補正20兆円と超長期金利2025年11月27日

補正20兆円と超長期金利
永田町が12月を迎えると決まって起きる儀式がある。補正予算の編成だ。そしてその度に聞こえてくるのが、「規模が大きすぎる」「財政規律が緩む」という、もはや季語のような批判である。だが、今年に限っては事情が違う。市場のほうが一歩早く、より冷徹な視点で“本当に危ないもの”に警鐘を鳴らしているからだ。政治家たちが口を揃えて「赤字が」「規律が」と唱える一方で、世界の主要国はすでに議論の地平を変えてしまった。短期の景気循環にどう対応するかという話と、超長期の債務が持続可能かという話は、まったく別の回路で考えるべきだ――。これが国際標準である。しかし日本は、この二つをごちゃ混ぜにして議論することで、逆に市場の動きを誤読し続けてきた。

そんな“誤読”の典型例として経済史に刻まれたのが、2022年秋の英国トラス政権だろう。大型減税と歳出拡大を同時にぶち上げながら、需給バランスへの説明を欠いた。市場が激怒した理由は、「財政赤字が増えるから」ではない。インフレ圧力が跳ね上がる政策を、景気の読み違いのまま実行した点だ。金利が跳ね、ポンドが売られ、たった数週間で政権は瓦解した。PB(プライマリーバランス)が黒か赤か、そんな単純な話ではなかった。循環点を外した政策は、たとえ“改革”の看板を掲げていようが、市場の信認を一瞬で吹き飛ばす。

では、いまの日本はどうか――。論点の第一は補正予算の規模だ。GDPギャップは依然10〜20兆円あると見られる。需給が冷えている以上、財政政策で埋めるのはむしろ教科書通りである。したがって、20兆円規模の補正は、経済学的には十分に妥当だ。これを「財政危機の前兆」と読むのは早計で、むしろ景気の下支えとして自然な水準である。市場もここには神経質になっていない。永田町で騒ぎになるほど、マーケットは補正規模を“危険信号”として受け止めていないのだ。

だが、話はここで終わらない。むしろ本丸はここから先にある。市場が敏感に反応しているのは、「ドーマー条件」と呼ばれる、国債の超長期的な安全性を左右する指標だ。ざっくり言えば、名目成長率が国債金利より高ければ(成長>金利)債務比率は安定し、逆なら悪化するという極めてシンプルな関係だ。補正規模とは次元の違う、長期の“生命線”である。

実は、今日の超長期国債利回りの上昇は、この生命線が細り始めているとの警戒によるものだ。市場は今、名目成長率が頭打ちになりつつあると読み始めている。賃上げの勢いは鈍り、エネルギーはディスインフレ傾向、企業の設備投資もどうにも慎重だ。いわば「成長のエンジン音が静かになってきた」のを市場は聞き逃さない。一方、米欧の長期金利上昇に引きずられ、国内の超長期金利はじわじわと上昇している。つまり、成長率と金利の差が悪化する方向に動いた――市場はそこにこそ危険を嗅ぎ取ったわけだ。金利上昇は「赤字だから売られた」などという雑な話ではない。もっと合理的で冷ややかな読みがある。「日本の成長力が弱まりつつある一方で、国債金利は世界要因で上がっていく。長期の安全率が崩れるかもしれない」――これが市場が本当に恐れているシナリオだ。

ここまで整理すれば、永田町で繰り返される「補正が大きい=危険」という議論が、いかに時代遅れかが分かるだろう。必要なのは“短期”と“長期”の切り分けである。短期はGDPギャップを埋めるための積極財政。長期は金利と成長率のバランスを安定させるための成長戦略と構造改革。この二つは車の両輪であり、どちらが欠けても日本の財政は前に進まない。

にもかかわらず、政治の世界では、相変わらず「家計の赤字と同じだ」という素朴な連想が幅を利かせている。だが財政の本質は、そんな素朴な道徳論では測れない。市場はいつだって、はるかに冷徹で合理的だ。政府が赤字か黒字かではなく、国がこれからどれだけ成長できるのか。そして、その成長を支える金利環境を維持できるのか。市場はずっとそこだけを見ている。永田町が家計簿の“収支”に気を取られている間に、市場はもう“成長と金利のバランス”という本質的リスクを読み切って動いている。補正予算の大小をめぐる古い論争に時間を費やしている場合ではない。政治が本来向き合うべき問いは、もっと残酷で、もっと逃げ場のないものだ。日本は、やっと戻ってきた成長力と金利の差をプラスのまま維持し続けられるのか。この一点である。