「学歴社会に賛成」65%2026年02月06日

「学歴社会に賛成」65%
「学歴社会」という言葉に、いつまで縛られ続けるのだろう。時代遅れだと嘲笑しながら、実際には子どもを塾に送り込み、受験競争に身を投じさせ、自らもまたその制度の歯車として回り続けている。否定しながら依存する。この倒錯した構図こそが、日本社会の停滞を長期化させてきた最大の原因だ。

パーソルキャリアの調査によれば、社会人の約65%が「学歴社会に賛成」と回答している。その理由は、「適応力の判断材料になる」「努力が可視化される」「頑張った者が報われるべきだ」といった情緒的で保守的な言葉が並ぶ。学歴とは能力証明ではない。過去に支払った時間と忍耐を正当化するための“領収書”に過ぎないのだ。一方、同じ調査で約6割が学歴社会を「古い」と感じている。頭では疑いながら、行動では肯定する。この矛盾は個人の迷いではない。日本の労働市場と教育制度、企業慣行が長年かけて作り上げてきた、構造的な学歴依存の必然的帰結である。

企業が学歴に執着する理由は単純だ。日本独自の新卒一括採用と総合職モデルにおいて、学歴は最も安価で、最も説明責任を要しない選別装置だからである。企業が大学名で測っているのは専門性ではない。「無難さ」「協調性」「組織に従うために努力できるか」という資質を、雑に一括判定しているだけだ。そして一度貼られたラベルは、配属、昇進、評価にまで影を落とす。十代後半の受験結果が、数十年にわたる職業人生の通行手形として使い回される。この構造が温存される限り、「学歴は古い」という正論は、何の力も持たない。

この学歴依存がもたらした代償は重い。進路選択は狭まり、専門性を磨く機会は奪われ、結果として生涯所得は伸び悩む。家計は過剰な教育投資に追い込まれ、塾、私立校、都市部への仕送りが常態化する。さらに、学歴偏重が生む職業ミスマッチによって、生涯で数千万円規模の所得損失が発生しているとの推計もある。優秀な若者は「大企業の看板」を求めて都市へ流れ、地方の中小企業は慢性的な人手不足に陥る。学歴という虚像に固執した結果、日本は人材も成長も自ら削り取ってきたのだ。

国際的に見れば、日本の学歴の意味はきわめて特殊である。欧米では学歴は「専門性の証明」に直結する。職務給が基本の社会では、学位は遂行可能な仕事の範囲を示し、医療や法務、工学といった分野で高い報酬を得るのは合理的な結果だ。対して日本では、学歴は能力ではなく階層を固定する装置として機能してきた。新卒一括採用という強固なフィルターが、その効力を不自然なほど長期化させ、穏やかだが逃げ場のない「学歴カースト」を形成している。

では、この呪縛をどう断ち切るのか。答えは精神論ではない。必要なのは、冷酷なまでの賃金構造の転換である。介護、保育、物流、建設といった社会を支える現場、そして高度な技能を持つ専門職の賃金を、事務中心のホワイトカラーより高く設定する。それだけで若者の視線は「大学名」から「身につけるべきスキル」へ移る。欧州では、職業教育を経た専門職が高い地位と報酬を得るエリートルートとして確立されている。日本も高専や専門学校の価値を再定義し、実学を正面から評価すべきだ。企業が年功序列を捨て、職務内容に対して賃金を支払う職務給へ移行すれば、学歴フィルターという怠惰な選別は自然に崩壊する。

学歴社会は、個人の意識改革を待って終わるものではない。採用、賃金、教育という社会の骨格を組み替える構造改革によってのみ終焉を迎える。空虚な序列を壊し、真の専門性と貢献に報いる仕組みを作ること。それこそが、停滞を続ける日本が再び動き出すための、最も現実的で、先送りできない選択だ。