イーロン・マスクとトランプ2025年05月01日

イーロン・マスクとトランプ
米テスラ取締役会は、イーロン・マスクCEOの後任選定作業に着手した。背景には、マスク氏がトランプ政権下で政府効率化省(DOGE)を率い、米政府機関の人員削減や欧州右派政党との接近など政治的活動を展開し、これがテスラのブランドイメージを損ない、業績悪化を招いたことがある。実際、2025年1~3月期のテスラの最終利益は前年同期比で71%減少し、米欧で不買運動も広がった。取締役会は1カ月前から後任探しを進めており、マスク氏にはテスラ経営への専念を求めている。マスク氏は5月からDOGEへの関与を大幅に縮小し、テスラへの注力を表明したが、CEO続投の行方は依然として不透明である。マスク氏が主導したDOGEは、アメリカ連邦政府の官僚主義を解体し、行政の効率化と支出削減を目指した。DOGEはトランプ政権下に設置された外部助言組織であり、ホワイトハウスの承認のもと活動していた。行政手続きの簡素化や自動化を進め、とりわけ教育・医療分野で年間5,000億ドル規模の歳出削減を掲げた。DOGEの改革は、DEI(多様性・公平性・包括性)政策の見直し、職員の一時休職、大規模な解雇という三段階で構成され、「プロジェクト2025」と連動して組織再編を進めた。しかし、議会の承認を得ていないため強制力や持続性に疑問があり、権限の不透明さや実際の成果にも批判がある。大胆な改革姿勢は評価される一方で、その急進性には賛否が分かれている。

日本の米国報道の多くは民主党寄りであり、米国全体の意識動向を日本の報道だけで把握するのは困難だ。前回の大統領選でも、民主党優勢との報道が主流だったが、結果はトランプ氏の事実上の圧勝だった。こうした経験から今は日本の米国報道を鵜呑みにしないようにしている。DOGEのマスク氏の報道のほとんどは否定的に伝えられるがこれもどの程度正しいのかはわからない。そうしたこともあり、電気自動車(EV)で成功を収めたマスク氏が、なぜ脱炭素政策に否定的なトランプ氏と手を組んだのか、当初は理解しがたかった。テスラは脱炭素の象徴として欧米の左派や環境主義者に支持され、その時流に乗って売り上げを伸ばしてきたと言っても過言ではないからだ。

一方で、マスク氏は過剰なポリティカル・コレクトネスに反発し、表現の自由を重視する立場から、トランプ氏と政治信条を強く共有していた。だからと言って、反脱炭素主義で相互関税を掲げるトランプ政権と組めば、テスラ車の売上減につながることは容易に予想できたはずだ。GAFAのようにあとから勝ち馬トランプに乗るならまだしも、先陣を切って協力することはテスラ社にとってはデメリットの方が大きい。したがって、マスク氏はテスラの利益よりも、連邦政府の放漫経営を止め、グローバル化で空洞化した米国産業を再興しようとするMAGA政策の実現を選択したと見た方が自然だ。

アメリカの行政は連邦と州で権限が拮抗し、二重行政による非効率が常態化している。こうした構造にメスを入れるのは容易ではない。そこに企業経営者の論理を持ち込んで改革を断行できるのは、マスク氏ならではだろう。トランプ氏はDOGEの任期を約4カ月と定めており、その短期間で急速に改革を進める必要があった点も理解できる。大統領府を持たない日本では、例えばトヨタ会長が特命大臣になったとしても、財務省や各種利権団体からの強烈な反発を受け、政権自体が危機に陥るだろう。そう考えると、米国の大胆な改革の進め方は、破天荒でもありうらやましくも感じられる。

大学で割り算を教える是非?2025年05月02日

大学で割り算を教える是非?
先月の財政制度等審議会分科会では、大学への助成金と教育の質について議論が行われた。定員割れが続く私立大学で、四則演算や基礎英語を教える授業が実際に行われている事例が示され、助成金の見直しが提案された。SNSでは、大学で義務教育レベルの内容を教えることについて賛否が分かれている。現場の大学教員からは、基礎学力の不足する学生に対して基礎から指導し、最終的には専門的な水準に育てているとの声があり、大学の役割や大卒資格の重要性、大学が「教育の最終機会」として機能していることが語られた。一方で、日本の大学教育が記憶重視であり、自立した意見を持つ人材の育成に課題があるとの指摘もある。また、財務省の報告書には、補助金削減が教育の質向上につながらないとの批判もあり、18歳人口の減少による大学経営の厳しさも背景にある。今後は、単なる淘汰ではなく、大学全体の底上げと人材育成につながる改革が求められている。

「名前さえ書けたら合格する大学」は以前から存在しており、少子化が進む中でも新設大学や新設学部は増加を続けてきた。そうした大学の卒業生がどのような就労状況にあるかは定かでないが、就職すれば学歴によって給与が決まりやすく、給与表にも反映される。推計では、大卒と高卒の生涯平均年収には約4,000万〜5,000万円の差があり、年金額においても大卒は高卒より年間約18万円多く受給するとされる。もちろん、個人の能力によって給与を決める企業もあるが、それは多数派とは言えない。生涯で5,000万円以上の差があるとなれば、多少学費が高くても大学に通う「投資効果」は大きく、いわゆるFランク大学にも存在意義があると考えられる。

この状況を是正するには、公務員や企業の学歴による給与制度を廃止するか、日本の教育体系を抜本的に見直す必要がある。本来、給与は企業側の需要と労働者側の供給の関係によって個別に決定されるべきだが、横並び志向が強い日本では能力給に対する抵抗が根強い。企業側にとっては、学歴による区分の方が労働者を分断しやすく、人件費も抑えやすいため都合が良く、学歴給制度の廃止は進みにくい。一方、この制度は高卒労働者の意欲を損ない、労働生産性の向上を妨げる要因にもなっている。

また、日本の教育体系は単線型で、上記の学歴給与制度の存在により、職業教育を選択するインセンティブが弱い。仮に、早期に専門技術を身につけて働いたとしても、大卒に比べて不利な給与体系が残る限り、低学力のままでも大学進学を選ぶ理由が消えない。税金である私学助成金を理由に大学で割り算や分数を教える是非を議論する前に、給与体系や教育体系そのものについて議論する方が、生産的で本質的な改革につながるのではないか。

中国車には関税を2025年05月03日

中国車には関税を
立憲民主党の藤岡衆院議員は、政府による電気自動車(EV)などエコカー購入補助金制度が中国メーカー製の車両にも適用されている点に懸念を示した。藤岡氏は、補助金は本来、日本国内の自動車産業を振興するためのものであり、中国EV大手のBYDなど海外メーカーにも多額の補助金が流れている現状は見直しが必要だと主張。政府に対し、制度の実態解明を求めた。これに対し、経済産業省の副大臣は、補助金はあくまで購入者に対して支給されるものであり、国内で登録された車両であればメーカーや国籍を問わず対象となると説明。令和5年度にはBYD車への補助金交付が約1300件、令和6年度には約1500件にのぼると答弁した。政府側はまた、補助金制度を車両性能や環境性能、企業の取り組みなどを総合的に評価する方式に移行しており、BYDへの補助金総額は減少傾向にあると述べたが、藤岡氏は引き続き国産メーカーを重視する政策への転換を求めている。

現在、日本国内では依然としてハイブリッド車が主流であり、EVの需要は急速には伸びていない。寒冷地ではバッテリー性能が低下しやすく、航続距離や価格とのバランスに疑問を持つ消費者も多い。そのため、現時点では中国製EVに過剰な危機感を持つ必要はないとの見方もある。しかし、BYDは2026年後半に日本市場向けの軽EVを投入する計画を進めており、価格は185万〜225万円と見込まれている。補助金適用後は150万円を下回る可能性もあり、コストパフォーマンスの高さが消費者に受け入れられる余地は大きい。航続距離は230〜300kmとされ、補助金適用後180万円の日産の軽EV「サクラ」(180km)を上回る性能である。BYDは独自の「ブレードバッテリー」を採用しており、価格だけでなく安全性や耐久性の面でも強い競争力を有している。

こうした中国製EVの進出に対して、補助金制度だけでなく、より大きな経済構造の観点からの分析も必要である。そのひとつが、為替制度の問題である。中国は「管理変動相場制」を採用しており、政府が為替レートを事実上管理している。1980年代以降、意図的に元安へと誘導する政策を継続しており、現在の為替水準(1ドル=約7元)は、当時の約0.7元と比べて実質的に10倍。マネタリーベースを考慮した理論値から見ても、6倍程度の過剰な元安とされる。このような為替の歪みは、中国製品全体における価格競争力を過度に高めており、EVだけでなく、鉄鋼、太陽光パネル、電子部品など幅広い分野で市場への影響が出ている。アメリカでは、このような価格の不均衡に対し、高関税による是正措置を講じており、日本においても同様の政策的検討が求められる。仮に理論値に基づいた円元為替が関税に適用されれば、BYDの軽EVは550万円以上となり、現在の価格競争力の前提は崩れることになる。

中国側が報復的に日本産農産物や海産物に高関税を課す可能性はあるが、中国国内の富裕層によるニーズがある限り、その影響は限定的と見る向きもある。中国依存の工業製品は自由貿易圏や日本に移行して生産すればよい。こうした点を踏まえると、補助金の見直しに加え、為替政策や貿易ルールの公平性を再検討することが、産業競争力の維持にとって不可欠である。一方で、このような対応に慎重な姿勢を示す親中派の政治家もおり、現実的な政策判断は容易ではない。最終的には、こうした政策の方向性を国民がどのように評価するかが、今後の選挙を通じて問われることになろう。

アドレセンス2025年05月04日

アドレセンス
Netflixの『アドレセンス(思春期)』は、3月に配信が始まったイギリス発のクライムドラマで、その評判を聞いて視聴した。物語は、13歳の少年ジェイミーが同級生ケイティ殺害の容疑で逮捕される場面から始まる。ごく普通の家庭に暮らしていた少年が突然警察に連行され、家族や周囲の人々に大きな衝撃を与える。ジェイミーは当初、容疑を否認するが、監視カメラの映像によって犯行が明るみに出る。事件の真相を巡って、刑事、心理士、家族など、それぞれの視点から物語が展開される。現代社会における少年犯罪、SNSの影響、思春期の葛藤、家庭の崩壊、ミソジニー(女性嫌悪)や有害な男らしさといったテーマが浮き彫りになる。ジェイミーは少年院で心理士のアリストンと対話を重ね、自らの内面と向き合い始める。全編ワンカットで撮影された演出は、登場人物の緊張感や動揺、事件の真相に迫る過程をリアルタイムで描き出し、その場に立ち会っているかのような没入感を生み出していた。主演のオーウェン・クーパーは、本作がデビュー作とは思えないほど、無垢さと狂気が交錯する難役を見事に演じていた。このシリーズは、どこにでもある家庭に起こりうる“最悪の悪夢”を描き、視聴者に深い問いを投げかける作品となっている。

イギリスのスターマー首相は、自身の子どもたちとともにこの作品を視聴したと述べ、「現代社会の課題を乗り越え、有害な影響から若者を守るには、オープンな対話が不可欠だ」と発言。英国議会でもこの作品が議題となり、中学校での教育活用が決定されたという。劇中、中学校の捜査シーンでは、情報提供を丁寧に求める刑事に対して、生徒たちが茶化したり激しく罵倒したりする様子が描かれる。これが実際の英国の中学校の現状だとすれば、非常に悩ましい。しかし、警察が子どもであっても誠実に対応し、証拠がそろっていてもなお動機を丁寧に捜査していく姿勢には好感が持てた。また、刑事がSNS上の若者の隠語(キャラクター)を息子に教えてもらうことで、ジェイミーが被害者や同級生からいじめを受けていたことに気づく展開も、現代的で印象的だった。

ミソジニーや誤ったジェンダー意識が思春期の男子に与える影響を描いた作品だという批評も多いが、それを一般化するのはやや飛躍があるように感じた。むしろ、行き過ぎた多様性・ジェンダー教育が子どもたちに与える影響のほうが、より深刻なのではないかとも考えさせられた。スターマー首相の発言の背景には、若者がインターネット上の有害な情報に惑わされることなく、健全な価値観を持てるようにという意図があるのだろう。『アドレセンス』は、子どもの価値観形成にとってどのような環境が必要かを改めて問いかける作品であった。

教員の処遇改善法案2025年05月05日

教員の精神疾患での休職率
与野党は、公立学校教員の処遇改善を目的として、「教員給与特別措置法」などの改正案を修正する方向で合意した。法案には、教員の平均残業時間を月30時間までに削減し、「35人学級」を実現するなどの政府目標が明記されており、今国会での成立が見込まれている。立憲民主党と日本維新の会は、教員定数の見直しや担当授業数の削減を盛り込んだ修正案をまとめ、連休明けに提出する予定であり、自民党も実務者間の調整を経て同意した。改正案の柱は、教員の基本給に上乗せされる「教職調整額」を、現行の4%から10%へ段階的に引き上げることで、長時間労働の常態化を是正する点にある。文部科学省の2022年度調査によれば、公立中学校教員の平均残業時間は月58時間に上っていた。野党側は、給与の是正だけでなく業務そのものの見直しが不可欠だと主張し、具体的な対策の提示を求めていた。

20代の教員の精神疾患での休職率は2.1%で他の20代の公務員の10倍以上という高水準である。もちろん、他の公務員も15年間で休職率が2倍に増加しているとはいえ、教員の休職割合とは一桁の差がある。教職員全体で見ても、1.4%が精神疾患で休職しており、これは20代に限った問題ではない。同じ地方公務員でこれほどまでに差が出るのは、異常と言わざるを得ない。今回の改正案により、20代教員の月収30万円程度は6%増となるが、月に2万円程度の給与増でこの深刻な状況が改善されるとは思えない。残業時間を月30時間に抑える方針だが、実際には小学校教員の約14%、中学校教員の約36%が月80時間以上の長時間労働に従事しているという報告もある。何の手立てもなく残業時間だけを削減しようとすれば、かえって「時短ハラスメント」として職場に持ち込まれ、教職員のストレスを悪化させる恐れがある。

20代教員が休職する割合をみて50人に一人なら少ないと侮ってはいけない。多職種の20代よりも10倍多くここ数年高止まりのままというのは、若手教員全体に負荷が大きいままとみる必要がある。近年の大量退職により、現場では若手教員の割合が増加しており、20代教員の絶対数自体が増えている。また、経験の浅いまま授業、生徒指導、保護者対応、部活動と多岐にわたる業務を担わされ、過重な負担を強いられている。さらに、相談できる中堅・ベテラン教員の不足により、悩みを抱え込みやすく、支援体制も不十分だ。個人的要因としては、理想と現実のギャップ、自らに過度なプレッシャーをかける傾向、業務のオーバーフロー、受け身的姿勢による孤立感などがある。環境要因としては、教員不足による業務の集中、相談しづらい職場風土、フォローアップ体制の不備などが指摘されている。

簡単に言えば、現代の高い教育ニーズと現場の力量とのミスマッチがあるにもかかわらず、教員自身の自己イメージが高すぎるために、折れやすくなっているということだ。つまり、「できないことをやろうとして折れる」のである。であれば、見かけの残業時間を減らすのではなく、業務内容そのものを見直すべきだ。たとえば、まずは担任制をやめ、チームで業務に当たる体制へ移行することだ。学校規模が大きければ学年ごとのチームでもよいが、小規模校であれば、適切な教員集団を教育単位として編成すべきである。担任制は、子どもにも教員にも「当たり外れ」が大きすぎる。教員はいつまでも「個人商店」のような担任制に幻想を抱くのではなく、文字通りのチーム指導に踏み出すべきだ。もちろん、チームメンバーも時期を問わず校内や広域で柔軟に異動できる仕組みとする。これだけでも、教員のストレスは大きく軽減されるだろう。ただし、特別支援など少数担当者に力量のない教員が故意に配置されることなどがないよう、不適切な配置に対する抑止のルールは不可欠である。

「白雪姫」映画165億赤字2025年05月06日

実写版「白雪姫」映画165億赤字
ディズニーの実写版『白雪姫』が、大きな赤字を出す見込みだという。報道によれば、その額は約1億1500万ドル(日本円で約165億円)。日本でも、大型連休を待たずに上映終了する映画館が出てくるなど、興行成績はかなり厳しい。ここまで振るわない理由は何なのか? もちろん、一因では済まない。だが、やはり最大の要因は「観客が感じた違和感」だろう。白雪姫といえば、誰もが思い浮かべるのは、あの「雪のように白い肌の少女」。このキャラクターを、ラテン系アメリカ人のレイチェル・ゼグラーさんが演じた時点で、「え?」と感じた人は少なくなかったはずだ。しかも、ゼグラーさんはインタビューで「王子に助けられるなんてナンセンス」と語るなど、古典的なプリンセス像を否定する発言をしていた。フェミニズム的視点としては理解できるが、ディズニーアニメの原作イメージを愛してきた人たちにとっては、これもまた“ズレ”だった。SNSなどでは、「DEI(多様性・公平性・包括性)を優先しすぎて、ファンの感情が置き去りにされたのでは?」という声が目立つ。確かに、今のディズニーはDEI路線を前面に出しており、今回のキャスティングもその一環と見る向きは多い。

もちろん、DEIの理念自体に異論があるわけではない。年齢・性別・人種などに関係なく、誰もが活躍できる社会を目指すことは大切だ。ただ、それをエンタメに過剰に持ち込むと、「物語の自然さ」や「観客の没入感」を損なうリスクがあるのも事実。これは、文化的な“空気”の問題でもある。たとえば、関西が舞台の映画で、関東出身の俳優がなんちゃって関西弁を話していたらどう感じるか? 全国的には気にならなくても、関西の人にはどうしても「違和感」が残る。ディテールの違和感は、積み重なると物語そのものに入り込めなくなる。

「白雪姫=白い肌の少女」というイメージは、多くの人にとって“共有された前提”だった。それを変えるなら、それ相応の物語的な説得力が必要だったのではないか。単に「多様性だから」とキャストを変えただけでは、逆に反発を招くのも当然だろう。今後も映画界にDEIの流れが続くかもしれない。ただし、「誰のための多様性か?」という問いは、常に付いて回る。大事なのは、理念の押し付けではなく、作品世界の中で自然に、説得力をもって受け入れられる形にすること。『白雪姫』の興行不振を「トランプ派の陰謀」や「政治的対立のせい」にしたがる人もいるが、そこまで話を飛ばす必要はない。もっとシンプルに、「観客が物語に共感できなかった」。それがすべてではないだろうか。

カシミール問題2025年05月07日

カシミール問題
インド北部ジャム・カシミール州の観光地で、26人が銃撃により殺害されたテロ事件を受け、インド政府はこれをパキスタンによる越境テロと断定。インダス川の水資源条約の停止、外交関係の格下げ、ビザ発給の停止など、厳しい対抗措置を発表した。インダス条約停止は初の措置であり、パキスタンへの水供給に影響が及ぶ可能性がある。これに対し、パキスタンもインドとの貿易停止などの報復措置を発表し、両国関係はさらに緊張している。犯行は「カシミール抵抗勢力」を名乗るグループが声明を出し、地域への「部外者」の定住に反発していると主張。パキスタンは関与を否定しているが、カシミールでは長年イスラム過激派が活動しており、インドは繰り返しパキスタンのテロ支援を非難してきた。ガザやウクライナの戦禍に目を奪われがちだったが、イスラムが関わるもう一つの紛争がここにもある。根源は1947年の英国による植民地返還の曖昧さにあり、ロシア(旧ソ連)や中国の関与が紛争を激化させてきた。カシミール問題はインドとパキスタンの領有権争いだ。ムスリム多数のカシミールをヒンドゥー教徒のマハラジャ王が中立政策で治めていたが、パキスタン側の侵攻により王はインドへの編入を要請し、第一次印パ戦争が勃発したのが発端。国連の仲介で分割統治となったが、イスラム過激派によるテロは現在も続いている。

さらに厄介なのは、両国間の対立を背景に進められた核開発である。インドは独立後に核開発を開始し、1964年の中国の核実験を契機に加速。1974年に初の核実験を行い、1998年には5回の核実験を実施し、核保有を確立した。一方、パキスタンは1972年に核開発を開始し、1983年にウラン濃縮技術を確立。インドの1998年の核実験に対抗し、同年6回の核実験を実施。2004年には科学者A.Q.カーンによる核技術のイラン、リビア、北朝鮮への拡散が発覚した。現在、パキスタンは約170発の核弾頭を保有しているとされ、両国の核開発は対立の核心の一つとなっている。インドは中国の核武装に対抗して旧ソ連から、パキスタンはそのインドに対抗して中国から技術供与を受けたという構図だ。中国もソ連も国連安全保障理事国でありながら、IAEA加盟国としての義務に反し、核の軍事転用を助長する行動を繰り返し、戦後一貫してこの地域の不安定化に影響を及ぼしてきた。

カシミール地方は、ヒマラヤ山脈やダル湖など豊かな自然に恵まれ、「地上の楽園」とも称される。観光業が盛んで、トレッキングや水上マーケットが人気を集める。特産品にはカシミアウールやサフランがあり、農業や畜産も地域経済の柱となっている。歴史的にはヒンドゥー教、イスラム教、仏教が共存し、独自の文化が育まれてきた。ムガル帝国時代の庭園やモスクも現存し、伝統的な織物や料理も魅力のひとつである。近年は紛争の影響で観光業が打撃を受けているが、カシミールの自然と文化の豊かさは今なお多くの人々を惹きつけている。カラコルム山脈はパキスタン、インド、中国にまたがり、世界第2位の高峰K2(8,611m)を擁する。険しい地形と氷河に覆われたこれらの山々は、80年近くにらみ合う人間たちを静かに見守ってきた。しかし、いつか神々の鉄槌が振り下ろされないとも限らない。

アラビア湾発言2025年05月08日

アラビア湾発言
トランプ大統領が来週の中東訪問中に「ペルシャ湾」の呼称を「アラビア湾」に変更する方針であると、複数のアメリカメディアが報じた。一部のアラブ諸国では「アラビア湾」という呼称が一般的だが、国際的には「ペルシャ湾」が正式名称とされている。トランプ氏は第一次政権時の2017年にも「アラビア湾」と発言しており、当時はイランとの関係が緊張していた。7日の記者会見では「誰の感情も傷つけたくない」と述べ、呼称変更について慎重に判断する姿勢を示した。一部では、今回の動きにはアメリカへの投資促進やイスラエルへの譲歩を引き出す狙いがあるとの見方もある。これに対し、イランのアラグチ外相はSNSで「ペルシャ湾の名称は歴史的に定着している」と反発。名称変更は「イランに対する敵意であり、すべてのイラン人への侮辱だ」と強く非難した。トランプ氏は2025年1月に「メキシコ湾」を「アメリカ湾」に改名しており、こうした地名変更の動きは続いている。デナリ山をマッキンリー山に変更したことに始まるトランプ氏の地名変更騒動が中東にまで飛び火した形だが、実は8年前からその主張をしていたとは初めて知った。

以前にも述べたが、自国の地名をどのように変更しようと、それは主権の問題であり、他国がとやかく言うべきことではない。しかし、他国が関係する地名まで一方的に変えるのは幼稚な行為である。もちろん、海洋は複数の国が接しているため、各国に名称の主張があるのは事実だが、その場合は世界中が長年慣れ親しみ、定着している呼称を使えば何の問題もない。あえて別の名称を使うことは、むしろ挑発行為と受け取られるだろう。とはいえ、日本版のGoogleマップではすでに「メキシコ湾」が「アメリカ湾」と併記されている。アメリカ版では、2月に米国の地理名称情報システム(GNIS)が正式に名称を更新したことを受け、「アメリカ湾」と表記されているようだ。AppleマップやBingマップは依然として旧来の表記のままだが、近く「アメリカ湾」に改定されるとの情報もある。しかし、国際的な海域名称の変更には、国際水路機関(IHO)や国連地名標準化会議といった国際機関の承認が必要であり、米国単独での変更は難しい。そのため、「ペルシャ湾」を「アラビア湾」に変更したとしても、国際的な認知は得られないだろう。

アメリカ国内の地図制作会社は紙の地図の修正で大忙しだろうが、その姿は滑稽にすら映る。今回のトランプ発言は、アラブ諸国に配慮したつもりかもしれないが、「ペルシャ湾」という名称は紀元前にまで遡る由緒ある呼称であり、伝統を重んじるべき保守派の姿勢としては矛盾していると言わざるを得ない。この問題は、かつて韓国が「日本海」を「東海」へと変更するよう主張したことを思い起こさせる。あの時、韓国はリベラル政権だったが、今となっては「保守」や「リベラル」といったラベルにはあまり意味がなくなってきている。現代の政治的対立軸は、ナショナリズム対グローバリズム、そして民主主義対権威主義という複合的な枠組みで捉えるべきなのかもしれない。トランプ氏はしばしば「独裁的なナショナリスト」と揶揄されるが、民主的な選挙が保障されている限り、正確には「民主的ナショナリスト」と呼ぶべきだろう。したがって、民主的グローバリズムを志向する日本やEU諸国、カナダなどにとっては、トランプの行動は理解しがたいものに映るのかもしれぬ。

日本学術会議の特殊法人化2025年05月09日

日本学術会議の特殊法人化
北大の宇山教授は、日本学術会議の特殊法人化をめぐる政府提出法案に関し、自身が「法律が通ることで、これまでとは違う人が入ってくる」と発言したことを明らかにした。教授によれば、現在の学術会議は、政府と協力しつつも独立性を保てる研究者で構成されているが、法人化によって右派の研究者が加入し、学術会議の活動が政治化する可能性があると懸念した。宇山教授は、法人化を推進してきたのが日本会議や旧統一教会と関係のある政治家であると指摘し、その影響力のもとで右派の人物が学術会議の会員となれば、政治的偏向が生じる恐れがあると述べた。また、現在の学術会議には共産党系の左派の影響はほとんど見られないとしつつも、過去には左派の会員が政治的活動を行っていたことがあり、それが好ましくなかったように、法人化後に右派が加わることも同様に望ましくないと述べた。さらに教授は、右派の影響が強まることで、学術会議がジェンダーや人権、歴史認識といった問題において、世論や学界の主流とは異なる国粋主義的な立場を取るようになり、自民党右派やその他の右派政党の政策に正当性を与える可能性があると懸念を表明した。この発言に対し、衆院内閣委員会では「右派を排除しようとしているのではないか」と自民党議員から疑問の声が上がった。宇山教授は、「右も左もお互い様ではないか」と言いたいのだろうか。学術会議に限らず、あらゆる組織は、思想信条や意見の異なる人々によって構成されるのが当然であり、公共性のある組織であればなおさら多様な人材が集まるのが望ましい。民主主義においては、それが健全な姿である。

学術会議が法人化される背景には、執行部が「軍事研究は許さない」との立場を一方的に押し通し、さまざまな研究を独自に「軍事研究」と判断して圧力をかけ、結果として研究を潰してきたという批判がある。だが、科学技術の歴史は戦争と不可分の関係にある。たとえば、マンハッタン計画で核兵器を開発した科学者を「平和の敵」と見なすのは、あまりにも幼稚かつ独善的である。インターネット技術にしても、もともとは軍事研究から生まれたものだ。学術会議が圧力をかけたとされる北大での船舶の航行技術研究は、どの船にも応用可能な内容だったが、防衛省の助成があるという理由だけで批判され、最終的には助成辞退に至った。この事実を、北大の宇山教授が知らないはずがない。いかなる個人であれ、自らの考えを表現する自由は、公益に反しない限り保障されるべきである。表現とは、文筆、絵画、彫刻、音楽などの身体的・記号的表現にとどまらず、科学者にとっては研究活動そのものが表現にあたる。たとえ自分の考えと異なっていても、その表現活動を守る姿勢こそが、民主主義の本質である。

近年では、宇多田ヒカルの新曲に夫婦別姓を支持する歌詞が含まれていたことで批判されたり、昨年にはMrs. GREEN APPLEの楽曲「コロンブス」のミュージックビデオが黒人差別との指摘で公開中止に追い込まれたりと、アーティストによる政治的表現が話題になっている。しかし、アーティストが政治的意見を持ち、それを作品に反映させるのは当然の市民的権利である。これらの表現に対する批判もまた自由であるが、その一方で、表現そのものを守る責任は、批判する側にも等しく求められる。圧力をかけて資金源を断ったり、魔女裁判のように糾弾したりする行為は、たとえ批判の立場からであっても、不正義であり、社会全体として排除すべきである。これは、右派・左派の立場を問わず、民主主義の土台となる課題である。また、税金が投入されている組織であれば、時の政権が一定の影響を持つのは当然とも言える。政権は国民の選挙によって正統性を与えられているからだ。それが好ましくないというのであれば、税金の投入を拒み、自主財源で運営すればよい。ただし、たとえ自主独立の運営であっても、組織内における表現の自由を組織として擁護する姿勢は、常に求められる。

財政破綻を懸念??2025年05月10日

政府の総負債が1323兆7155億円
財務省は2024年度末時点で、日本政府の総負債が1323兆7155億円に達し、前年より26兆円以上増加したと発表した。これは9年連続で過去最大を更新している。物価高対策などで歳出が膨らむ一方、税収では補えず、借金が拡大しているとの説明である。しかし、こうした報道にはいつも違和感が残る。というのも、財務省や多くのメディアが発信する「借金」には、政府が保有する資産が一切含まれていないからだ。これは企業会計では考えにくい。たとえば、トヨタの負債が54兆円であっても、資産が同程度あるため倒産リスクは問題にならない。日本政府も同様であり、財政を正しく評価するには、総債務(グロス)だけでなく、資産を差し引いた実質債務(ネット)で見る必要がある。

今回発表された1323兆円はグロス債務であり、国債や借入金などをすべて合計したものだ。これに対しネット債務とは、政府が保有する現金、預金、出資金、日銀が保有する国債などを差し引いた残高を指す。現在のネット債務は約544兆円とされており、グロスよりはるかに小さい。とくに注目すべきは、日本銀行が保有する国債の存在である。日銀は現在、約580兆円の国債を保有しており、これは一見、政府の借金としてカウントされている。しかし実態としては、日銀は政府の子会社に等しく、その保有国債の元本返済も利払いも、最終的に政府に還元される構造にある。よってこれらの債務は、市場から借りているものとは異なり、実質的な返済負担はないに等しい。

さらに、現在のインフレ率は2〜3%程度で推移しており、インフレは名目債務の実質的価値を減じる効果がある。たとえば500兆円規模の債務であれば、年2%のインフレにより年間約10兆円の実質負担が軽減される。また、長期金利が1%程度と低水準にとどまっていることで、政府は極めて低コストで資金調達が可能である。こうした状況を踏まえると、日本の財政は、表面的な数字ほど深刻な状況にはない。日銀保有分を除いたネット債務は、依然として管理可能な水準にあり、加えてインフレと低金利の環境が続く限り、実質的な返済負担は抑制される。財政破綻を懸念する声は根強いが、現時点においてそのリスクは極めて低い。それにもかかわらず、政府が「借金総額」のみを強調して発表すると、多くのメディアはその内訳や背景を解説することなく、大々的に報じる傾向にある。そして、そうした報道は、毎度のように増税議論へと結びついていく。これは、危機を煽りつつ政策誘導を図る、いわばマッチポンプ的な構図と言える。こうした一方的な情報の流布が続く限り、健全な財政議論の形成は難しい。報道には数字の意味を冷静に読み解く視点が求められている。
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