政治家の言葉2025年07月21日

石破氏は言葉に責任を
選挙でボロ負けしても辞めない政治家。もう驚くことでもないが、石破首相の「続投表明」は、その中でも群を抜く説得力のなさだった。与党は参院選で改選・総数ともに過半数割れ。衆院でも多数を失い、とうとう衆参ともに“少数与党”というお寒い状況に突入した。それでも石破氏は「政治空白は避けなければならない」「比較第1党として責任を果たす」などと殊勝なことを並べ立てた。だがその言葉が、いかにも空々しく響くのはなぜか。

理由は簡単。かつての石破氏が、まさにこういう状況の首相を“断罪”していたからだ。そう、あの2007年。参院選で過半数を失った安倍政権に対し、石破氏は「責任も取らないようでは自民党が終わる」とまで言い切っていた。衆院327議席という鉄壁の多数を持っていた安倍政権に、である。今の石破政権は、その当時よりもはるかに足元がグラグラ。衆参ともに過半数を失い、制度的にも政局的にも不安定。なのに本人は「国政の停滞を防ぐ」などと抽象的な理屈だけで居座る気満々。記者会見でも「国民の声を真摯に受け止める」と言いながら、責任の取り方は語らず、再建策もゼロ。結局「しばらく様子を見る」とお茶を濁しただけだった。

これがあの“説明責任”を振りかざしていた石破氏か。都合が悪くなれば自分には甘い。政治家の言葉が軽くなるのは、こうした前言撤回の積み重ねからだ。とはいえ、石破氏ばかりを責めてもいられない。党内には「火中の栗は拾いたくない」という空気が蔓延し、誰も次を引き受けようとしない。野党も野党で、解散総選挙を迫る気概すら見せない。選挙の勝敗より、議席数の出入りより、もっと深刻なのはこの“無責任の連鎖”である。「続投は方便だ」「逃げ切りたいだけだ」という声は、もう街頭だけではない。政治家が言葉に責任を持たないなら、有権者がそのツケを払わされることになる。信頼なき政治は、やがて信任も失う。石破氏の“自分の発言に責任持たぬ続投”は、その象徴に見えてならない。
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