「平安の文化へ」南ミ連講演会 ― 2024年12月08日
南ミ連(京都府南部地域ミュージアム連絡協議会)は、乙訓、山城地域の公立の資料館等の9館が連携する組織だ。今年は、話題の源氏物語をテーマに展示や講演会、現地見学会を行っている。昨日は大山崎ふるさとセンターで宇治の源氏物語ミュージアムの館長家塚智子氏を迎えての講演会と、向日市大山崎町八幡市の学芸員が平安貴族との関連で報告をした。80名の募集定員なので30分前に到着すれば楽勝だと思っていたが大間違いだった。すでに50名ほどの歴史ファンが入り口前まで並んでいた。参加者は高齢者ばかりだが源氏物語人気は根強いのだろう。源氏物語といっても家塚氏が宇治十帖を話した以外は、向日市は平安貴族と大原野神社の関係を、大山崎町はかつての山崎橋を築いた行基が長岡京や平安遷都の契機を作ったという話、八幡市は八幡宮の一の鳥居の扁額を書いた平安の三蹟・藤原行成に纏わる書の話だった。源氏物語というよりかは学芸員らしく地元名跡の平安時代の考察を語ったということだ。
面白かったのは、向日市館長の大原の話で平安当時の長岡と言えば大原野を指したらしい。春日大社の分院の大原野神社には歴代の天皇や皇后が足を運んでいる。長岡京に遷都した桓武天皇も鷹狩を好み、その後貴族たちは大原野に来て狩猟を楽しんだらしい。長岡京が遺跡発見される昭和までは長岡と言えば大原野のことだと、古文書などから話をされた。宇治川をはさんで光源氏の子孫の恋バナ宇治十帖が展開される話も興味深かった。現代語訳でも読み返してみようかという気になった。
面白かったのは、向日市館長の大原の話で平安当時の長岡と言えば大原野を指したらしい。春日大社の分院の大原野神社には歴代の天皇や皇后が足を運んでいる。長岡京に遷都した桓武天皇も鷹狩を好み、その後貴族たちは大原野に来て狩猟を楽しんだらしい。長岡京が遺跡発見される昭和までは長岡と言えば大原野のことだと、古文書などから話をされた。宇治川をはさんで光源氏の子孫の恋バナ宇治十帖が展開される話も興味深かった。現代語訳でも読み返してみようかという気になった。