「相互関税」違法判決2025年08月31日

「相互関税」違法判決
トランプ政権が発動した「相互関税」などの措置について、米連邦高裁は「法律違反」と断じる判決を下した。この判決は、単に政策の是非を問うだけでなく、現代の国際関係、特に民主主義国家間における外交のあり方に根本的な問いを投げかけている。トランプ政権が関税措置に用いたのは、IEEPA(国際緊急経済権限法)という特例ルールだった。これは、大統領が「国家の非常事態」を宣言すれば、議会の承認なしに関税を課すことができる、非常に強力な権限を大統領に与える法律だ。通常、関税の賦課は議会の専権事項であり、このIEEPAはあくまで例外中の例外として、国家の緊急事態に限定して適用されるべきものだ。しかし、裁判所はこの「非常事態」という大統領の主張に真っ向から異議を唱えた。判決の骨子は、「貿易赤字や麻薬の流入は恒常的な問題であり、緊急性はない」というものだ。つまり、トランプ政権が非常事態と称して発動した関税措置は、法律の趣旨を逸脱したものであり、手続きとして違法であると断定された。この判決は、大統領の権限濫用に対する司法の明確な歯止めとして、大きな意味を持っている。

この裁判が突きつけたのは、単なる法律の解釈を超えた、より深い問題だ。それは、自由主義国家において、議会を通さずに外交交渉を進めることが許されるのかという、民主主義の根幹に関わる問いである。トランプ政権は、他国との間で、議会の承認を必要としない「大統領令」による合意を多用した。この手法は、交渉のスピードを上げる利点がある一方で、議会の関与がなければ、国民の意思が十分に反映されず、また政権交代によって合意が簡単に反故にされるリスクを孕む。特に日本との関係においては、この米国の「制度的矛盾」が顕著に表れた。当初、米国政府は「大統領令だけで済ませる」として、合意内容の文書化を避けようとした。これは、議会に縛られずに大統領の権限で全てを決定したいという思惑の表れだ。しかし、裁判の流れが不利になると、米国政府は態度を一変させた。ラトニック商務長官は突如、「週内に発表する」とまで明言し、日本に対し、5500億ドル(約80兆円)規模の対米投資を盛り込んだ共同文書を作成するよう要請した。この方針転換は、合意の存在を「文書」という形で示すことで、裁判や議会への“言い訳”を作ろうとした狙いがあったと見られている。

つまり、米国は「議会の承認は避けたいが、合意はあったことにしたい」という、制度的に矛盾した二重戦略を取っていたのだ。この米国の“揺れ”に、日本政府は翻弄された。赤沢経済再生担当大臣は当初、「文書は不要。信頼があれば十分」と述べていたが、米国側の突然の発表を受けて慌てて渡米。しかし、今度は「文書作成は米側の都合」と発言し、さらに「大統領令の日付が決まらない」として訪米を中止するなど、方針が二転三転した。まるで、米国の制度的矛盾に巻き込まれ、右往左往しているようだった。この一連の出来事の本質は、文書があるかないかという形式的な問題ではない。真に問われるべきは、議会の承認を経ないまま、自由主義国家同士が外交交渉を進めることの是非である。文書がなければ、誰が何を約束したのかが曖昧になり、政権が変われば「そんな話は知らない」と言われかねない。また、議会が関与しなければ、国民の意思が反映されず、説明責任も果たされない。これは、外交の透明性や安定性を大きく損なうものだ。

自由主義国家の外交は、国民の代表機関である議会の承認と監視のもとに行われるべきだ。今回の判決は、その原則を改めて思い起こさせるものだった。米国の制度的矛盾に振り回されることなく、日本は自国の民主主義の原則に基づいた、安定した外交のあり方を再構築する必要があるだろう。それにしても赤沢氏の対応は原理原則を語らずに、ころころと言い分を変えてしまい政治家としての矜持がまるで感じられない。政治家としての資質なのか、石破政権の資質なのかは定かではないが、交代が必要なことは確かだ。