日本学術会議の特殊法人化2025年05月09日

日本学術会議の特殊法人化
北大の宇山教授は、日本学術会議の特殊法人化をめぐる政府提出法案に関し、自身が「法律が通ることで、これまでとは違う人が入ってくる」と発言したことを明らかにした。教授によれば、現在の学術会議は、政府と協力しつつも独立性を保てる研究者で構成されているが、法人化によって右派の研究者が加入し、学術会議の活動が政治化する可能性があると懸念した。宇山教授は、法人化を推進してきたのが日本会議や旧統一教会と関係のある政治家であると指摘し、その影響力のもとで右派の人物が学術会議の会員となれば、政治的偏向が生じる恐れがあると述べた。また、現在の学術会議には共産党系の左派の影響はほとんど見られないとしつつも、過去には左派の会員が政治的活動を行っていたことがあり、それが好ましくなかったように、法人化後に右派が加わることも同様に望ましくないと述べた。さらに教授は、右派の影響が強まることで、学術会議がジェンダーや人権、歴史認識といった問題において、世論や学界の主流とは異なる国粋主義的な立場を取るようになり、自民党右派やその他の右派政党の政策に正当性を与える可能性があると懸念を表明した。この発言に対し、衆院内閣委員会では「右派を排除しようとしているのではないか」と自民党議員から疑問の声が上がった。宇山教授は、「右も左もお互い様ではないか」と言いたいのだろうか。学術会議に限らず、あらゆる組織は、思想信条や意見の異なる人々によって構成されるのが当然であり、公共性のある組織であればなおさら多様な人材が集まるのが望ましい。民主主義においては、それが健全な姿である。

学術会議が法人化される背景には、執行部が「軍事研究は許さない」との立場を一方的に押し通し、さまざまな研究を独自に「軍事研究」と判断して圧力をかけ、結果として研究を潰してきたという批判がある。だが、科学技術の歴史は戦争と不可分の関係にある。たとえば、マンハッタン計画で核兵器を開発した科学者を「平和の敵」と見なすのは、あまりにも幼稚かつ独善的である。インターネット技術にしても、もともとは軍事研究から生まれたものだ。学術会議が圧力をかけたとされる北大での船舶の航行技術研究は、どの船にも応用可能な内容だったが、防衛省の助成があるという理由だけで批判され、最終的には助成辞退に至った。この事実を、北大の宇山教授が知らないはずがない。いかなる個人であれ、自らの考えを表現する自由は、公益に反しない限り保障されるべきである。表現とは、文筆、絵画、彫刻、音楽などの身体的・記号的表現にとどまらず、科学者にとっては研究活動そのものが表現にあたる。たとえ自分の考えと異なっていても、その表現活動を守る姿勢こそが、民主主義の本質である。

近年では、宇多田ヒカルの新曲に夫婦別姓を支持する歌詞が含まれていたことで批判されたり、昨年にはMrs. GREEN APPLEの楽曲「コロンブス」のミュージックビデオが黒人差別との指摘で公開中止に追い込まれたりと、アーティストによる政治的表現が話題になっている。しかし、アーティストが政治的意見を持ち、それを作品に反映させるのは当然の市民的権利である。これらの表現に対する批判もまた自由であるが、その一方で、表現そのものを守る責任は、批判する側にも等しく求められる。圧力をかけて資金源を断ったり、魔女裁判のように糾弾したりする行為は、たとえ批判の立場からであっても、不正義であり、社会全体として排除すべきである。これは、右派・左派の立場を問わず、民主主義の土台となる課題である。また、税金が投入されている組織であれば、時の政権が一定の影響を持つのは当然とも言える。政権は国民の選挙によって正統性を与えられているからだ。それが好ましくないというのであれば、税金の投入を拒み、自主財源で運営すればよい。ただし、たとえ自主独立の運営であっても、組織内における表現の自由を組織として擁護する姿勢は、常に求められる。

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