高校授業料無償化(2)2024年04月30日

公立高校も私立高校も無償化すると経営努力を惜しまぬ私学が生徒を集めてしまい、公立は私学の滑り止めになり、学力の低い生徒が集まりやすい高校は定員割れも起こる。この事態を防ごうと、地方の教育行政は一部の公立高校に特化してサイエンス校だの国際学科だのを設けて学力の高い上澄みの生徒だけを集めようとしてきたが、これに対応した教員人材を集めようとしても私学の資金力には太刀打ちできず、そればかりか各校から有能な人材を引き抜いた結果、平均的な高校の教員人材の質が低下したのは否めない。公立校の教員は私学とは違い、どこで勤務しても給与は同じで、その能力を金銭的に評価はされない。だが、本来公立校の教員は金銭や地位とは関係なく生徒に奉仕するところに意味がある。上澄みだけの生徒を集めて高い知識を授けるだけが学校の役目ではないからだ。

現実的には皆が同じ「学力」になるわけがないし、受験が求める「学力」は能力の一部分でしかない。しかし、この一部分の能力によって進学先や就職先が決まっていくのも現実だ。子弟の将来を考えるならば多くの親が少しでもその可能性を高めようとして、有名大学に進学させる経営努力を正面に打ち出す私学を選ぶのは当然だ。我が家の収入に影響がなければその選択はますます私学に集中にする。こうして高校の一律無料化の施策は、高校の独自色を失わせ一人でも多くの子弟を有名大学に進学させる目的一択になってしまう。しかし、もはやこれは学校ではなく受験学力のスクリーニング機関だ。それならばAI搭載機器で生徒に勉強させる方が効率が良い。教育はかくして崩壊していくとワシは思う。無償化とは税金化であるばかりか税金を使った学校破壊の道でもある。エリート教育は資金に余裕のあるものが受ければいい。金持ち以外の家庭の子弟は受験能力で輪切りされることなく様々な学力や能力を持つ生徒が在籍し、受験能力とは別の能力が見いだされる、ゆったりとした学校環境が必要だ。
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