羅臼岳ヒグマ襲撃事件2025年08月16日

羅臼岳ヒグマ襲撃事件
「羅臼岳のヒグマは人間と共存している」牧歌的な言葉が、観光パンフレットや自然保護の美辞麗句として繰り返されてきた。だが、昨日、北海道・羅臼岳で起きた致命的な襲撃事件は、その幻想を一瞬で打ち砕いた。登山中の20代男性が、突如現れたヒグマに襲われ、下半身を損壊されるほどの激しい攻撃を受けて命を落とした。遺体は藪の中に引きずり込まれ、捕食行動を示す痕跡が残されていた。人間が“獲物”として認識された可能性が極めて高い。この事件を「異常個体による例外」として片付けるのは安易すぎる。実際、同様の事例は近年相次いでいる。先日、北海道・福島町では新聞配達員がヒグマに襲われ、遺体の一部が熊の胃から発見された。しかもこの熊は、過去の死亡事故にも関与していたことがDNA鑑定で判明。つまり、同一個体が複数回にわたり人間を捕食していたのだ。さらに2023年には、大千軒岳で登山中の大学生が襲われ、遺体は枝で覆われた状態で発見された。熊の胃からは人間の組織が検出され、保存食として扱われていた可能性が指摘されている。これらの事例は、ヒグマが人間を餌資源として認識しうることを示しており、「熊は人を襲わない」という定説が希望的観測にすぎないことを明らかにしている。

こうした事態が頻発するの理由は単純だ。山野の食糧がクマの数を支えきれなくなっているのだ。クマは広大なテリトリーを必要とする動物だが、近年の繁殖の上昇に見合う狩猟が行われず、クマが既存の空間に収まりきらず、人間の生活圏へと“押し出される”ように移動し、食性も動物も食するように変化している。この現象は、爆発的な個体数増加がなくとも起こる。臨界点とは、生態系が安定を保てる限界値であり、静かに飽和が進行すれば、構造的に人里への侵入が誘発される。つまり、今起きているのは「臨界点突破」と考えられる。ここで問題になるのが、環境省の生息数統計の信頼性である。クマの個体数は目撃情報や痕跡調査に基づく推定値であり、未踏域や若齢個体の把握は困難。実態は統計より多い可能性が高く、捕獲数が自然増加量に追いつかない状況が続いている。数字が安定して見えても、現場では臨界点を静かに超えているのだ。

「共存」という言葉はこの実態を覆い隠すレトリックにすぎない。生態学的に「共存」とは、互いの存在を認識し、行動を調整しながら持続的に同じ空間で生きる関係性を指す。羅臼岳では、熊の個体識別も行動調査も不十分で、登山者の行動規範も統一されていない。これまで事故が起きていないことをもって「共存している」と語るのは、科学的にも倫理的にも無責任だ。今後必要なのは、言葉の見直しではなく、現実への対応だ。熊が人間を捕食対象とする可能性がある以上、遭遇回避だけでなく、遭遇を減らす個体管理、情報発信の強化が不可欠である。「共存」という言葉を使うなら、それに見合うだけの科学と倫理、そして現場の覚悟が必要だ。幻想を語る時代は終わった。現実を直視しなければまた事故は確実に起こる。