大覚寺観月の夕べ2022年09月11日

嵯峨天皇が大沢池で中秋の名月に舟を浮かべ、貴族と遊ばれたことから始まった「観月の夕べ」。空を見上げれば煌々と、目を落とせば静かな水面に映る月。日本三大名月鑑賞地の一つである大沢池で、この2つの月が見られる優雅な時間を体験した。昨日の十五夜は曇りの確率が高かったのでイベントもある上賀茂神社の観月祭に行った。大覚寺の観月は大沢の池に月が写ってこそ価値がある。三日間開かれている観月会の中日が最も天気は安定しているのを予報を見て狙っていた。とはいうものの天気予報は毎時間変わってくる。月が昇る2時間前、気象協会の予報が曇りから晴れに変わったので、善は急げと嵐山線に乗った。

大覚寺行のバスに乗ると早くつきすぎてしまうので嵐山駅から半時間歩くことにした。渡月橋は風が涼しく心地よい。釈迦堂を右に折れて大覚寺へ向かう。池の周りは近隣の方も多く、ずらりと池の周りにスマホを構えている。メール抽選で当選した人は五千円払って屋形舟で観月できる。観月の法要は月が昇り始める19時から始まった。般若心経を唱え終えた頃、東の木立の間から淡朽葉色の満月が昇ってきた。広沢池にも丸明鏡止水の美しい月が映った。

石山寺2022年09月12日

近江八景「石山の秋月」で知られる大津市の石山寺の秋月祭の記事が出ていた。紫式部が月を眺めて源氏物語の構想を練ったとされる寺で一度は行こうと思っていた。日中に行くと昨夜の盛り上がりの気配は微塵もなく、静かな巨石の中にある山寺だった。本殿に行く石段の手前に、岩穴をくぐると願いが叶うというパワースポット「くぐり岩」がある。この辺りの岩は全て大理石で足元は少し滑る。リュックを担いでいるとやや窮屈だがくぐることができた。

石山寺は、聖武天皇(724年)の勅願によって良弁が開き東大寺との関りが深い寺院だ。日本最古といわれる国宝の多宝塔は、源頼朝の寄進と伝えられる。その多宝塔まで上り詰めると、右手に瀬田川を見下ろす月見台がある。昨日は真東から月が上がるので木立の中から月が上がったのだろう。木立が大きくなりすぎている感があるが、剪定するかどうか寺も悩みどころなのだろう。昨日行った広沢池と並ぶ観月場所かと聞かれるとやや首をかしげたくなるが、紫式部の執筆場所としてアドバンテージがあるのだろう。

写真整理2022年09月13日

北海道の写真をようやく整理した。18日間の画像の中から1日2~3枚を選ぶのはかなり悩んだが、たくさんプリントアウトしたからといって何回も見るものでもない。その時に記憶のしおり程度になればいい。もちろん見ても全く何もかも忘れ去っている可能性だってあるからたくさんあっても仕方ない。北海道で利尻は遠くから見るもので、礼文は歩いてみるものだとわかった。知床はただ歩いていたという記憶しか残っておらず、やはり海から眺めたかった。東北の松島の遊覧船は記憶がほとんどない。喘いで上った大高森105mの展望台の絶景と、そこで会った86歳の父と娘の話が印象深い。会津若松は鶴ヶ城のみという感じだ。富山までの道のりは空が低くてひたすら眠気との戦いの記憶しかない。ただ、雨晴キャンプ場はいいロケーションで晴れていればオレンジの空に富山湾の向こうの立山連峰が聳えて最高だと思う。

写真には一枚もないが、ゲストハウスの語らいが一番楽しかった。稚内のモシリパのチャリダーのおじさん、同じくSEのお姉さんやエンジニア兄さん。1721のオーナーと山ガール。会津若松のムーイのオーナーと青森から企業組合にインターンシップに来ているお姉ちゃん。そして最後のキャンプ地のバイク野郎の兄ちゃん。結局人が一番面白いのだが、旅であればこそだ。

祖父の墓2022年09月14日

母方の祖父母の墓に行こうと長年思っていた。祖父が亡くなったのは正確には思い出せないが20年ほど前になるだろうか祖母は30年以上前だろうか。祖父を見ていた叔母が亡くなったのが5年ほど前、叔母も叔父もクリスチャンなので教会の共同墓地に入っている。この墓は祖父と祖母だけが入っている。茨木市というから山崎からはすぐに行けると思っていたが、北摂霊園は山のまた山の中だった。新名神があるので今は自宅からは40分ほどで行けるが、場所は箕面の山奥だ。ナビはすぐに近道を示すので、細い林道でも表示する。このナビのおかげで釧路湿原では心細い山道ドライブをすることになったわけだが、今日も作業道路としか思えないヘアピンカーブの急坂を上りつめた。もうだめだと思ったところで広い道に出て事なきを得たがチャレンジャーなナビは勘弁してほしい。

墓は霊園の中央にあり駐車場から1分の場所にあった。霊園までは遠いけど駐車場から超近い墓だった。花立がプラスティックなので完全に風化して壊れていた。墓の後ろの木が大きくなっているが枯れた枝が墓にかかっていることや前側の低木も枯れていた。花立てを新調して、枯れ枝を払いきれいにしたい。

投資信託2022年09月15日

投資信託金利上乗せ定期預金は、資産を投資信託と定期預金を半々にわけて定期預金年率4%を3か月間得る仕組みだ。もともとは、定期の金利が100万を1年預けても100円にもならない低金利でずっと推移しているのに、物価は円安などの影響でじりじりと上がっているので預金が実質目減りする状況への対策だ。だが、投資信託はリスクもあるので、半分は3カ月定期で原資の101%を保証する定期預金でリスクヘッジするのがこの商品だ。100万なら税引き8千円の利子が付き、仮に同額の投資信託が3か月で0.8%目減りしてもトントンという商品だ。

投資信託の運用は今のとこと3か月で6%程度の上昇をしているので、定期と合わせ3%の運用益がある。今回はこの3か月の特別定期期間が終了したので、再び定期を半々に分けて引き続き運用する手続きをした。年末頃には今の運用が続けば5%超えの運用益を得ようというわけだ。昔なら預けておくだけでインフレに対応できたが今は違う。めんどくさい世の中になったものだ。来年は欧米経済が下向くのは確実なのでこれがどう反映するのかわからないが、運用率がインフレ率を切る前に売ろうとは思うがさてそのタイミングが分からぬ。

屋根屋2022年09月16日

屋根屋が来た。Joshinのように足場が組めぬとは言わない。部屋の中を通って足場機材を運べばいいという。ただ、屋根を塗るより金属被せろという。結局、塗装は長持ちはしないので今一気にやってしまうのが節約にもなるという。そもそも10年経ったらメンテが必要で、ここまで劣化すると手が付けられないともいう。購入してからは20年経つし、屋根を仕替えたのはもっと前だろう。売ってしまおうと思っていたのでメンテを考えることがなかったがそれは間違いだった。家も車いす仕様の板床にした方がいいと思うがどうせ引っ越すからと何もしなかった。色々先を考えて何もしないより、今できることをこまめにするのが家にとっては一番いいということだ。

ということで見積もりは高くなるだろうが、雨漏りを心配しながら住みたくはないし、売るときも屋根は仕替えていたほうが売りやすい。泥縄式だが仕方がない。

君たちはまだ長いトンネルの中2022年09月17日

「君トン」は、アップリンク京都であっという間に終わってしまったので見る機会を失っていたが昨日からみなみ会館で始まっていた。MMTとは現代貨幣理論のことだが、別に新しい事を言っているわけではない。「税は国の収入」という従来の考え方が間違っていると言っているに過ぎない。言っていることは3つほどだ。①自国通貨を発行できる政府は財政赤字を拡大しても債務不履行になることはない②財政赤字でも国はインフレが起きない範囲で支出を行うべき③税は財源ではなく通貨を流通させる仕組みである。日銀が政府国債を買い上げ貨幣を発行する限り誰に借金しているわけもない。事実上返済の期限は無限に伸ばせるし理論的には返す必要もない。金がだぶついてインフレが過熱すれば市場から金を吸いあげるという意味で課税と預金金利を上昇させればいい。簡単な話だが、「国の借金」だの「少子高齢化社会での社会保障の財源」だのというレトリックを多くの国民は信じ切っている。

そこに一石投じるための経済漫画をクラウドファンディングで青春映画にしてしまったところが面白い。主役のアサミを演じる加藤小夏は駆け出しだが本田翼似でよく健闘している。映画の中では貨幣理論について真っ当な反論はなかったし、現実にも正面から反駁している話は聞いたことがない。MMTは無税国家をめざす国家破壊理論などとうそを言いふらしている輩を見かけることはあるが、先の3つの特徴について批判する人は皆無なのだ。何より、デフレ脱却もしていないのに税金を下げることを否定したり、財政投資の財布のひもを締めようとするのは愚の骨頂なのに、政権与党も野党もメディアもこのことを議論せずに国葬反対だの思想調査だの、何をしているのかと情けなくなる。

さかなのこ2022年09月18日

二日続けて映画館通い、今日は「さかなのこ」。「すぎょいです!」のさかなクンの自叙伝をのんが演じている作品だ。映画評価は高いのだが、自分にはピンとこない映画だった。のんが演じていなければ話題にすらならなかったのではないかと思う。いじめっ子も不良たちも幼馴染も職場の店長も家族も、みんないい人で、主人公の力になってくれる。突き抜けすぎた天然で、みんなから慕われる人は確かにいるが、必ず本人の努力がある。好きなことをしているだけではないのだ。そこを描かないので、周りの環境が良かったので偶然テレビスターになりましたという結末に見えてしまう。けれども偶然はたくさんの努力の上にしか成立しない。棚ぼたは映画にはならないし、実際のさかなクンは中傷や困難にも負けないで「すぎょい!」努力をした。

そこまで熱く作品評をしたからどうというわけではないか、「人生なめてんのか」と思ったのはワシだけか?久々に納得できない映画を見た。昼食時間の烏丸の裏通りは有名店に長蛇の列だ。みんなどれくらいの時間並ぶのだろう。並ぶこと自体がイベントなんだろうが、ワシは待てない。

SABAKAN2022年09月19日

万人の涙腺スイッチを押す映画、日本版スタンドバイミーだ。小学校高学年、前思春期の友情は初恋に似ている。いつも一緒にいて離れていると切なくてしょうがない。あの山の向こうまで友達と越えていく。道のりはほとんど覚えていないが、越えていくドキドキ感は半世紀経っても昨日の事のように蘇る。そして、友を失った時の強烈な悲しみは生まれて初めてのものだ。サバカンはこの悲しみまでのプロセスを描いた映画だ。クライマックスの別れのシーンは、嗚咽を押し殺すのに苦労した。

ワシは親友を遥か昔に急性白血病で失っている。小学校中学校高校でずっと一緒に過ごしてきた。好きな音楽もスポーツも皆一緒だった。というより、友達の好きなものは皆好きになった。成人して、自分と同じ職業についたと聞きそこまで合わせなくてもと苦笑したのを覚えている。彼をなくしてから、自分にはもう親友は作れないと思ってきた。サバカンの親友は大人になっても生きている、安堵と寂しさが一度に押し寄せてきた。

飲み会2022年09月20日

久々に飲み会をした。若い人たち飲むと、自分も同じことに出会い色々と考えていたと思い出す。ワシが若い時は年齢の割に偉そうな口だったので常識人には嫌われ、支持されるのはごく少数の人だった。そもそも、自分の考え方を曲げて人に合わせることが苦手と言えば聞こえはいいが、要するに自分の考えと多数者の考えを調整して社会化するのが下手なのだ。新しい考え方や古いやり方への批判は小気味が良いので最初人はついてくるが、年齢を重ねるととともに社会的に自分が不利になると知ると離れていく。だが、最近若い人と飲んでいて感じることは、歳を取る前から必要以上に摩擦を避け適応しようとして自家中毒を起こしがちな人が少なくないことだ。不条理に怒りを持つ前に、それを解決できない自分が悪いと自分を責めるのだ。

結局、ワシと同じく社会性に難があるのだが、かなりタイプが違う。飲んでぶちまけるのも一つの表現だが、そんな場面でもみんなに聞いてほしいという外への発信がとても弱いのだ。愚痴は言うが、解決のために言語化し社会化して動き出す術を知らないという感じだ。不思議な生き物と話をしているみたいでますます自分のジジイ化を認めざるを得ない。
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