長岡京発掘成果は自治体別? ― 2024年09月26日

シン・長岡京北端の記事に触発されて、長岡京大極殿公園に行く。この地には30年以上居住していたが行ったことがない。長岡京の宮殿跡の存在は知っていたが、通り過ぎるくらいでは全く見つけられない場所にあったからだ。宮殿跡と言えば広大な平城宮跡を思い浮かべるが、同じ規模を持つ長岡京の大極殿公園は近くの児童公園の広さしかない。本来なら朝廷の中枢にあたる場所なのだが、民家に挟まれた不規則な形の空き地が道路の南北にかろうじて残っているだけだ。園内には向日市が設置した長岡京の説明板と、北側の公園に朱塗りの休憩舎があるのみだ。北側は天皇の住居がある後殿跡であり、発掘した柱の跡が並ぶ中央に煉瓦で囲んだ八角形があり、天皇が控えた場所の名残だと言われる。確かに長岡京はわずか10年の都で平安京に宮殿ごと移築したので建造物は何も残ってはいないのだから、その跡地は畑となり民家となったのはしかたがないが、飛鳥時代から二度目の都とはいえ二度目はわずか半年で遷都した難波京ですら宮殿跡は300m四方が保存され大極殿跡は資料館の地下に展示されている。長岡京はわずかに50m四方の保存区域となっている。大阪市と向日市の財政規模の差と言えばそれまでだが、桓武天皇は泣いているだろう。
資料館に行って、北端発掘の話を聞くと、向日市は大極殿しか管轄しておらずシン・北端発掘場所は京都市区域なので管轄外だと説明された。長岡京は南端の大山崎町から中央部の長岡京市、内内裏のある向日市、北端の京都市南区と行政区が4つに分かれている。それぞれの自治体で発掘するのは仕方がないが、発掘成果まで自治体毎にしか公開しないのはいかがなものか?帰りに学芸員の方が、京都市資料館での遷都の展示を教えてくれたが、釈然としないまま帰路につく。
資料館に行って、北端発掘の話を聞くと、向日市は大極殿しか管轄しておらずシン・北端発掘場所は京都市区域なので管轄外だと説明された。長岡京は南端の大山崎町から中央部の長岡京市、内内裏のある向日市、北端の京都市南区と行政区が4つに分かれている。それぞれの自治体で発掘するのは仕方がないが、発掘成果まで自治体毎にしか公開しないのはいかがなものか?帰りに学芸員の方が、京都市資料館での遷都の展示を教えてくれたが、釈然としないまま帰路につく。