神子田・遠野・中尊寺を行く2025年07月15日

中尊寺
盛岡の神子田(みこだ)朝市は、土地の人には名の知れた市である。宿のすぐ近くということで、ゲストハウスの主が「ひっつみ」を勧めてくれた。すいとんの類である。朝市は五時開店、七時半には閉まるというから、朝寝坊には不向きな場所である。盛岡の人々は、そこでラーメンや冷麺をすすってから職場へ向かうのだという。朝飯がっつり食とは一日の営みにとって理にかなっているかもしれぬが、こちらには少々重い。とはいえ地元の風俗見物の一環として、閉店ぎりぎりの七時過ぎに滑り込んだ。

市は掘っ立て小屋が100店舗近く出ており、週六日開かれている。串カツ、焼き鳥、唐揚げ、天ぷらと、胃袋が健康でないと太刀打ちできぬ品々が並ぶ。ひっつみの売り場には「噂のひっつみ」と看板があり、年配の夫婦――と見えたが真偽はわからぬ――が大釜の前で忙しく働いていた。英語表記は“Wide Noodles”。なるほど、広めの麺という訳だが、やや違う気もする。“Flat Dumplings”、平らな茹で団子の方がイメージに近くないか。食べてみると出汁がやわらかく胃に染み入る。ひっつみそのものは、小麦粉を練って延ばした生地をちぎって茹でたもの。讃岐うどんを切る前のような食感だが、釜揚げうどんよりもいくぶん柔らかい。その柔らかさを出すには、一晩冷蔵庫で寝かせるのがコツだと主が教えてくれた。春前にはテレビ局の取材もあったという。

中尊寺へ向かう予定だが、平泉の雨は午後から上がるらしい。それまでの時間を使って、途中に遠野を組み込んだ。遠野といえば民俗学の祖・柳田國男、『遠野物語』、そして河童、座敷童、山男――われわれの心の片隅に棲みついている“見えないもの”たちの棲処である。水木しげるもこの地を訪れ、妖怪の宝庫として多くを描いた。雨のせいか、遠野ふるさと村も博物館も人影まばらで、こちらは一人の見学となった。ふるさと村には、茅葺きの豪農屋敷が十数棟移築保存されているが、屋根の葺き替えにかかる費用だけでも今の家が一軒建つという。文化財の保存とは、文化の重みに対する人間の意志の問題でもある。

中尊寺は奥州藤原氏の祖・清衡が、戦乱の世に終止符を打ち、仏の理想郷を築こうと願って建てた寺である。なかでも金色堂は創建時の姿を今にとどめる。中尊寺を含む「平泉の文化遺産」は、浄土思想の視覚化として高く評価され、世界遺産に登録された。金色堂は空調の効いた遺産保存堂の中に入れ子のように入っている。牛若丸こと義経もまたこの地に縁が深い。少年期を平泉で過ごし、兄・頼朝の招きで鎌倉へ向かうが、のちに対立。再び平泉に戻るも、泰衡の軍に攻められ、衣川館で自刃した。その悲劇を今に伝えるのが中尊寺の「義経堂」である。栄枯盛衰は歴史の常。英雄の死も、寒村の民話も、すべては人の世の泡沫にすぎぬ。こうした営みを記す者がいて、それを語り継ぐ者がいて、今日の旅もまたその連なりのひとつなのかもしれない。一関の宿に着くと、台風の吹き返しが木々をしならせていた。風の音が耳を打ち、今日の記憶が眠りへと誘う。今日はここまで、明日は最終キャンプだ。