思想に食われた全学連2025年11月05日

秋の光の下、東京・芝公園に「高市早苗政権打倒」「改憲・戦争阻止」を掲げる集会が開かれた。主催者発表で二千百五十人。参加者は「中国への侵略戦争を阻止するぞ」と声を上げ、都内をデモ行進した。壇上では全学連(全日本学生自治会総連合)の幹部が「革命に勝利するまで戦う」と訴える。久々に耳にしたその名前に、一瞬、かつての学生運動の熱を重ねそうになったが、目の前の光景は、もはや別の時代の断片でしかなかった。

1950〜60年代、全学連は全国の大学自治会の過半を束ね、安保闘争では数万人を動員した。若者たちは理想に燃え、社会を変えられると信じていた。しかし70年代に入ると、組織は分裂を重ね、革マル派と中核派の抗争に象徴されるように、自治は暴力と恐怖に蝕まれた。大学当局は次々と自治会を非公認化し、90年代には学生の関心そのものが遠ざかっていった。かつての「代表」は、制度の上でも、心の上でも消えていった。

私の学生時代、全学連を主導していたのは民青(日共)系だった。暴力的な派閥は排除され、活動は授業料の値上げ反対や学内の福利厚生改善といった穏やかなものだった。政治的主張はあっても、それは学生生活を守るための理性的な延長線上にあった。大学自治とは、思想の旗ではなく、“共に考える場”のことだった。中央集会に参加したとき、政治闘争的な空気にどこか違和感を覚えたのを今も覚えている。それでも、大学を学生自身の手で運営しようとする意志は、確かに生きていた。

だが、全学連が共産主義というイデオロギーを大学自治の枠に持ち込んだとき、運命は決まっていたのだと思う。自治は思想に食われ、異論は敵とされ、同調だけが「正義」となった。自治とは異なる意見をも包み込む“民主的な土壌”のはずだったのに、その根を自ら踏みにじった。結果、大学の自治は滅び、自治の意味を学ぶ機会を失った学生たちは、社会に出ても組織を「同調圧力の装置」としか見られなくなった。SNSで声を上げても、現実の場では孤立し、対話の回路は失われたままだ。

いまなお「全学連」を名乗る団体が存在することに、私は薄ら寒さを覚える。半世紀前の亡霊が、時代の空白を縫うように生き延びている。かつての理念を口にしながら、自治の精神をもっとも遠くに置き去りにしている――その姿に、皮肉な哀しみを感じる。

とはいえ、学生が大学運営に声を上げる仕組みそのものまで消えてしまった現状にも、別の危うさが潜む。多くの大学では、自治会は制度上だけの存在となり、学生の意見はアンケートや意見箱といった匿名の形式でしか吸い上げられない。一部を除けば、学生が大学の意思決定に関わる機会はほとんどない。大学は学生がいなくても回る――だが、それは大学が「考える共同体」から、単なるサービス提供機関に変わったことの証でもある。

自治の理想とは、政治運動そのものではない。異なる意見の存在を前提に、対話を重ね、一致点を見出していく互助の精神にこそ、その本質がある。かつて全学連がこの原点を見失ったとき、衰退は必然だった。しかし、自治の再生がまったく不可能だとは思わない。革命ではなく、互助を目的とした対話の自治を取り戻すこと――それこそが、戦後民主主義が本来目指した“自由のかたち”ではないだろうか。