生の中には返済不要の支援を受けて、安定した研究環境で学んでいる。こうした構造的なギャップは、果たして健全と言えるだろうか。さらに懸念されるのが、安全保障や技術流出の観点だ。AIや量子、バイオなど、日本が国家戦略として重点を置く分野には、多くの留学生が集まる。もちろん、出身国や国籍で学生を一括りにして論じることは避けるべきだ。しかし、制度としての「無警戒ぶり」は見直されてしかるべきではないか。

この問題は、国会でも取り上げられた。参議院で小野寺議員が文部科学省に質問したところ、同省は「国際交流の促進に寄与している」と述べるにとどまり、安全保障上の課題については明言を避けた。まるで別の国の話のような距離感だ。アメリカのやり方がすべて正しいとは思わない。だが少なくとも、彼らは「自国の利益とは何か」を常に問い続けている。それに対し、日本はどこかのんびりしているように見える。危機感が共有されていない。「人のことを言っている場合ではない」――それが今の日本の現実かもしれない。怒るべきはトランプ政権ではなく、むしろ、国内の制度設計に対してではないか。支援の在り方、研究成果の流出リスク、そして日本人学生への公平性。それらを真剣に議論する時期が、すでに来ているのではないか。

川口と日本社会の歪み2025年05月29日

不法移民問題
埼玉県川口市。ここ数年で形成されたクルド人コミュニティと地元住民との摩擦が表面化し、ニュースにもたびたび取り上げられている。この問題を受け、自民党の河野太郎前デジタル相は、トルコ国民に対するビザ免除措置の停止を国会で提案した。観光目的で入国後に難民申請を繰り返し、長期にわたって国内に滞在・就労しているという実態に懸念を示したのだ。とはいえ、川口の事例だけで移民政策全体を語るのは早計だ。だが、これは日本が抱える外国人受け入れの制度と現実のズレが噴き出した一例とも言える。

実は、日本の地域社会と外国人との摩擦は今に始まった話ではない。1990年の入管法改正で大量に来日した日系ブラジル人やペルー人。浜松や豊田、大泉町などでは、ゴミ出しや騒音、学校現場での日本語教育など、生活のすれ違いから摩擦が生じた。1999年には、保見団地で右翼団体と外国人住民が衝突する騒動も起きた。その後も、技能実習生制度の拡大、中国人研修生の受け入れ、外国人児童の急増と教育・福祉の現場は対応に追われ続けた。今や、外国人が地域社会の構成員となることは現実の風景になっているが、その共生の足場が固まっているとは言いがたい。

問題は、日本が「労働力不足の穴埋め」という短期的視点に依存し続けてきた点にある。外国人を迎え入れる制度は整備されても、彼らを「暮らす存在」として支える社会基盤は後回しにされてきた。そのしわ寄せが、教育、医療、治安、地域の絆の崩壊といった形で現れている。一方で、欧米諸国もまた移民政策に苦慮してきた。ドイツやスウェーデンでは一時、積極的に難民を受け入れたが、統合の困難さや治安悪化への懸念から方針を転換。帰国促進プログラムや受け入れ数の抑制が始まっている。フランスでは郊外に形成された移民コミュニティが社会の分断を生み、オランダでは「文化的同化」を前提とした厳格な移民選別が議論されている。

日本もまた、こうした海外の事例から学ぶべき段階に来ている。移民を単なる「労働力」と見る時代は終わった。受け入れた人々が地域に根を下ろし、納税し、子を育て、老いていく——その未来を想定した制度と意識が必要だ。「多文化共生」という美しいスローガンの背後には、行政負担、住民感情、制度のギャップといった複雑な課題が横たわっている。精神論ではもう乗り切れない。川口の問題は警鐘であり、通過点にすぎない。本当に問われているのは、「この国は誰と、どう生きていくのか」という未来像そのものである。

中華製太陽光発電疑惑2025年05月27日

中国製の太陽光発電システム疑惑
武藤容治経済産業相が「中国製の太陽光発電システムに不審な通信機器が搭載されている可能性」について、「関係団体からの報告はない」と答弁したのは、あまりにも楽観的すぎる姿勢ではないか。これは26日の参院決算委員会での一幕。日本維新の会・柳ケ瀬裕文議員の質問に対し、武藤氏は「サイバーセキュリティーは重要」としつつも、具体的な調査には踏み込まない姿勢を崩さなかった。資源エネルギー庁に至っては「現時点で問題は生じていない」と明言し、今後の調査予定もないとする。だが柳ケ瀬氏が指摘したように、問題が起きてからでは遅いのだ。近年、米国では中国製の太陽光システムに未申告の通信機器が搭載され、国家安全保障上のリスクが指摘されている。インバーターやバッテリーに組み込まれた「不審な通信機能」は、遠隔操作による停電すら現実的な脅威となる。すでに米国では一部の電力会社が中国製機器の使用を控える動きを見せ、政府も調達制限に踏み切る法案を提出した。

そんな最中に「問題がないから調査しない」という日本政府の態度は、世界の潮流に逆行していると言わざるを得ない。仮にネットワークにつながった発電設備が存在すれば、理屈の上では世界のどこからでも制御できてしまう。そのリスクに対して「今は何も起きていない」と語るのは、あまりにも能天気な対応だ。しかも、仮に不正な回路やプログラムが機器内に潜んでいた場合、精緻な偽装が施されている可能性は高い。それを通信システムの専門家でもない官僚が「問題なし」と即答できるのか。むしろ、調べないということが、かえって疑念を呼び起こしてしまうのではないか。国民が求めているのは、安心できるエネルギーインフラの保証である。生活の利便性を超え、電力の供給は命に関わるインフラだ。政府の本来の姿勢は、「問題があってはならない」という前提に立ち、先手を打った調査を行い、「確認したが問題はなかった」と説明することではないのか。政治に求められるのは危機感であり、その危機にどう備えるかの誠意だ。少なくとも、目の前のリスクを直視せずに「何も起きていない」と言い切る態度に、高い電気代を支払う国民の信頼はついてこない。

信用格付け2025年05月20日

ムーディーズの米国長期信用格付け
アメリカの信用格付けが引き下げられた背景には、財政赤字の拡大と債務増加がある。ムーディーズは米国の長期信用格付けを「Aaa」から「Aa1」に引き下げた。主因の一つは政府債務の急増であり、債務残高は36兆ドル、利払い費も急増している。2024年度の財政赤字は約1.8兆ドルと過去最大規模に達した。さらに、財政赤字の改善が見込めない点も影響している。議会の財政案では赤字削減が困難で、財政健全化への展望が立たないため、格付け会社は慎重な評価を下した。また、政治的要因も無視できない。ホワイトハウスはこの決定を政治的と批判したが、格付け会社は財政指標の悪化を根拠に挙げている。この格下げにより、米国債の信認低下や金利上昇が懸念され、世界経済への波及も予想される。

一方、日本の信用格付けは過去30年間で着実に下落してきた。かつて「AAA」だった日本は、1990年代のバブル崩壊以降、経済停滞と金融機関の不良債権問題に直面した。2000年代に入ると財政赤字が拡大し、2002年にムーディーズは日本の格付けを「Aa2」に引き下げた。さらに2008年のリーマン・ショック後、政府は財政支出を拡大。2011年にはS&Pが「AA-」に格下げした。2010年代以降は少子高齢化により社会保障費が増加し、経済成長率も低迷。2024年現在、日本の格付けはムーディーズ「A1」、S&P「A+」、フィッチ「A」にとどまり、ドイツやスイス、オーストラリアといった「AAA」を維持する国々との差が拡大している。これにより、日本は借入コストの上昇や市場での信頼低下を招いている。

財務省や政府が国債発行に慎重で減税にも後ろ向きなのは、この格付けが影響していると言える。ただ、他国と比較した場合、日本の格下げの背景にはより深刻な構造的要因がある。最大の要因は経済成長の鈍化だ。他の先進国がGDPや所得を伸ばしてきた一方、日本は長期的な停滞に陥った。特に1990年代以降、賃金の伸び悩みや生産性の低下が続き、政府の財政負担が増加。債務返済能力への懸念が格付けを押し下げた。この点は、経済成長ができなかったから財政赤字が拡大したのか、それとも財政赤字を恐れて投資を抑制した結果、経済成長が停滞したのかという「卵が先か鶏が先か」の議論にも似ている。

日本政府はこの30年間、財政健全化を最優先し、投資に消極的だった。バブル崩壊後は一時的に公共投資を拡大したが、1996年の橋本政権以降は緊縮財政へと転じた。2000年代には消費税引き上げや歳出抑制が進み、政府支出の伸び率は先進国中最低となった。この結果、企業の設備投資は伸びず、賃金も上がらなかった。「失われた30年」は経済産業省も認めており、国際競争力の低下が顕著だ。近年、政府は「資産運用立国」や「国内投資拡大」を掲げてはいるが、依然として減税や国債発行には慎重で、抜本的な投資拡大には至っていない。経済成長の停滞には政府の慎重すぎる財政運営が影響しているのは明らかだが、それを真に理解している官僚や政府首脳が極めて少ないことが、今後の日本経済にとって最大のリスクと言える。

映画「教皇選挙」2025年05月15日

映画「教皇選挙」
映画『教皇選挙(コンクラーベ)』をようやく観てきた。実際の教皇選挙の後だったこともあり、興味深く鑑賞できた。ただ、対話シーンが延々と続き、英語の中に時折イタリア語・スペイン語・ラテン語が混じるため、字幕を追う頻度が高くなり、集中しづらかった。爆破テロによって礼拝堂の窓が吹き飛ぶシーンがなければ、疲れて寝てしまっていたかもしれない。映画は、ローマ教皇の死去を受けて、世界中の枢機卿たちがバチカンのシスティーナ礼拝堂に集い、新教皇を選出する極秘選挙「コンクラーベ」の内幕を描いたミステリードラマである。外部から完全に遮断された環境下で、投票が進むたびに情勢が激変し、聖職者たちが政治家のように権力闘争を繰り広げる。スキャンダルや陰謀が渦巻く中、信仰と組織、伝統と変革のはざまで葛藤する枢機卿たちの姿を通じて、現代社会の分断や人間の本質を浮き彫りにしていく。「密室のベールに包まれた選挙戦の行方と予測不能なサプライズが見どころ」との触れ込みだったが、要するに宗教の世界も政治と同じく、人間の営みである以上、権力闘争は避けられないということを描いている。

教皇選挙は、80歳未満の枢機卿(各地区代表)がシスティーナ礼拝堂に集まり、秘密投票を行う。3分の2以上の票を得た候補が現れるまで、1日に4回の選挙が繰り返される。結果は礼拝堂の煙突から出る煙の色で市民に伝えられ、黒煙は未決定、白煙は決定を意味する。選ばれた枢機卿が教皇の座を受諾すると、「Habemus Papam(ラテン語で“新教皇が誕生した”)」と発表される。映画の展開では、当初は黒人教皇の誕生が有力視されていたが、彼の不倫歴と隠し子の存在が発覚し支持を失う。次の候補である中間派の枢機卿も票の買収を行っていたことが明るみに出て失脚。爆破テロ騒動の混乱の中、保守派の枢機卿は「世界的リベラル運動は神をも恐れぬ」と煽り立てて支持を集めようとする。しかし、聖職者でありながら政治家のような熾烈な駆け引きが展開される中、戦場地域を巡回してきた無名のアフガニスタン出身の枢機卿が「我々は神の子だ」と正論を述べ、圧倒的な支持を得て新教皇に選出される。だが、最後にその新教皇がインターセックスの男性であったことが明かされ、幕が下りる。

どこか、今回のレオ14世誕生の教皇選挙とも似た展開だったので驚いた。脚本はピーター・ストローハンが手がけ、ロバート・ハリスの小説『Conclave』(2016年発表)を原作に脚色されたという。今回の実際の教皇選挙でも、当初は地元バチカンの枢機卿が優位と見られていたが、フランシスコ前教皇と同様にリベラル路線で、中国政府との距離が近すぎるとの批判が高まり、失速したとされる。中国ではカトリック司教の選出に政府の影響が強く、2018年にバチカンと中国政府の間で暫定合意が結ばれ、中国側が候補を選び、バチカンが承認するという枠組みができた。中国政府は国内のカトリック教会の統制を強化し、地下教会への弾圧も続けている。司教の選出には共産党支持者が選ばれる傾向があるという。この状況を容認してきたのが、フランシスコ前教皇および今回のバチカンの枢機卿とされる。一方、レオ14世教皇はシカゴ出身で、南米の貧困層を支えてきた実績が評価され、白羽の矢が立ったという。もちろん映画の脚本は昨年以前に完成していたわけだが、ストローハンの先見の明には驚嘆せざるを得ない。

レオ14世教皇2025年05月11日

レオ14世教皇
バチカンで行われたコンクラーベ(教皇選挙)において、ロバート・フランシス・プレボスト枢機卿(69)が第267代ローマ教皇に選出され、教皇レオ14世として即位した。米国出身の教皇は史上初であり、前教皇フランシスコの側近として教会改革を支えてきた人物である。コンクラーベでは4度目の投票でレオ14世が選出され、8日夕(日本時間9日未明)、システィーナ礼拝堂の煙突から白煙が上がり、新教皇の誕生が告げられた。その後、レオ14世はサンピエトロ大聖堂のバルコニーに姿を見せ、「あなた方に平和がありますように」とイタリア語で信者に語りかけた。レオ14世は教皇庁で司教省長官を務め、前教皇の外遊にも同行。教会内で論議の分かれる問題には慎重な姿勢をとり、教会の結束を重視してきた。一方で、今年2月にはバンス米副大統領が不法移民の大量送還を正当化した際、批判的な記事をSNSでシェアするなど、政治的発言も見られた。

シカゴ生まれのレオ14世は、フランス、イタリア、スペインにルーツを持ち、多言語に堪能。1985年から南米ペルーで活動し、2015~2023年には同国北部のチクラーヨ司教を務めた。教皇名は19世紀のレオ13世を継承し、労働者の権利擁護や資本主義への警鐘を鳴らした先代の精神を引き継ぐとみられる。今回のコンクラーベでは10人以上の候補が報道されていたが、プレボスト枢機卿の名前は有力候補として挙がっていなかった。今後の焦点は、前教皇フランシスコのリベラル路線の継承か、保守派の巻き返しかが注目されるという。カトリックのトップが誰であれ、指導者を持たない仏教や神道文化の日本では関心が薄いかもしれないが、世界的には注目の話題である。キリスト教は全世界で約24億人の信徒を擁し、その最大宗派であるカトリックは世界的な影響力を持つ。欧米各国の首脳も、フランシスコ前教皇の葬儀に参列した。

カトリックが世界的宗教組織となった背景には、ローマ帝国との結びつきと中央集権的な教会制度がある。帝国の国教化により行政ネットワークを通じて信仰が広まり、教皇を頂点とする組織構造が整えられた。中世以降は修道会や宣教師が教育・布教に尽力し、特に大航海時代にはスペインやポルトガルの植民地支配と共に世界各地へ拡大した。さらに、学校や病院といった社会インフラを通じて地域に根を下ろし、文化・教育面でも深い影響を及ぼした。カトリックは、大航海時代までの覇権国家とともに発展したともいえる。このような中央集権的権威に反発して分かれたのがプロテスタントであり、現代風に言えば、より民主的・ナショナリズム的な宗派である。封建的グローバリズムとも見られる旧来のカトリックに対し、現代のカトリックは民主的グローバリズムへと変化し、現代の政治勢力と新たな形で結びつきながら、世界に影響を与え続けている点は興味深いといえる。

アラビア湾発言2025年05月08日

アラビア湾発言
トランプ大統領が来週の中東訪問中に「ペルシャ湾」の呼称を「アラビア湾」に変更する方針であると、複数のアメリカメディアが報じた。一部のアラブ諸国では「アラビア湾」という呼称が一般的だが、国際的には「ペルシャ湾」が正式名称とされている。トランプ氏は第一次政権時の2017年にも「アラビア湾」と発言しており、当時はイランとの関係が緊張していた。7日の記者会見では「誰の感情も傷つけたくない」と述べ、呼称変更について慎重に判断する姿勢を示した。一部では、今回の動きにはアメリカへの投資促進やイスラエルへの譲歩を引き出す狙いがあるとの見方もある。これに対し、イランのアラグチ外相はSNSで「ペルシャ湾の名称は歴史的に定着している」と反発。名称変更は「イランに対する敵意であり、すべてのイラン人への侮辱だ」と強く非難した。トランプ氏は2025年1月に「メキシコ湾」を「アメリカ湾」に改名しており、こうした地名変更の動きは続いている。デナリ山をマッキンリー山に変更したことに始まるトランプ氏の地名変更騒動が中東にまで飛び火した形だが、実は8年前からその主張をしていたとは初めて知った。

以前にも述べたが、自国の地名をどのように変更しようと、それは主権の問題であり、他国がとやかく言うべきことではない。しかし、他国が関係する地名まで一方的に変えるのは幼稚な行為である。もちろん、海洋は複数の国が接しているため、各国に名称の主張があるのは事実だが、その場合は世界中が長年慣れ親しみ、定着している呼称を使えば何の問題もない。あえて別の名称を使うことは、むしろ挑発行為と受け取られるだろう。とはいえ、日本版のGoogleマップではすでに「メキシコ湾」が「アメリカ湾」と併記されている。アメリカ版では、2月に米国の地理名称情報システム(GNIS)が正式に名称を更新したことを受け、「アメリカ湾」と表記されているようだ。AppleマップやBingマップは依然として旧来の表記のままだが、近く「アメリカ湾」に改定されるとの情報もある。しかし、国際的な海域名称の変更には、国際水路機関(IHO)や国連地名標準化会議といった国際機関の承認が必要であり、米国単独での変更は難しい。そのため、「ペルシャ湾」を「アラビア湾」に変更したとしても、国際的な認知は得られないだろう。

アメリカ国内の地図制作会社は紙の地図の修正で大忙しだろうが、その姿は滑稽にすら映る。今回のトランプ発言は、アラブ諸国に配慮したつもりかもしれないが、「ペルシャ湾」という名称は紀元前にまで遡る由緒ある呼称であり、伝統を重んじるべき保守派の姿勢としては矛盾していると言わざるを得ない。この問題は、かつて韓国が「日本海」を「東海」へと変更するよう主張したことを思い起こさせる。あの時、韓国はリベラル政権だったが、今となっては「保守」や「リベラル」といったラベルにはあまり意味がなくなってきている。現代の政治的対立軸は、ナショナリズム対グローバリズム、そして民主主義対権威主義という複合的な枠組みで捉えるべきなのかもしれない。トランプ氏はしばしば「独裁的なナショナリスト」と揶揄されるが、民主的な選挙が保障されている限り、正確には「民主的ナショナリスト」と呼ぶべきだろう。したがって、民主的グローバリズムを志向する日本やEU諸国、カナダなどにとっては、トランプの行動は理解しがたいものに映るのかもしれぬ。

カシミール問題2025年05月07日

カシミール問題
インド北部ジャム・カシミール州の観光地で、26人が銃撃により殺害されたテロ事件を受け、インド政府はこれをパキスタンによる越境テロと断定。インダス川の水資源条約の停止、外交関係の格下げ、ビザ発給の停止など、厳しい対抗措置を発表した。インダス条約停止は初の措置であり、パキスタンへの水供給に影響が及ぶ可能性がある。これに対し、パキスタンもインドとの貿易停止などの報復措置を発表し、両国関係はさらに緊張している。犯行は「カシミール抵抗勢力」を名乗るグループが声明を出し、地域への「部外者」の定住に反発していると主張。パキスタンは関与を否定しているが、カシミールでは長年イスラム過激派が活動しており、インドは繰り返しパキスタンのテロ支援を非難してきた。ガザやウクライナの戦禍に目を奪われがちだったが、イスラムが関わるもう一つの紛争がここにもある。根源は1947年の英国による植民地返還の曖昧さにあり、ロシア(旧ソ連)や中国の関与が紛争を激化させてきた。カシミール問題はインドとパキスタンの領有権争いだ。ムスリム多数のカシミールをヒンドゥー教徒のマハラジャ王が中立政策で治めていたが、パキスタン側の侵攻により王はインドへの編入を要請し、第一次印パ戦争が勃発したのが発端。国連の仲介で分割統治となったが、イスラム過激派によるテロは現在も続いている。

さらに厄介なのは、両国間の対立を背景に進められた核開発である。インドは独立後に核開発を開始し、1964年の中国の核実験を契機に加速。1974年に初の核実験を行い、1998年には5回の核実験を実施し、核保有を確立した。一方、パキスタンは1972年に核開発を開始し、1983年にウラン濃縮技術を確立。インドの1998年の核実験に対抗し、同年6回の核実験を実施。2004年には科学者A.Q.カーンによる核技術のイラン、リビア、北朝鮮への拡散が発覚した。現在、パキスタンは約170発の核弾頭を保有しているとされ、両国の核開発は対立の核心の一つとなっている。インドは中国の核武装に対抗して旧ソ連から、パキスタンはそのインドに対抗して中国から技術供与を受けたという構図だ。中国もソ連も国連安全保障理事国でありながら、IAEA加盟国としての義務に反し、核の軍事転用を助長する行動を繰り返し、戦後一貫してこの地域の不安定化に影響を及ぼしてきた。

カシミール地方は、ヒマラヤ山脈やダル湖など豊かな自然に恵まれ、「地上の楽園」とも称される。観光業が盛んで、トレッキングや水上マーケットが人気を集める。特産品にはカシミアウールやサフランがあり、農業や畜産も地域経済の柱となっている。歴史的にはヒンドゥー教、イスラム教、仏教が共存し、独自の文化が育まれてきた。ムガル帝国時代の庭園やモスクも現存し、伝統的な織物や料理も魅力のひとつである。近年は紛争の影響で観光業が打撃を受けているが、カシミールの自然と文化の豊かさは今なお多くの人々を惹きつけている。カラコルム山脈はパキスタン、インド、中国にまたがり、世界第2位の高峰K2(8,611m)を擁する。険しい地形と氷河に覆われたこれらの山々は、80年近くにらみ合う人間たちを静かに見守ってきた。しかし、いつか神々の鉄槌が振り下ろされないとも限らない。
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