高石ともや 逝く2024年08月20日

高石ともやが82歳で亡くなった。ボブ・ディランの歌を訳してフォークソングを始め、1966年に大阪で初ステージを踏み、同年に「かごの鳥ブルース」でデビューした。社会の矛盾や不条理を表現するメッセージソングの先駆者であり、学生や労働運動の高まりとともに支持を拡大した。1968年に「受験生ブルース」がヒットし、関西フォークの旗手と呼ばれた。1971年にブルーグラスやトラディショナルフォークをベースにしたバンド「ザ・ナターシャー・セブン」を結成し、全国各地で野外コンサートを開催した。1973年からは「宵々山コンサート」を京都市の円山公園音楽堂で開催した。自分の高校時代にはロック全盛期であり日本のフォークソングは暗くて受け付けられなかった。吉田拓郎やかぐや姫、井上陽水とメジャーなフォークシンガーは一応聴いていたが私的な歌詞が多くションベン臭く感じていた。大学で京都に来ると地方出身者と活動家が多かったせいかフォークソングが根強く生き残っていた。時代はユーミンらのニューミュージック全盛だったが学園祭や学連共催のフェスティバルは赤い鳥か高石ともやとナターシャーセブンのプロテストソングばかりだった。

ブルーグラスは自分の耳には新しく、ともやさんの京都の街を歌い上げていた曲は選挙運動のテーマソングにも使われ今でも耳に残っている。サイモンとガーファンクルのコピーでギターを始めたが、いつの間にかナターシャーセブンの曲ばかりを弾いていた。
「街」
作詞 高石ともや 作曲 高石ともや 木田たかすけ

下駄の音 路地裏通り 雨上がりの屋根
窓越しの手まり唄 おさげ髪の思い出
※この街が好きさ 君がいるから
この街が好きさ 君の微笑あるから

街の角 喫茶店 古い美術館
山かげの細い道 初恋の涙

夕焼け雲 五重の塔 石畳の鳩
プラタナスの道で 君を待ちながら

大学通り 流れる川 走る路面電車
背の低い山を見て 君と僕の明日

名曲だ。ともやさん ありがとう。
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