“無傷”の検察官2025年08月04日

“無傷”の検察官
国家が違法捜査を行ったと認定され、被害者に1億6600万円の賠償が命じられた。それだけでも尋常ではない事態だが、さらに衝撃的なのは、誰ひとり責任を取らず、謝罪もなく、現職にとどまり、日常業務へと何事もなかったかのように戻っているという事実だ。これは果たして「法治国家」の姿といえるのだろうか。2021年、横浜市の精密機械メーカー「大川原化工機」の社長らが、警視庁公安部と東京地検によって「不正輸出の疑い」で逮捕・起訴された。当初から経済産業省は「違法性なし」との見解を示していたにもかかわらず、それは捜査当局によって黙殺され、強制捜査と長期勾留が断行された。被疑者らは200日以上にわたり拘束され、会社の信用も経営も崩壊。社会的地位と名誉を失い、人生を根こそぎ奪われた。東京高裁は今年6月、この捜査と起訴が違法だったと断じ、都と国に対して国家賠償を命じた。これに対し警視庁は、当時の公安部幹部ら約40人に聞き取りを実施し、指揮命令系統の崩壊や不利な証拠の黙殺、チェック体制の不備などを認めた内部報告書をまとめたという。だが、それでも処分されるのは退職者が中心で、現職の幹部らは実質的に“無傷”のままだ。

さらに問題なのは、東京地検の検察官たちである。違法な起訴を主導したにもかかわらず、誰一人として処分も謝罪もしておらず、会見すら開かれていない。かつて大阪地検特捜部が証拠改ざん事件を起こした際には、証拠のログという“物証”があったため、主任検事が起訴・有罪となった。今回、改ざんこそないが、明確に「国家の法的見解(=経産省の判断)」を隠蔽し、長期勾留と保釈拒否を繰り返した捜査は、実質的には知的な暴力=“知的犯罪”だった。違いは「証拠が発見されたかどうか」だけであり、構造は極めて近い。だが、検察内部での責任追及は最高検による“自己点検”にとどまり、国会も司法の不始末には沈黙を貫いている。ここまで重大な国家賠償事案にもかかわらず、法務大臣も検事総長も国会で説明責任を果たしておらず、政治も行政も口を閉ざしたままだ。報道機関も、「再発防止策まとまる」といった紋切り型の報道に終始し、誰がどう責任を逃れたのかには踏み込まない。日本における「司法の失敗」は、今なお“触れてはならない聖域”であり続けている。

この構造的不全は、政界にも通底している。参院選で歴史的な敗北を喫しながら、石破首相は辞任の意思を一切示さず、「責任はない」と公言。支持率が20%台に落ち込んでも、与党内に明確な交代機運は見られない。国民の信任を失ってもなお、地位に固執する。まさに、こちらも「説明責任を果たさず」「職責に応じた退任を行わず」「監視機構が機能しない」という、検察と同質のモラルハザードに陥っている。制度は暴走しても、暴走した記録が残らない。責任者はいても、誰が責任者だったかすら曖昧にされる。司法と政治という異なる領域で進行しているように見えるこれらの現象は、実のところ根底で軌を一にしている。もはやこれは、個別の組織問題ではない。私たちは今、「検察と政権」という二つの権力装置が、それぞれの論理で市民の上に君臨し、互いに抑制しあうどころか、共に責任を回避する“制度的な無責任国家”へと移行しつつある現実に直面している。この国の民主主義が、本当に制度として機能しているのだろうか。
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