イシバカ ― 2025年09月26日
9月23日、ニューヨークの国連総会。石破首相は一般討論演説に立ち、イスラエルのガザ地上作戦を強く批判し、「2国家共存こそ和平の唯一の道」と訴えた。国連改革や安保理の機能不全、ロシアの核恫喝、北朝鮮の核・ミサイル開発にも触れ、国際秩序の危機に対話と協調を呼びかけた。言葉の響きは立派だが、背後に漂うのは“理想を掲げつつ尻すぼみで退く外交”の影だ。
日本は長年、米国への配慮からパレスチナ国家承認を先送りしてきた。ところが9月12日、国連総会で採択された「ニューヨーク宣言」に賛成票を投じ、承認に前向きな姿勢を国際社会に示す。ところがわずか10日後、承認支持国の会議には欠席し、議論の場からそっと距離を置いた。そして23日の演説で「承認はするか否かではなく、いつするかの問題」と口にする。決意の表明に聞こえるが、実際は前言を巧みにねじ曲げ、承認の意思を濁らせる“後退術”でしかない。この振る舞いは、EUの賛成派にも米国の反対派にも同時に顔を向ける“玉虫色外交”だ。承認をほのめかしつつ議論の場を回避し、理想論を掲げながら具体策は示さない。国際社会はこうした食い違いに敏感である。曖昧さや腰砕けは知恵ではなく、信頼を失う最短ルートだ。
さらに後退の傾向は外交にとどまらない。石破氏はかつて「選挙で敗北した首相は退陣すべき」と豪語した。しかし自身の政権下で敗北すると、「まだやるべきことがある」と居座りを宣言。国連演説に臨む姿も、理想を掲げながら現実から目をそらす“言葉の政治”の象徴に映る。進むふりをしながら足取りは逆方向――それが石破流の歩き方である。結局、石破首相の政治手法は柔軟性ではなく、責任回避と迎合の連続だ。立場を明確にせず、場面ごとに言葉を塗り替える。それが“石破流”の軸足である。外交の現場で求められるのは、玉虫色の答弁ではなく、行動の一貫性だ。確かに石破氏の言行不一致という行動原則はいつでもどこでも一貫していると言えばそうではあるが…。
今後、日本がパレスチナ国家承認に踏み出すのか。そして石破首相が言葉と行動を整合させられるのか。国際社会の目は厳しい。最後に一言。もし自民党内から「石破路線を継承する」と胸を張る総裁候補が現れれば、それは“石破化”の宣言に等しい。言葉と行動を食い違わせ、理想を掲げつつ尻すぼみで退く――そんな政治スタイルを真似ることは、現代政治における最も効率的な自滅法である。国民はその現実を、笑うしかないのかもしれない。
日本は長年、米国への配慮からパレスチナ国家承認を先送りしてきた。ところが9月12日、国連総会で採択された「ニューヨーク宣言」に賛成票を投じ、承認に前向きな姿勢を国際社会に示す。ところがわずか10日後、承認支持国の会議には欠席し、議論の場からそっと距離を置いた。そして23日の演説で「承認はするか否かではなく、いつするかの問題」と口にする。決意の表明に聞こえるが、実際は前言を巧みにねじ曲げ、承認の意思を濁らせる“後退術”でしかない。この振る舞いは、EUの賛成派にも米国の反対派にも同時に顔を向ける“玉虫色外交”だ。承認をほのめかしつつ議論の場を回避し、理想論を掲げながら具体策は示さない。国際社会はこうした食い違いに敏感である。曖昧さや腰砕けは知恵ではなく、信頼を失う最短ルートだ。
さらに後退の傾向は外交にとどまらない。石破氏はかつて「選挙で敗北した首相は退陣すべき」と豪語した。しかし自身の政権下で敗北すると、「まだやるべきことがある」と居座りを宣言。国連演説に臨む姿も、理想を掲げながら現実から目をそらす“言葉の政治”の象徴に映る。進むふりをしながら足取りは逆方向――それが石破流の歩き方である。結局、石破首相の政治手法は柔軟性ではなく、責任回避と迎合の連続だ。立場を明確にせず、場面ごとに言葉を塗り替える。それが“石破流”の軸足である。外交の現場で求められるのは、玉虫色の答弁ではなく、行動の一貫性だ。確かに石破氏の言行不一致という行動原則はいつでもどこでも一貫していると言えばそうではあるが…。
今後、日本がパレスチナ国家承認に踏み出すのか。そして石破首相が言葉と行動を整合させられるのか。国際社会の目は厳しい。最後に一言。もし自民党内から「石破路線を継承する」と胸を張る総裁候補が現れれば、それは“石破化”の宣言に等しい。言葉と行動を食い違わせ、理想を掲げつつ尻すぼみで退く――そんな政治スタイルを真似ることは、現代政治における最も効率的な自滅法である。国民はその現実を、笑うしかないのかもしれない。