校内監視カメラ2025年03月30日

校内監視カメラ
熊本市教育行政審議会は、いじめや体罰の抑止策として、学校内にカメラを設置する提案をまとめ、市教育委員会に提出した。この提案では、監視カメラの導入が事実確認を容易にし、教職員の意識向上や保護者の不適切な要求の抑止にも寄与すると期待されている。また、被害児童から寄せられた「記録を残してほしい」という声も反映されている。一方で、カメラ設置には慎重な意見もあるため、まずはモデル校での先行実施が提案され、設置場所の検討や子どもの意見を尊重する方針が示された。さらに、相談窓口の設置やスクールカウンセラーの増員・常勤化も提案され、より包括的な教育環境の改善が目指されている。カメラ設置による透明性や抑止効果は一定の期待が持てるものの、教育現場の信頼関係を損なうリスクも指摘されている。生徒や教師に心理的ストレスや不信感を与えかねず、教育理念との相反も懸念される。監視強化が根本的な問題解決につながるかどうかは、慎重に検討しなければならない。いじめや体罰を抑止するためには、監視の強化よりも、対話や信頼関係の構築が重要である。例えば、副担任制の導入は、生徒へのケアを充実させるだけでなく、教師の負担を軽減し、問題行動を多角的に捉える上で有効な手段となる。教育現場で信頼を深めるためには、カメラの設置をあくまで補助的な手段にとどめ、カウンセリング体制の整備や教師と生徒の対話を重視することが求められる。最終的に、教育現場の文化を改善し、問題行動の根本的解決を図る努力が不可欠であり、技術的な監視に頼らず、多角的なアプローチを取ることが重要である。

近年、教員の不適切な行動が報じられることが増えており、学校や行政が問題を隠蔽する体制に対する批判も強まっている。そのため、監視カメラの設置を求める保護者の気持ちは理解できる。しかし、その一方で、子どもの気持ちが置き去りにされているのではないかという懸念もある。カメラの設置は、「先生も子どもも信用できない」という暗黙のメッセージを教育現場に送り続けることになりかねない。他国において学校への監視カメラ設置が進んでいる国として、中国やアメリカが挙げられる。アメリカでは地域ごとに学校の判断で設置され、プライバシー保護のためのアクセス権やセキュリティが確立されているケースもある。一方、中国では全体主義的な管理社会のもと、教育的な理念が入り込む余地はほとんどないと考えられる。懸念されるのは、監視カメラの設置が進んだ先に、倫理や道徳までが管理される社会が待ち受けている可能性である。管理社会は独裁国家だけで起こるものではない。市民の不安を煽ることで、結果として市民自身が管理を求め、最終的に独裁的な体制が成立した歴史もある。教育は、不安や不信のもとでは成立しない。子どもや教員の希望と信頼の中で育まれるものであり、本来、管理社会とは無縁であるべきだ。カメラの設置は一律に行わず、学校が子どもや教員、保護者が時間をかけて議論して、学校が主体的に選択すべきものである。

コメント

トラックバック

Bingサイト内検索