長嶋茂雄逝く ― 2025年06月03日

長嶋茂雄が亡くなった。その報に接したとき、まず思い出したのは、子供の頃の夏の日の光景だった。テレビの前で、巨人ファンの親父が長嶋・王のアベックホームランに大声で歓声を上げる。一方、隣の阪神ファン一家は、長嶋が空振り三振するたびに拍手と歓声で応じる。エアコンがまだ普及していなかったあの時代、窓から入り込む両家の応援合戦が、夏の風物詩のように喧しかった。だが、いま思えば、それもまた懐かしく、温かな記憶である。実家では父だけが巨人ファンで、母も兄弟もみな阪神派だった。けれど、父の機嫌を損ねたくなかった自分は、心の中で阪神を応援しつつも、家を出るまで"隠れ阪神ファン"として振る舞っていた。それでも、長嶋茂雄と王貞治、この二人のスターは、誰にとっても別格の存在だった。
長嶋茂雄は、巨人の黄金時代を築き上げ、「ミスタープロ野球」として数え切れないほどのファンに愛された。立教大学から巨人に入団し、1年目で新人王を獲得。阪神との伝説の天覧試合では、村山実投手からサヨナラ本塁打を放ち、プロ野球ブームを巻き起こした。現役時代は、王貞治との「ONコンビ」として活躍し、巨人のV9達成に大きく貢献した。引退時の「わが巨人軍は永久に不滅です」という言葉は、今も多くの人の記憶に残る名フレーズであり、その背番号3は永久欠番となった。通算成績は打率3割5厘、2471安打、444本塁打、1522打点。首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回という輝かしい記録を残している。監督としても巨人を率い、リーグ優勝5回、日本一2回を達成。なかでも、王監督率いるダイエーとの「ON対決」は、プロ野球ファンにとって夢の舞台だった。晩年は病と闘いながらもリハビリを続け、野球界への情熱を失わなかった。野球殿堂入り、国民栄誉賞、文化勲章など、日本スポーツ界に不滅の名を刻んだその姿は、永遠に語り継がれていくだろう。
王貞治と長嶋茂雄。日本プロ野球を象徴するこの二人は、それぞれ異なる魅力を放っていた。王は、精密なバッティングと一本足打法で868本塁打を記録。冷静でストイックな性格と、結果を追求する姿勢が印象的だった。一方、長嶋は豪快で華やかなプレースタイルに加え、ユーモアとカリスマ性で観客を魅了した。王が「記録の男」なら、長嶋は「記憶の男」だった。あえてたとえるなら、王は緻密で高性能な日本車のような存在。長嶋は、よくエンストするけれど、華麗で馬力のあるアメリカ車のようだった。どちらも魅力的で、どちらも大好きだった。ミスタープロ野球、長嶋茂雄氏のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
長嶋茂雄は、巨人の黄金時代を築き上げ、「ミスタープロ野球」として数え切れないほどのファンに愛された。立教大学から巨人に入団し、1年目で新人王を獲得。阪神との伝説の天覧試合では、村山実投手からサヨナラ本塁打を放ち、プロ野球ブームを巻き起こした。現役時代は、王貞治との「ONコンビ」として活躍し、巨人のV9達成に大きく貢献した。引退時の「わが巨人軍は永久に不滅です」という言葉は、今も多くの人の記憶に残る名フレーズであり、その背番号3は永久欠番となった。通算成績は打率3割5厘、2471安打、444本塁打、1522打点。首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回という輝かしい記録を残している。監督としても巨人を率い、リーグ優勝5回、日本一2回を達成。なかでも、王監督率いるダイエーとの「ON対決」は、プロ野球ファンにとって夢の舞台だった。晩年は病と闘いながらもリハビリを続け、野球界への情熱を失わなかった。野球殿堂入り、国民栄誉賞、文化勲章など、日本スポーツ界に不滅の名を刻んだその姿は、永遠に語り継がれていくだろう。
王貞治と長嶋茂雄。日本プロ野球を象徴するこの二人は、それぞれ異なる魅力を放っていた。王は、精密なバッティングと一本足打法で868本塁打を記録。冷静でストイックな性格と、結果を追求する姿勢が印象的だった。一方、長嶋は豪快で華やかなプレースタイルに加え、ユーモアとカリスマ性で観客を魅了した。王が「記録の男」なら、長嶋は「記憶の男」だった。あえてたとえるなら、王は緻密で高性能な日本車のような存在。長嶋は、よくエンストするけれど、華麗で馬力のあるアメリカ車のようだった。どちらも魅力的で、どちらも大好きだった。ミスタープロ野球、長嶋茂雄氏のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。