伊東市長よお前もか ― 2025年08月01日
静岡県伊東市の田久保真紀市長が、学歴詐称問題をめぐって市政の信頼を大きく揺るがせた末、自らの政治的基盤を崩壊させた。辞任を表明しながら、わずか数日で撤回。市民の間には、混乱と失望が広がっている。田久保市長は、新図書館建設の中止や伊豆高原メガソーラー計画の白紙撤回といった、市民の生活感覚に根ざした政策で一定の評価を得ていた。だが、東洋大学を「卒業」としていた学歴が、実際には除籍だったことが発覚。しかも、いつその事実を認識したのかをめぐって説明が二転三転し、百条委員会への出席も拒否。証拠の提出も行わないなど、説明責任を果たそうとしない姿勢が批判を呼んだ。市民の多くは当初、「経歴の問題はあるが、政策には共感していた」と一定の理解を示していた。そもそも怪文書から始まったこの騒動は、反市長派の政治的策動の疑惑も感じられ市民は冷静だった。しかし辞任表明の後、突如として続投を宣言。しかもその理由として「市民の声に背中を押された」と語ったことで、さらなる反発を招いた。「潔くない」「政治を軽んじている」との声が広がり、信頼の回復は遠のいた。
さらに、市長が議会の解散権をちらつかせながら政治的な突破を試みようとしたことで、駆け引きばかりが目立ち、市政の停滞を懸念する声も強まった。市民からは「もはやどうでもいい」「市政が止まる方が困る」といった冷ややかな反応も漏れ始めている。この構図は、奇しくも石破茂首相の続投劇と重なる。石破氏も地方創生や政治資金改革で一定の支持を集めながら、参院選の敗北後に明確な説明を欠いたまま続投を表明。結果、国民の信頼を失った。共通しているのは、「政策への期待」と「人格への信頼」が切り離され、後者の失墜によって前者も失われていったという点である。
政治家にとって信頼とは、あらゆる権限の前提となる基盤だ。特に災害対応や危機管理の場面では、「この人の判断なら従える」と思わせる人間的な信頼が求められる。それを失ったとき、政治は制度の形だけを残して空洞化していく。今後の政治には、信頼を制度的に担保する仕組み――情報公開、説明責任、市民との対話――の強化が不可欠だ。田久保市長の一連の対応は、地方自治が直面する“説明なき政治”の危うさを如実に示している。信頼の再構築には、まず率直な反省と常識的な行動、丁寧な説明から始めて欲しいものだ。
さらに、市長が議会の解散権をちらつかせながら政治的な突破を試みようとしたことで、駆け引きばかりが目立ち、市政の停滞を懸念する声も強まった。市民からは「もはやどうでもいい」「市政が止まる方が困る」といった冷ややかな反応も漏れ始めている。この構図は、奇しくも石破茂首相の続投劇と重なる。石破氏も地方創生や政治資金改革で一定の支持を集めながら、参院選の敗北後に明確な説明を欠いたまま続投を表明。結果、国民の信頼を失った。共通しているのは、「政策への期待」と「人格への信頼」が切り離され、後者の失墜によって前者も失われていったという点である。
政治家にとって信頼とは、あらゆる権限の前提となる基盤だ。特に災害対応や危機管理の場面では、「この人の判断なら従える」と思わせる人間的な信頼が求められる。それを失ったとき、政治は制度の形だけを残して空洞化していく。今後の政治には、信頼を制度的に担保する仕組み――情報公開、説明責任、市民との対話――の強化が不可欠だ。田久保市長の一連の対応は、地方自治が直面する“説明なき政治”の危うさを如実に示している。信頼の再構築には、まず率直な反省と常識的な行動、丁寧な説明から始めて欲しいものだ。