年金制度改革関連法案提出2025年05月16日

年金制度改革関連法案提出
政府は、短時間労働者が厚生年金に加入しやすくなるよう、「年収106万円の壁」の撤廃を含む年金制度改革関連法案を閣議決定した。法案では、厚生年金の加入要件である賃金基準や、従業員51人以上という企業規模要件を廃止し、パートなど非正規労働者の年金額の増加を図る。また、「在職老齢年金」の基準額を月額50万円から62万円に引き上げ、働く高齢者の年金減額を緩和する措置も盛り込まれた。さらに、所得の高い人の厚生年金保険料を段階的に引き上げ、負担を増やす一方で、将来的な給付を手厚くする制度も導入される。しかし、自民党内の反対意見により「基礎年金の底上げ案」は法案に盛り込まれず、野党はこれに反発。今後の国会審議では調整の難航が予想される。

2004年、小泉政権下で「年金100年安心」とうたわれた年金制度改革が実施され、2007年には「消えた年金問題」として約5095万件の記録ミスが発覚した。そこから今日に至るまで制度は複雑化する一方だが、なぜもっとシンプルでわかりやすい制度にできないのだろうか。今回の「106万円の壁」撤廃も、本質的には基礎年金(月額上限約7万円)では生活が成り立たないという懸念に端を発したものである。パート勤務でも厚生年金を10年間納付すれば、月1万円程度の上乗せが見込まれるというが、月8千円程度の納付が必要となり、手取りは減少する。納付と給付は現在と未来のトレードオフであり、単純な損得では語れないが、それでも将来月8万円で一人暮らしをするのは心もとない。

一方、高所得者の保険料上限は月収75万円で約7万円に設定されるというが、逆に言えば年収1000万円を超える層でも、月7万円以上の負担にはならないままだ。税制であれ年金であれ仕組みは異なるが、根底にあるのは所得の多い者が少ない者を支える「所得の再分配」機能である。税金や年金を損得の視点で見るべきではなく、唯一「公平」と言える基準は、能力に応じた負担が実施されているかどうかである。「少子高齢化の中で、少ない勤労者が高齢者をどう支えるか」という議論が当然のように語られているが、これは誤った前提に基づいている。所得の再分配という観点からすれば、国民全体で生み出した富をいかに公平に分配するかを問うべきであり、生産と消費によって成り立つ富を誰が担っているかという視点が不可欠だ。

議論の中心となるべきは国民年金である。基礎年金が月額2万円弱の定額制であること自体、公平の原則からすれば不自然だ。厚生年金の加入者は所得の約9%を納付しているのだから、国民年金も同様に所得比例で納付するのが公平である。厚生年金では企業がもう9%を負担しているため、国民年金では政府が同率を負担すれば、受給額を厚生年金並みに引き上げることも理論上は可能である。政府は、自営業者の所得を把握できないことや、収入の変動を理由に比例負担にできないと説明するが、同じ政府が徴税では正確に所得を捕捉しているのは明らかだ。現在はマイナンバーにより所得情報と個人が紐づけられており、理論上は全ての所得を正確に把握できるはずである。こうした仕組みを活用せず、国民年金受給者の生活困難をあたかも「貧困問題」として扱うのは筋が違う。

もちろん、働けない人や障害のある人への対応には、セーフティネットとしての別建ての制度設計が必要だ。しかし、厚生年金についても、所得比例の「同率負担」ではなく、税と同じような累進構造を取り入れ、低所得者の負担率を下げる仕組みにすることは可能だろう。年金は「個人の財産」ではなく、「国家のあり方」を体現する制度である。これを民間保険のような視点で捉えていること自体が、根本的な誤解なのではないだろうか。

映画「教皇選挙」2025年05月15日

映画「教皇選挙」
映画『教皇選挙(コンクラーベ)』をようやく観てきた。実際の教皇選挙の後だったこともあり、興味深く鑑賞できた。ただ、対話シーンが延々と続き、英語の中に時折イタリア語・スペイン語・ラテン語が混じるため、字幕を追う頻度が高くなり、集中しづらかった。爆破テロによって礼拝堂の窓が吹き飛ぶシーンがなければ、疲れて寝てしまっていたかもしれない。映画は、ローマ教皇の死去を受けて、世界中の枢機卿たちがバチカンのシスティーナ礼拝堂に集い、新教皇を選出する極秘選挙「コンクラーベ」の内幕を描いたミステリードラマである。外部から完全に遮断された環境下で、投票が進むたびに情勢が激変し、聖職者たちが政治家のように権力闘争を繰り広げる。スキャンダルや陰謀が渦巻く中、信仰と組織、伝統と変革のはざまで葛藤する枢機卿たちの姿を通じて、現代社会の分断や人間の本質を浮き彫りにしていく。「密室のベールに包まれた選挙戦の行方と予測不能なサプライズが見どころ」との触れ込みだったが、要するに宗教の世界も政治と同じく、人間の営みである以上、権力闘争は避けられないということを描いている。

教皇選挙は、80歳未満の枢機卿(各地区代表)がシスティーナ礼拝堂に集まり、秘密投票を行う。3分の2以上の票を得た候補が現れるまで、1日に4回の選挙が繰り返される。結果は礼拝堂の煙突から出る煙の色で市民に伝えられ、黒煙は未決定、白煙は決定を意味する。選ばれた枢機卿が教皇の座を受諾すると、「Habemus Papam(ラテン語で“新教皇が誕生した”)」と発表される。映画の展開では、当初は黒人教皇の誕生が有力視されていたが、彼の不倫歴と隠し子の存在が発覚し支持を失う。次の候補である中間派の枢機卿も票の買収を行っていたことが明るみに出て失脚。爆破テロ騒動の混乱の中、保守派の枢機卿は「世界的リベラル運動は神をも恐れぬ」と煽り立てて支持を集めようとする。しかし、聖職者でありながら政治家のような熾烈な駆け引きが展開される中、戦場地域を巡回してきた無名のアフガニスタン出身の枢機卿が「我々は神の子だ」と正論を述べ、圧倒的な支持を得て新教皇に選出される。だが、最後にその新教皇がインターセックスの男性であったことが明かされ、幕が下りる。

どこか、今回のレオ14世誕生の教皇選挙とも似た展開だったので驚いた。脚本はピーター・ストローハンが手がけ、ロバート・ハリスの小説『Conclave』(2016年発表)を原作に脚色されたという。今回の実際の教皇選挙でも、当初は地元バチカンの枢機卿が優位と見られていたが、フランシスコ前教皇と同様にリベラル路線で、中国政府との距離が近すぎるとの批判が高まり、失速したとされる。中国ではカトリック司教の選出に政府の影響が強く、2018年にバチカンと中国政府の間で暫定合意が結ばれ、中国側が候補を選び、バチカンが承認するという枠組みができた。中国政府は国内のカトリック教会の統制を強化し、地下教会への弾圧も続けている。司教の選出には共産党支持者が選ばれる傾向があるという。この状況を容認してきたのが、フランシスコ前教皇および今回のバチカンの枢機卿とされる。一方、レオ14世教皇はシカゴ出身で、南米の貧困層を支えてきた実績が評価され、白羽の矢が立ったという。もちろん映画の脚本は昨年以前に完成していたわけだが、ストローハンの先見の明には驚嘆せざるを得ない。

欺瞞のガソリン税制2025年05月14日

欺瞞のガソリン税制
経済産業省が発表した12日時点の全国平均レギュラーガソリン価格は、前回より1円50銭安い183円となった。調査が実施されなかった大型連休を除けば、これで3週連続の値下がりとなる。政府はガソリン価格を185円程度に抑えるため、石油元売り各社に補助金を支給しており、5月前半には1リットルあたり1円10銭の補助を実施していた。しかし原油価格の下落を受け、5月15日〜21日は補助金なしでも185円を下回る見通しで、制度開始以来2度目の「補助金ゼロ」となるという。だが、たった数円の変動で「値下がり」と強調する政府の姿勢には疑問を禁じ得ない。そもそも、2020年のコロナ禍では原油価格が前年の140円台から130円台に急落し、2021年には経済回復の兆しとともに150円台に。2022年にはウクライナ危機を受けて一気に170円台へと高騰した。これに対し政府は、「燃料油価格激変緩和補助金」により、1リットルあたり14〜20円程度の補助を行い、かろうじて160円台を維持してきた。しかし2024年4月、政府は突然この補助制度を打ち切り、ガソリン価格は180円台を突破、200円に迫る勢いを見せた。

5月からは、補助金の上限を10円に制限し、1円単位で段階的に調整するという、実質的な“改悪”とも言える新制度が始まった。4月の打ち切り時、政府は「財政負担の軽減」「脱炭素政策との整合性」「市場の正常化」「原油価格の下落による安定見通し」などを掲げていたが、そうした理屈を並べたわずか1カ月後に、あっさりと補助金を復活させた。市場原理や正常化を口実にした政策の一貫性のなさには呆れるしかない。結局、目前に迫る参議院選挙を意識した「人気取り政策」にすぎないという見方が強まるのも当然である。だが、185円のガソリン価格で有権者の支持を得られるとは到底思えないし、円安がさらに進めば185円すら維持できなくなる可能性もある。

より深刻なのは、ガソリン価格の約4割が税金で構成されているという、異常とも言える現実だ。具体的には、国税の揮発油税(24.3円/L)、地方揮発油税(5.2円/L)、そして「暫定措置」の名のもとで50年以上継続されている上乗せ分(25.1円/L)、石油石炭税(2.8円/L)が課され、さらにそれらに消費税(10%)が上乗せされる。つまり、1リットル185円のガソリンのうち、実に約70円が税金であり、実質的な本体価格は115円程度にすぎない。なかでも特に問題なのが、「暫定税率」の存在である。本来は1974年、道路整備の財源確保を目的とした一時的措置として導入されたが、半世紀にわたり延命され続けている。2008年に一度廃止されたものの、2009年に民主党政権下で「特例税率」として復活し、以降は一般財源化されてしまった。また、ガソリン価格が3か月連続で160円を超えた場合に暫定税率を停止するという「トリガー条項」も制度として存在するが、導入以来一度も発動されたことがない。震災復興財源として民主党政権が「トリガー条項」を凍結したのは14年も前の話で、野党が過半数を占める今も政権攻撃の材料にするばかりで、野党第1党の立憲は凍結解除法案を出す気配すらない。

政府は2026年に暫定税率の廃止を議論するとしているが、これまで繰り返されてきた説明の食い違いや約束の反故を考えれば、ずるずると引き延ばすのは目に見えており実現性は極めて低いと言わざるを得ない。そもそも、同一商品に対して5種類もの税を課し、さらにその税金に消費税をかけるという「二重課税」的構造そのものが、徴税の基本原則を著しく逸脱している。税制には本来、「公平」「中立」「簡素」という3原則がある。だが、現在のガソリン税制はそのいずれも満たしていない。複雑で不透明、所得の少ない者に過剰に重い負担となっているこの仕組みは、早急に抜本的な見直しが求められる。

日産大規模リストラ発表2025年05月13日

日産大規模リストラ発表
日産自動車が2025年3月期に発表した業績は、業界に大きな衝撃を与えた。純損益は6708億円の赤字で、前期の4266億円の黒字から一転。この事態を受け、日産は全従業員の約15%にあたる2万人の人員削減と、世界17カ所の車両工場を10カ所に縮小する計画を示した。今回の赤字は同社史上3番目の規模であり、さらに通期赤字は最大7500億円に拡大する見込みである。販売台数の減少により人員・生産能力が過剰となり、収益確保が極めて困難な状況だ。国内では、数百人規模で主に事務系職種を対象とした早期退職制度の導入が見込まれている。

しかし、日本全体が人手不足に直面するなか、有能な人材の流出は日産の技術やノウハウを競合他社に渡すリスクを高める。短期的なコスト削減を目的とした人員整理は、中長期的には企業価値の毀損につながりかねない。必要なのは人員削減ではなく、成長分野への人材移行である。たとえばEVバッテリーの生産拠点や次世代モビリティ関連事業への配置転換は、地域経済の活性化にもつながる。しかし、日産は経営不振や初期投資の高さから国内での新規展開に慎重な姿勢を崩していない。過去の大規模リストラも一時しのぎに終わった事実を忘れてはならない。リストラは士気を低下させ、開発意欲を奪う。

こうした状況では、経済産業省の積極的な支援が欠かせない。同省はバッテリー産業を国家戦略と位置づけ、助成金や人材育成を進めてきたが、政策は限定的だった。今後は撤退・縮小された投資の再活用や、成長分野への人材再配置を促す政策が必要である。工場や設備は再建できても、熟練人材を取り戻すには膨大なコストと時間がかかる。人材育成は長年の積み重ねであり、競争力の源泉でもある。日産の国内における内部留保は約4.3兆円に上る。その1割を活用すれば、従業員1000人の給与を3年間維持するための約3000億円は十分に賄える。もちろん内部留保は将来の投資や財務安定のために必要だが、人材維持を「未来への投資」と捉えれば、長期的な競争力の確保にもつながる。

短期的なリストラは一時的な財務指標を改善するかもしれないが、企業の成長エンジンを弱めるリスクがある。今求められるのは、人材の流出を防ぎ、再教育と再配置を支援する戦略的な投資である。企業も国家も「人」を切り捨てるのではなく、「人」を活かす方向へと転換すべき時が来ている。今ある人材をどう守り、どう未来に活かすか――その答えが日産の今後、さらには日本の産業の命運を左右するだろう。

日本学術会議の特殊法人化2025年05月09日

日本学術会議の特殊法人化
北大の宇山教授は、日本学術会議の特殊法人化をめぐる政府提出法案に関し、自身が「法律が通ることで、これまでとは違う人が入ってくる」と発言したことを明らかにした。教授によれば、現在の学術会議は、政府と協力しつつも独立性を保てる研究者で構成されているが、法人化によって右派の研究者が加入し、学術会議の活動が政治化する可能性があると懸念した。宇山教授は、法人化を推進してきたのが日本会議や旧統一教会と関係のある政治家であると指摘し、その影響力のもとで右派の人物が学術会議の会員となれば、政治的偏向が生じる恐れがあると述べた。また、現在の学術会議には共産党系の左派の影響はほとんど見られないとしつつも、過去には左派の会員が政治的活動を行っていたことがあり、それが好ましくなかったように、法人化後に右派が加わることも同様に望ましくないと述べた。さらに教授は、右派の影響が強まることで、学術会議がジェンダーや人権、歴史認識といった問題において、世論や学界の主流とは異なる国粋主義的な立場を取るようになり、自民党右派やその他の右派政党の政策に正当性を与える可能性があると懸念を表明した。この発言に対し、衆院内閣委員会では「右派を排除しようとしているのではないか」と自民党議員から疑問の声が上がった。宇山教授は、「右も左もお互い様ではないか」と言いたいのだろうか。学術会議に限らず、あらゆる組織は、思想信条や意見の異なる人々によって構成されるのが当然であり、公共性のある組織であればなおさら多様な人材が集まるのが望ましい。民主主義においては、それが健全な姿である。

学術会議が法人化される背景には、執行部が「軍事研究は許さない」との立場を一方的に押し通し、さまざまな研究を独自に「軍事研究」と判断して圧力をかけ、結果として研究を潰してきたという批判がある。だが、科学技術の歴史は戦争と不可分の関係にある。たとえば、マンハッタン計画で核兵器を開発した科学者を「平和の敵」と見なすのは、あまりにも幼稚かつ独善的である。インターネット技術にしても、もともとは軍事研究から生まれたものだ。学術会議が圧力をかけたとされる北大での船舶の航行技術研究は、どの船にも応用可能な内容だったが、防衛省の助成があるという理由だけで批判され、最終的には助成辞退に至った。この事実を、北大の宇山教授が知らないはずがない。いかなる個人であれ、自らの考えを表現する自由は、公益に反しない限り保障されるべきである。表現とは、文筆、絵画、彫刻、音楽などの身体的・記号的表現にとどまらず、科学者にとっては研究活動そのものが表現にあたる。たとえ自分の考えと異なっていても、その表現活動を守る姿勢こそが、民主主義の本質である。

近年では、宇多田ヒカルの新曲に夫婦別姓を支持する歌詞が含まれていたことで批判されたり、昨年にはMrs. GREEN APPLEの楽曲「コロンブス」のミュージックビデオが黒人差別との指摘で公開中止に追い込まれたりと、アーティストによる政治的表現が話題になっている。しかし、アーティストが政治的意見を持ち、それを作品に反映させるのは当然の市民的権利である。これらの表現に対する批判もまた自由であるが、その一方で、表現そのものを守る責任は、批判する側にも等しく求められる。圧力をかけて資金源を断ったり、魔女裁判のように糾弾したりする行為は、たとえ批判の立場からであっても、不正義であり、社会全体として排除すべきである。これは、右派・左派の立場を問わず、民主主義の土台となる課題である。また、税金が投入されている組織であれば、時の政権が一定の影響を持つのは当然とも言える。政権は国民の選挙によって正統性を与えられているからだ。それが好ましくないというのであれば、税金の投入を拒み、自主財源で運営すればよい。ただし、たとえ自主独立の運営であっても、組織内における表現の自由を組織として擁護する姿勢は、常に求められる。

アラビア湾発言2025年05月08日

アラビア湾発言
トランプ大統領が来週の中東訪問中に「ペルシャ湾」の呼称を「アラビア湾」に変更する方針であると、複数のアメリカメディアが報じた。一部のアラブ諸国では「アラビア湾」という呼称が一般的だが、国際的には「ペルシャ湾」が正式名称とされている。トランプ氏は第一次政権時の2017年にも「アラビア湾」と発言しており、当時はイランとの関係が緊張していた。7日の記者会見では「誰の感情も傷つけたくない」と述べ、呼称変更について慎重に判断する姿勢を示した。一部では、今回の動きにはアメリカへの投資促進やイスラエルへの譲歩を引き出す狙いがあるとの見方もある。これに対し、イランのアラグチ外相はSNSで「ペルシャ湾の名称は歴史的に定着している」と反発。名称変更は「イランに対する敵意であり、すべてのイラン人への侮辱だ」と強く非難した。トランプ氏は2025年1月に「メキシコ湾」を「アメリカ湾」に改名しており、こうした地名変更の動きは続いている。デナリ山をマッキンリー山に変更したことに始まるトランプ氏の地名変更騒動が中東にまで飛び火した形だが、実は8年前からその主張をしていたとは初めて知った。

以前にも述べたが、自国の地名をどのように変更しようと、それは主権の問題であり、他国がとやかく言うべきことではない。しかし、他国が関係する地名まで一方的に変えるのは幼稚な行為である。もちろん、海洋は複数の国が接しているため、各国に名称の主張があるのは事実だが、その場合は世界中が長年慣れ親しみ、定着している呼称を使えば何の問題もない。あえて別の名称を使うことは、むしろ挑発行為と受け取られるだろう。とはいえ、日本版のGoogleマップではすでに「メキシコ湾」が「アメリカ湾」と併記されている。アメリカ版では、2月に米国の地理名称情報システム(GNIS)が正式に名称を更新したことを受け、「アメリカ湾」と表記されているようだ。AppleマップやBingマップは依然として旧来の表記のままだが、近く「アメリカ湾」に改定されるとの情報もある。しかし、国際的な海域名称の変更には、国際水路機関(IHO)や国連地名標準化会議といった国際機関の承認が必要であり、米国単独での変更は難しい。そのため、「ペルシャ湾」を「アラビア湾」に変更したとしても、国際的な認知は得られないだろう。

アメリカ国内の地図制作会社は紙の地図の修正で大忙しだろうが、その姿は滑稽にすら映る。今回のトランプ発言は、アラブ諸国に配慮したつもりかもしれないが、「ペルシャ湾」という名称は紀元前にまで遡る由緒ある呼称であり、伝統を重んじるべき保守派の姿勢としては矛盾していると言わざるを得ない。この問題は、かつて韓国が「日本海」を「東海」へと変更するよう主張したことを思い起こさせる。あの時、韓国はリベラル政権だったが、今となっては「保守」や「リベラル」といったラベルにはあまり意味がなくなってきている。現代の政治的対立軸は、ナショナリズム対グローバリズム、そして民主主義対権威主義という複合的な枠組みで捉えるべきなのかもしれない。トランプ氏はしばしば「独裁的なナショナリスト」と揶揄されるが、民主的な選挙が保障されている限り、正確には「民主的ナショナリスト」と呼ぶべきだろう。したがって、民主的グローバリズムを志向する日本やEU諸国、カナダなどにとっては、トランプの行動は理解しがたいものに映るのかもしれぬ。

カシミール問題2025年05月07日

カシミール問題
インド北部ジャム・カシミール州の観光地で、26人が銃撃により殺害されたテロ事件を受け、インド政府はこれをパキスタンによる越境テロと断定。インダス川の水資源条約の停止、外交関係の格下げ、ビザ発給の停止など、厳しい対抗措置を発表した。インダス条約停止は初の措置であり、パキスタンへの水供給に影響が及ぶ可能性がある。これに対し、パキスタンもインドとの貿易停止などの報復措置を発表し、両国関係はさらに緊張している。犯行は「カシミール抵抗勢力」を名乗るグループが声明を出し、地域への「部外者」の定住に反発していると主張。パキスタンは関与を否定しているが、カシミールでは長年イスラム過激派が活動しており、インドは繰り返しパキスタンのテロ支援を非難してきた。ガザやウクライナの戦禍に目を奪われがちだったが、イスラムが関わるもう一つの紛争がここにもある。根源は1947年の英国による植民地返還の曖昧さにあり、ロシア(旧ソ連)や中国の関与が紛争を激化させてきた。カシミール問題はインドとパキスタンの領有権争いだ。ムスリム多数のカシミールをヒンドゥー教徒のマハラジャ王が中立政策で治めていたが、パキスタン側の侵攻により王はインドへの編入を要請し、第一次印パ戦争が勃発したのが発端。国連の仲介で分割統治となったが、イスラム過激派によるテロは現在も続いている。

さらに厄介なのは、両国間の対立を背景に進められた核開発である。インドは独立後に核開発を開始し、1964年の中国の核実験を契機に加速。1974年に初の核実験を行い、1998年には5回の核実験を実施し、核保有を確立した。一方、パキスタンは1972年に核開発を開始し、1983年にウラン濃縮技術を確立。インドの1998年の核実験に対抗し、同年6回の核実験を実施。2004年には科学者A.Q.カーンによる核技術のイラン、リビア、北朝鮮への拡散が発覚した。現在、パキスタンは約170発の核弾頭を保有しているとされ、両国の核開発は対立の核心の一つとなっている。インドは中国の核武装に対抗して旧ソ連から、パキスタンはそのインドに対抗して中国から技術供与を受けたという構図だ。中国もソ連も国連安全保障理事国でありながら、IAEA加盟国としての義務に反し、核の軍事転用を助長する行動を繰り返し、戦後一貫してこの地域の不安定化に影響を及ぼしてきた。

カシミール地方は、ヒマラヤ山脈やダル湖など豊かな自然に恵まれ、「地上の楽園」とも称される。観光業が盛んで、トレッキングや水上マーケットが人気を集める。特産品にはカシミアウールやサフランがあり、農業や畜産も地域経済の柱となっている。歴史的にはヒンドゥー教、イスラム教、仏教が共存し、独自の文化が育まれてきた。ムガル帝国時代の庭園やモスクも現存し、伝統的な織物や料理も魅力のひとつである。近年は紛争の影響で観光業が打撃を受けているが、カシミールの自然と文化の豊かさは今なお多くの人々を惹きつけている。カラコルム山脈はパキスタン、インド、中国にまたがり、世界第2位の高峰K2(8,611m)を擁する。険しい地形と氷河に覆われたこれらの山々は、80年近くにらみ合う人間たちを静かに見守ってきた。しかし、いつか神々の鉄槌が振り下ろされないとも限らない。

中国車には関税を2025年05月03日

中国車には関税を
立憲民主党の藤岡衆院議員は、政府による電気自動車(EV)などエコカー購入補助金制度が中国メーカー製の車両にも適用されている点に懸念を示した。藤岡氏は、補助金は本来、日本国内の自動車産業を振興するためのものであり、中国EV大手のBYDなど海外メーカーにも多額の補助金が流れている現状は見直しが必要だと主張。政府に対し、制度の実態解明を求めた。これに対し、経済産業省の副大臣は、補助金はあくまで購入者に対して支給されるものであり、国内で登録された車両であればメーカーや国籍を問わず対象となると説明。令和5年度にはBYD車への補助金交付が約1300件、令和6年度には約1500件にのぼると答弁した。政府側はまた、補助金制度を車両性能や環境性能、企業の取り組みなどを総合的に評価する方式に移行しており、BYDへの補助金総額は減少傾向にあると述べたが、藤岡氏は引き続き国産メーカーを重視する政策への転換を求めている。

現在、日本国内では依然としてハイブリッド車が主流であり、EVの需要は急速には伸びていない。寒冷地ではバッテリー性能が低下しやすく、航続距離や価格とのバランスに疑問を持つ消費者も多い。そのため、現時点では中国製EVに過剰な危機感を持つ必要はないとの見方もある。しかし、BYDは2026年後半に日本市場向けの軽EVを投入する計画を進めており、価格は185万〜225万円と見込まれている。補助金適用後は150万円を下回る可能性もあり、コストパフォーマンスの高さが消費者に受け入れられる余地は大きい。航続距離は230〜300kmとされ、補助金適用後180万円の日産の軽EV「サクラ」(180km)を上回る性能である。BYDは独自の「ブレードバッテリー」を採用しており、価格だけでなく安全性や耐久性の面でも強い競争力を有している。

こうした中国製EVの進出に対して、補助金制度だけでなく、より大きな経済構造の観点からの分析も必要である。そのひとつが、為替制度の問題である。中国は「管理変動相場制」を採用しており、政府が為替レートを事実上管理している。1980年代以降、意図的に元安へと誘導する政策を継続しており、現在の為替水準(1ドル=約7元)は、当時の約0.7元と比べて実質的に10倍。マネタリーベースを考慮した理論値から見ても、6倍程度の過剰な元安とされる。このような為替の歪みは、中国製品全体における価格競争力を過度に高めており、EVだけでなく、鉄鋼、太陽光パネル、電子部品など幅広い分野で市場への影響が出ている。アメリカでは、このような価格の不均衡に対し、高関税による是正措置を講じており、日本においても同様の政策的検討が求められる。仮に理論値に基づいた円元為替が関税に適用されれば、BYDの軽EVは550万円以上となり、現在の価格競争力の前提は崩れることになる。

中国側が報復的に日本産農産物や海産物に高関税を課す可能性はあるが、中国国内の富裕層によるニーズがある限り、その影響は限定的と見る向きもある。中国依存の工業製品は自由貿易圏や日本に移行して生産すればよい。こうした点を踏まえると、補助金の見直しに加え、為替政策や貿易ルールの公平性を再検討することが、産業競争力の維持にとって不可欠である。一方で、このような対応に慎重な姿勢を示す親中派の政治家もおり、現実的な政策判断は容易ではない。最終的には、こうした政策の方向性を国民がどのように評価するかが、今後の選挙を通じて問われることになろう。

大学で割り算を教える是非?2025年05月02日

大学で割り算を教える是非?
先月の財政制度等審議会分科会では、大学への助成金と教育の質について議論が行われた。定員割れが続く私立大学で、四則演算や基礎英語を教える授業が実際に行われている事例が示され、助成金の見直しが提案された。SNSでは、大学で義務教育レベルの内容を教えることについて賛否が分かれている。現場の大学教員からは、基礎学力の不足する学生に対して基礎から指導し、最終的には専門的な水準に育てているとの声があり、大学の役割や大卒資格の重要性、大学が「教育の最終機会」として機能していることが語られた。一方で、日本の大学教育が記憶重視であり、自立した意見を持つ人材の育成に課題があるとの指摘もある。また、財務省の報告書には、補助金削減が教育の質向上につながらないとの批判もあり、18歳人口の減少による大学経営の厳しさも背景にある。今後は、単なる淘汰ではなく、大学全体の底上げと人材育成につながる改革が求められている。

「名前さえ書けたら合格する大学」は以前から存在しており、少子化が進む中でも新設大学や新設学部は増加を続けてきた。そうした大学の卒業生がどのような就労状況にあるかは定かでないが、就職すれば学歴によって給与が決まりやすく、給与表にも反映される。推計では、大卒と高卒の生涯平均年収には約4,000万〜5,000万円の差があり、年金額においても大卒は高卒より年間約18万円多く受給するとされる。もちろん、個人の能力によって給与を決める企業もあるが、それは多数派とは言えない。生涯で5,000万円以上の差があるとなれば、多少学費が高くても大学に通う「投資効果」は大きく、いわゆるFランク大学にも存在意義があると考えられる。

この状況を是正するには、公務員や企業の学歴による給与制度を廃止するか、日本の教育体系を抜本的に見直す必要がある。本来、給与は企業側の需要と労働者側の供給の関係によって個別に決定されるべきだが、横並び志向が強い日本では能力給に対する抵抗が根強い。企業側にとっては、学歴による区分の方が労働者を分断しやすく、人件費も抑えやすいため都合が良く、学歴給制度の廃止は進みにくい。一方、この制度は高卒労働者の意欲を損ない、労働生産性の向上を妨げる要因にもなっている。

また、日本の教育体系は単線型で、上記の学歴給与制度の存在により、職業教育を選択するインセンティブが弱い。仮に、早期に専門技術を身につけて働いたとしても、大卒に比べて不利な給与体系が残る限り、低学力のままでも大学進学を選ぶ理由が消えない。税金である私学助成金を理由に大学で割り算や分数を教える是非を議論する前に、給与体系や教育体系そのものについて議論する方が、生産的で本質的な改革につながるのではないか。

イーロン・マスクとトランプ2025年05月01日

イーロン・マスクとトランプ
米テスラ取締役会は、イーロン・マスクCEOの後任選定作業に着手した。背景には、マスク氏がトランプ政権下で政府効率化省(DOGE)を率い、米政府機関の人員削減や欧州右派政党との接近など政治的活動を展開し、これがテスラのブランドイメージを損ない、業績悪化を招いたことがある。実際、2025年1~3月期のテスラの最終利益は前年同期比で71%減少し、米欧で不買運動も広がった。取締役会は1カ月前から後任探しを進めており、マスク氏にはテスラ経営への専念を求めている。マスク氏は5月からDOGEへの関与を大幅に縮小し、テスラへの注力を表明したが、CEO続投の行方は依然として不透明である。マスク氏が主導したDOGEは、アメリカ連邦政府の官僚主義を解体し、行政の効率化と支出削減を目指した。DOGEはトランプ政権下に設置された外部助言組織であり、ホワイトハウスの承認のもと活動していた。行政手続きの簡素化や自動化を進め、とりわけ教育・医療分野で年間5,000億ドル規模の歳出削減を掲げた。DOGEの改革は、DEI(多様性・公平性・包括性)政策の見直し、職員の一時休職、大規模な解雇という三段階で構成され、「プロジェクト2025」と連動して組織再編を進めた。しかし、議会の承認を得ていないため強制力や持続性に疑問があり、権限の不透明さや実際の成果にも批判がある。大胆な改革姿勢は評価される一方で、その急進性には賛否が分かれている。

日本の米国報道の多くは民主党寄りであり、米国全体の意識動向を日本の報道だけで把握するのは困難だ。前回の大統領選でも、民主党優勢との報道が主流だったが、結果はトランプ氏の事実上の圧勝だった。こうした経験から今は日本の米国報道を鵜呑みにしないようにしている。DOGEのマスク氏の報道のほとんどは否定的に伝えられるがこれもどの程度正しいのかはわからない。そうしたこともあり、電気自動車(EV)で成功を収めたマスク氏が、なぜ脱炭素政策に否定的なトランプ氏と手を組んだのか、当初は理解しがたかった。テスラは脱炭素の象徴として欧米の左派や環境主義者に支持され、その時流に乗って売り上げを伸ばしてきたと言っても過言ではないからだ。

一方で、マスク氏は過剰なポリティカル・コレクトネスに反発し、表現の自由を重視する立場から、トランプ氏と政治信条を強く共有していた。だからと言って、反脱炭素主義で相互関税を掲げるトランプ政権と組めば、テスラ車の売上減につながることは容易に予想できたはずだ。GAFAのようにあとから勝ち馬トランプに乗るならまだしも、先陣を切って協力することはテスラ社にとってはデメリットの方が大きい。したがって、マスク氏はテスラの利益よりも、連邦政府の放漫経営を止め、グローバル化で空洞化した米国産業を再興しようとするMAGA政策の実現を選択したと見た方が自然だ。

アメリカの行政は連邦と州で権限が拮抗し、二重行政による非効率が常態化している。こうした構造にメスを入れるのは容易ではない。そこに企業経営者の論理を持ち込んで改革を断行できるのは、マスク氏ならではだろう。トランプ氏はDOGEの任期を約4カ月と定めており、その短期間で急速に改革を進める必要があった点も理解できる。大統領府を持たない日本では、例えばトヨタ会長が特命大臣になったとしても、財務省や各種利権団体からの強烈な反発を受け、政権自体が危機に陥るだろう。そう考えると、米国の大胆な改革の進め方は、破天荒でもありうらやましくも感じられる。
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