政府とメディアは誰の味方か ― 2025年08月10日
7月30日夜、大阪・西成区。中国人観光客の男子大学生が日本人の男に襲われた。首を絞められ、財布とスマホを奪われるという強盗傷害だ。犯人は現行犯逮捕。ここまでなら日常の犯罪報道で終わる話だが、その後の動きがやけに早く、そして派手だった。中国駐大阪総領事館は事件発生直後に被害者と接触し、見舞いを表明。さらに日本政府に対し4項目の要求──「犯人の厳正処罰」「中国人の安全確保」「再発防止の徹底」「在日中国人・観光客の合法的権益保護」。声明には「最近、中国人を狙った襲撃事件が相次いでいる」という一文まで盛り込まれた。外務省への抗議も即日実施。まさに“フルスロットル外交”である。
しかし、大阪といえば強盗や詐欺をはじめ、中国人による犯罪が後を絶たない土地でもある。今年だけでも、中国籍の男がコンビニで店員を刃物で刺して重傷を負わせ、売上金を奪うという凶悪事件が報じられたばかりだ。警察庁の統計でも、大阪府内で検挙された来日外国人の中で中国籍の割合は高く、特殊詐欺や万引き、窃盗団の摘発も後を絶たない。地元警察関係者は「中国人が被害者になるケースより、加害者になるケースの方が圧倒的に多い」と口をそろえる。こうした背景を知る日本の捜査当局は今回も「特定国籍を狙った犯行ではない」と冷静だが、中国側はあえて“民族的被害”の色を強調してきた。政治的レトリックとしては熟練の手口だ。
そんな空気が冷めやらぬ翌日、今度は中国・蘇州市で日本人母子が襲撃される。地下鉄駅構内、朝の人波の中で中国人の男が突然襲いかかり、母親は石のような凶器で殴られ重傷。金品狙いでも性的動機でもなく、“日本人だから”襲った可能性が高いとされる。だが、日本政府の反応は「極めて遺憾」の一言。渡航危険情報の引き上げもなければ、抗議声明の有無すら不明。外務省は「個別事案には回答しない」と繰り返し、説明責任を事実上放棄した。こうした“腰の重さ”は今回に限ったことではない。過去にも、中東やアジアで邦人が襲撃・拘束された際、現地政府への抗議や情報開示は控えめで、家族が記者会見で訴えてようやく動き出す例が繰り返されてきた。中国のように即応し、強く主張する姿勢とは対照的だ。
不可解なのはメディアの扱い方も同じだ。大阪の事件も蘇州の事件も、報道は事実を淡々と伝えるだけで、背景や制度的欠陥への掘り下げはほぼ皆無。その一方で、参政党など保守系野党の「日本人ファースト」発言となれば、「排外主義」「ヘイトスピーチ」のレッテルが飛び交い、テレビや新聞は一斉に批判モードに入る。TBS『報道特集』は専門家コメントで危険性を強調し、参政党はBPOに抗議した。現実の襲撃事件より、実害のない“言葉”を優先的に叩く──これでは“権力監視”ではなく“言論監視”だ。報道機関は本来「国民の知る権利」を代行する存在のはずが、いつの間にか「特定の価値観の代弁者」に変貌している。背景やデータを示して論じるべき場面で、政治的ラベリングだけが先行する。結果として、国民は事実ではなく“解釈”だけを与えられる構図だ。
結局、問われるのはこの一点だ。「この国の政府とメディアは、誰の味方なのか」。自国民が殴られても抗議もせず、他国民の被害には即座に反応する。事件の本質に踏み込まず、政党の発言を“排外”と断じる。こうした報道と外交の在り方は、国民の信頼をじわじわと削り取っていく。私たちが直視すべきなのは、事件そのものより、この国の反応の遅さと歪みではないか。
しかし、大阪といえば強盗や詐欺をはじめ、中国人による犯罪が後を絶たない土地でもある。今年だけでも、中国籍の男がコンビニで店員を刃物で刺して重傷を負わせ、売上金を奪うという凶悪事件が報じられたばかりだ。警察庁の統計でも、大阪府内で検挙された来日外国人の中で中国籍の割合は高く、特殊詐欺や万引き、窃盗団の摘発も後を絶たない。地元警察関係者は「中国人が被害者になるケースより、加害者になるケースの方が圧倒的に多い」と口をそろえる。こうした背景を知る日本の捜査当局は今回も「特定国籍を狙った犯行ではない」と冷静だが、中国側はあえて“民族的被害”の色を強調してきた。政治的レトリックとしては熟練の手口だ。
そんな空気が冷めやらぬ翌日、今度は中国・蘇州市で日本人母子が襲撃される。地下鉄駅構内、朝の人波の中で中国人の男が突然襲いかかり、母親は石のような凶器で殴られ重傷。金品狙いでも性的動機でもなく、“日本人だから”襲った可能性が高いとされる。だが、日本政府の反応は「極めて遺憾」の一言。渡航危険情報の引き上げもなければ、抗議声明の有無すら不明。外務省は「個別事案には回答しない」と繰り返し、説明責任を事実上放棄した。こうした“腰の重さ”は今回に限ったことではない。過去にも、中東やアジアで邦人が襲撃・拘束された際、現地政府への抗議や情報開示は控えめで、家族が記者会見で訴えてようやく動き出す例が繰り返されてきた。中国のように即応し、強く主張する姿勢とは対照的だ。
不可解なのはメディアの扱い方も同じだ。大阪の事件も蘇州の事件も、報道は事実を淡々と伝えるだけで、背景や制度的欠陥への掘り下げはほぼ皆無。その一方で、参政党など保守系野党の「日本人ファースト」発言となれば、「排外主義」「ヘイトスピーチ」のレッテルが飛び交い、テレビや新聞は一斉に批判モードに入る。TBS『報道特集』は専門家コメントで危険性を強調し、参政党はBPOに抗議した。現実の襲撃事件より、実害のない“言葉”を優先的に叩く──これでは“権力監視”ではなく“言論監視”だ。報道機関は本来「国民の知る権利」を代行する存在のはずが、いつの間にか「特定の価値観の代弁者」に変貌している。背景やデータを示して論じるべき場面で、政治的ラベリングだけが先行する。結果として、国民は事実ではなく“解釈”だけを与えられる構図だ。
結局、問われるのはこの一点だ。「この国の政府とメディアは、誰の味方なのか」。自国民が殴られても抗議もせず、他国民の被害には即座に反応する。事件の本質に踏み込まず、政党の発言を“排外”と断じる。こうした報道と外交の在り方は、国民の信頼をじわじわと削り取っていく。私たちが直視すべきなのは、事件そのものより、この国の反応の遅さと歪みではないか。