構造化は子どものためにある ― 2022年09月21日
借りたい本があったので久々に元職場を訪ねた。懐かしい子どもの顔があった。たった半年だが背が伸びて顔が長くなっている。子どもはどんどん変わっていくが、大人はちっとも変わらない。3年間説明し続けた構造化支援も元通りの間違った使い方に戻っていた。入室時に靴を履き替えてほしいのでワークシステムで「靴をぬぐ」「靴箱に入れる」「連絡帳をBOX入れる」という連続課題を絵カード化している。しかし、絵は抽象化したアイコンだし文字が読めない子供なのに文字の方が大きい。しかも皆一律に同じものを使っている。気が付く職員がいなくなると全てが元通りなのだ。構造化支援は子どもの主体性を育むためにある。重度の人が決まった日常生活で四六時中支援者の声掛けや介助がなくても動けるための工夫だ。理解の仕方も障害の重さや生活経験によって差があるから個別にカスタマイズされた支援でないと効果が上がらない。
ところがカードを使えば構造化支援をしていると勘違いしている支援者は少なくない。同じことを1カ月続けて効果がなければその支援はカスタマイズが間違っているのだ。子供の目線で考える子供の理解度で考えるという利用者ファーストの視点が大事だ。もしも自分の指示書がアラビア語で書かれていれば意味が分かるはずもないだろう。読む方向すらわからない。自分がわからないことに取り組むならどんな支援がNGかわかるはずだ。しかし、職員が誰もわかっていないとすれば、悔しいがワシの職員への支援がNGだったということだ。この道は何度も通ってきた道だが、構造化支援を理解し職員マネージメントの上手な人材に引き継ぐ以外に持続可能な方法が見出せない。だが、そんな万能な人間が簡単に育つわけがない。支援者の未知な可能性や善意に頼るのではなく、給与や権限と連動した支援者階層制度を作るしか道はないのか。
ところがカードを使えば構造化支援をしていると勘違いしている支援者は少なくない。同じことを1カ月続けて効果がなければその支援はカスタマイズが間違っているのだ。子供の目線で考える子供の理解度で考えるという利用者ファーストの視点が大事だ。もしも自分の指示書がアラビア語で書かれていれば意味が分かるはずもないだろう。読む方向すらわからない。自分がわからないことに取り組むならどんな支援がNGかわかるはずだ。しかし、職員が誰もわかっていないとすれば、悔しいがワシの職員への支援がNGだったということだ。この道は何度も通ってきた道だが、構造化支援を理解し職員マネージメントの上手な人材に引き継ぐ以外に持続可能な方法が見出せない。だが、そんな万能な人間が簡単に育つわけがない。支援者の未知な可能性や善意に頼るのではなく、給与や権限と連動した支援者階層制度を作るしか道はないのか。