「言った言わない」が国を貶める2025年08月27日

「言った言わない」が国を貶める
政治家の「言葉」は、時に国を揺るがす凶器と化す。赤沢経済再生担当大臣の訪米中止劇は、その最たる例だろう。本来ならトランプ政権との直接交渉に臨むはずが、理由は「事務レベルで確認すべき事項が発生した」。聞けば聞くほど腰の引けた言い訳にしか聞こえない。実際は交渉が暗礁に乗り上げ、日米の溝が表面化したのは明らかだ。赤沢氏は「文書は不要」「プロ同士の信頼で十分」と胸を張ったが、米国側は共同文書の作成を当然のように要求。巨額投資をめぐってトランプ前大統領は「利益の九割は米国が取る」と言い放ち、日本政府は「そんな合意はしていない」と否定した。一方で、米国の官報には「日本製品に15%上乗せ」と読める一文。証拠となる文書を残さなかったことが仇となり、「言った言わない」の泥沼で大騒ぎとなった。

国際交渉において文書は強者の道具ではなく、むしろ弱者が身を守るための盾だ。それを軽んじる政権の体質は、説明責任を忌避する病理にほかならない。石破首相自身、過去には「検討していない」と突っぱねた政策を平然と打ち出し、ポピュリズムを批判しつつバラマキを展開するなど、言行不一致は日常茶飯事だ。その場しのぎの言葉が、政権全体の信用を食いつぶしている。外務、総務の各大臣も「個別には答えられない」「調査中だ」と繰り返す。もはや資質の問題ではなく、石破禍に巣くった「無責任病」と呼ぶべき慢性疾患だろう。いっそ、前言を翻したり答弁拒否を三度繰り返したら即交代、という“3アウト制”でも導入すべきではないか。

政治家の言葉は、国の進路を決める羅針盤である。赤沢氏の訪米中止は、単なる外交失敗ではなく、石破政権の統治システムの空洞化を映し出す鏡だ。もはや小手先の修正では治らない。政治に「言葉の重み」を取り戻す処方箋は、石破政権交代以外に残されていない。