鳩山元首相「抗日」行事出席 ― 2025年08月28日
鳩山由紀夫元首相が北京での「抗日戦争勝利80周年」記念行事に出席する。このニュースは、石破政権の無能を白日の下にさらす象徴的事件となった。しかも舞台裏では、日米間で最重要課題とされる関税交渉がまだ決着していない。そんな瀬戸際に、元首相が中国の“歴史ショー”に登壇する愚行を許した政権の統治能力は、もはや臨界点に達していると言っていい。中国は8月28日、鳩山氏の出席を大々的に発表。洪磊外務次官補は「日本は歴史を直視せよ」と言い放ち、防衛費拡大や武器輸出解禁を名指しで批判した。狙いは明快だ。元首相という「象徴的人物」を利用し、日本の歴史認識に分裂があると国際社会に印象づける。北京にとって鳩山は格好の“駒”である。
だが、より深刻なのは日本政府の対応である。外交ルートを通じて欧米諸国に「参加を控えるように」と非公式に依頼しただけで、政府としての公式な見解は一切示されなかった。これは、責任を回避し、制度の陰に身を隠す、いつもの「玉虫色」の対応にほかならない。そして元首相が私人とはいえ参加表明したことは、国家の立場を著しく損なうものであり、外務省の依頼はもはや道化の域に達している。
関税交渉が大詰めを迎える中、こうした曖昧対応が同盟国・米国にどう映るかを考えれば、政権の危機管理能力は底が知れている。米国は中国・ロシアと真っ向から対峙している。その米国に対し、日本が「歴史認識で割れている」という印象を与えれば、交渉テーブルでの信頼は一気に失墜する。しかも不安を煽る要素はほかにもある。日本はインドへの10兆円規模の投資を推し進めているが、そのインドは依然としてロシアと防衛・エネルギーで深く結びついている。米国から見れば「日本は巨額の資金を通じて間接的にロシアを支えている」構図にすら映りかねない。そこへ鳩山の訪中報道が重なれば、ワシントンが日本の戦略的信頼性を疑うのは必然だ。
つまり、関税交渉の停滞、インド投資の矛盾、そして鳩山訪中という三重苦が、日本外交の信頼をじわじわと食い潰している。石破政権は「私人の行動」と切り捨てて責任を免れたつもりかもしれない。しかし国際社会は私人と国家を峻別してはくれない。要職経験者の動きを制度的に統制できず、曖昧に済ませる政権は、同盟国から見れば「無能な相棒」でしかない。鳩山訪中は単なる一元老の行動ではない。制度の透明性欠如、外交統御力の欠落、そして国益軽視の体質を赤裸々に示す“事件”である。関税交渉という最前線を抱えながら、石破政権が見せたのは無責任と無策の連鎖にすぎない。このままでは、日本は交渉でも安全保障でも「信用の割引」を受け続けるだろう。石破政権に、国益を守る資格はない。
だが、より深刻なのは日本政府の対応である。外交ルートを通じて欧米諸国に「参加を控えるように」と非公式に依頼しただけで、政府としての公式な見解は一切示されなかった。これは、責任を回避し、制度の陰に身を隠す、いつもの「玉虫色」の対応にほかならない。そして元首相が私人とはいえ参加表明したことは、国家の立場を著しく損なうものであり、外務省の依頼はもはや道化の域に達している。
関税交渉が大詰めを迎える中、こうした曖昧対応が同盟国・米国にどう映るかを考えれば、政権の危機管理能力は底が知れている。米国は中国・ロシアと真っ向から対峙している。その米国に対し、日本が「歴史認識で割れている」という印象を与えれば、交渉テーブルでの信頼は一気に失墜する。しかも不安を煽る要素はほかにもある。日本はインドへの10兆円規模の投資を推し進めているが、そのインドは依然としてロシアと防衛・エネルギーで深く結びついている。米国から見れば「日本は巨額の資金を通じて間接的にロシアを支えている」構図にすら映りかねない。そこへ鳩山の訪中報道が重なれば、ワシントンが日本の戦略的信頼性を疑うのは必然だ。
つまり、関税交渉の停滞、インド投資の矛盾、そして鳩山訪中という三重苦が、日本外交の信頼をじわじわと食い潰している。石破政権は「私人の行動」と切り捨てて責任を免れたつもりかもしれない。しかし国際社会は私人と国家を峻別してはくれない。要職経験者の動きを制度的に統制できず、曖昧に済ませる政権は、同盟国から見れば「無能な相棒」でしかない。鳩山訪中は単なる一元老の行動ではない。制度の透明性欠如、外交統御力の欠落、そして国益軽視の体質を赤裸々に示す“事件”である。関税交渉という最前線を抱えながら、石破政権が見せたのは無責任と無策の連鎖にすぎない。このままでは、日本は交渉でも安全保障でも「信用の割引」を受け続けるだろう。石破政権に、国益を守る資格はない。