司馬遼太郎記念館2025年12月14日

司馬遼太郎記念館
近鉄奈良線・八戸ノ里駅を降りて、住宅街を歩くと突然現れるモダンな建物。それが司馬遼太郎記念館だ。安藤忠雄設計の打ちっぱなしのコンクリートは一見冷ややかだが、中に入ると空気が柔らかく変わる。目の前に立ちはだかるのは高さ11メートルの大書架。約2万冊の蔵書がずらりと並び、まるで知の壁に囲まれたような感覚になる。窓越しに覗ける司馬の書斎は、机の上に原稿用紙や万年筆が置かれ、今にも執筆が始まりそうな雰囲気を漂わせている。庭は雑木林風に造られ、雑多な街中とは思えない静けさ。ここに立つと、司馬が歴史を「人間の物語」として描いた理由が少しわかる気がする。

司馬史観と呼ばれる彼の歴史の見方は、幕末から明治期の近代化を「青春の物語」として描き、日本人の成長を肯定的に捉えた。坂本龍馬や秋山兄弟といった人物を通じて歴史を語り、多くの人に歴史の面白さを伝えた。しかし「近代化を美化しすぎている」「英雄中心主義だ」と批判も受けてきた。学術的には「歴史修正主義」とのレッテルを貼られることもある。だが記念館の静謐な空間に身を置くと、司馬が晩年にたどり着いた究極の人間観が浮かび上がる。彼が本当に伝えたかったのは、江戸期の商人の先見性でも富国強兵時代の軍人の戦略性でもなく、その基盤にある「思いやり」と「義侠心」だった。

書架の壁に貼られた『二十一世紀に生きる君たちへ』で司馬は、未来を生きる子どもたちに「歴史を友とし、他者をいたわり、支え合う心を持ってほしい」と語りかけている。戦後民主化の中で制度や権利は語られても、人間的な徳が欠落していることへの危惧を込めて。つまり司馬は民主化そのものを否定したのではなく、「民主化を人間的徳で支えなければ空洞化する」と警告した。批判者は近代化美化や英雄中心主義を問題視することはできても、この人間観には反しきれない。むしろ「歴史を学ぶことは人間性を育てること」という司馬のテーゼは、教育や社会において普遍的な価値を持ち続けている。

旅人としてこの記念館を訪れると、単なる文学館以上のものを感じる。歴史を物語として描いた作家の姿と、未来に託された「人間の心のあり方」が重なり合い、静かに問いかけてくる。君の旅の基盤にも、思いやりと義侠心はあるだろうか。司馬遼太郎記念館は、旅人に静かな問いを投げかけ続けている。

京都路面電車(LRT)導入構想2025年11月15日

京都路面電車(LRT)導入構想
京都商工会議所が「次世代型路面電車(LRT)」の導入構想を再び打ち出した。聞けば未来志向の交通システムらしいが、実際のところは「昔の市電の幻影」にすがっているようにも見える。低床式でバリアフリー、静音性も高いとされるLRTは、バスの混雑や定時性の低下を補う切り札だという。だが、京都の道路事情を知る人間からすれば「夢物語」に近い。東大路通や今出川通は幅員11〜12メートルしかなく、複線敷設は不可能。単線で交差点を全赤にして行き違いをする光景を想像してみればいい。観光都市の目抜き通りが、電車のために車も人も立ち往生する――これでは「渋滞緩和」どころか「渋滞製造機」だ。

さらに、総工費は路線ごとに120億円から598億円。京都市の財政事情を考えれば、財布の中身を見ずに高級ワインを注文するようなものだ。市民の生活感覚からすれば「また赤字を増やすのか」とため息が出る。沿線住民の反対も根強く、計画は長らく停滞。理念は立派でも、現実は厳しい。商工会が「未来の交通」と胸を張っても、足元は泥沼だ。

議論の中で浮かび上がるのは「地下鉄短絡線」という代替案だ。全面的な地下鉄延伸は数千億円規模となり現実味に乏しいが、各私鉄の始発駅どうしを地下で短距離接続するだけなら、より小規模な投資で済む可能性がある。

例えば地下鉄道の延伸でなくとも阪急京都河原町駅と京阪祇園四条駅を地下道で直結すれば、現在は大混雑する地上歩道を経由して移動する乗り換えが、よりスムーズで快適になる。両駅の利用者数は多く、観光客や通勤客にとっても利便性の向上は大きい。雨天時や混雑時でも安心して移動でき、観光動線としても分かりやすくなる。乗り換えの快適性や都市景観との調和、観光都市としての魅力向上といった観点からは十分に検討に値する。これこそ「市民が実感できる未来の交通」として、現実的な選択肢となり得るのではないか。

地下鉄道で言えば、北野白梅町から出町柳までを地下鉄で結べば、嵐電・叡電・京阪のネットワークが直結し、金閣寺から銀閣寺まで一本で繋がる。観光客は「バス渋滞に巻き込まれず、乗り換えなしで東西移動できる」体験を得られる。市民にとっても、通勤時間の短縮やバス依存からの脱却は生活の質を大きく変える。延長約3kmで900〜1500億円と試算されるが、LRTの「渋滞製造機」に数百億円投じるよりは、よほど筋が通っている。

結局のところ、商工会議所が推進するLRTは「見栄えのいいプレゼン資料」にはなるが、実現性も費用対効果も乏しい。むしろ商工会が本気で都市交通の利便性を高めたいのであれば、LRTよりも「祇園四条京阪〜河原町阪急の地下道直結」や「白梅町〜出町柳の地下鉄接続」といった具体的な短絡投資を私鉄に促す方が、はるかにマシだ。京都の交通政策の核心は、懐古的な市電復活ではなく、都市圏ネットワークの断絶をどう埋めるかにある。商工会の発表は「夢を語る場」ではなく「現実を直視する場」であるべきだ。

混雑覚悟の夜間万博観覧2025年09月18日

混雑覚悟の夜間万博観覧
昨日、家人に誘われて大阪・関西万博へ。正直、混雑に高額チケットを払って人混みを見に行くなんて…と思っていたが、まだ見ていないドローンショーを口実に、夜間観覧ならとしぶしぶ了承。ところが、二日前にチケットを買おうとしたら、3900円の夜間券はすでに完売。仕方なく6000円の一日券を購入。さらに、前回の混雑を思い出し、帰りは自家用車が便利だろうと5500円の駐車場代も追加。高速代往復4000円、電車なら1400円なのに…4人でも元は取れない。しかも駐車場は16時以降しか予約できず。昼間は暑いから自分はいいけれど、一日券を買った人はショックだろう。さらに追い打ち。帰りのシャトルバス予約が満席。15分の乗車時間なのに、予約できないと1時間待ちもあるとか。電車の混雑を避けて車にしたのに、これでは意味がない。とはいえ、混雑覚悟で行くのだから、諦めるしかない。予約画面に「取り消し」ボタンがあったので、誰かがキャンセルするかも…と淡い期待を抱いて当日へ。

西口から入場したのは17時頃。甲子園球場40個分の広さの会場は、どこもかしこも道頓堀状態。前回の3倍は混んでいた印象。家人の希望でフランス館へ向かうが、最後尾は「2時間以上待ち」のプラカード。途中、割り込みでもめる人もいて、暇つぶしにはなった。ようやく入館できたが、滞在時間は30分ほど。ディオールの展示は美しかったが、他は「ふーん」で終了。トイレも15分待ち。ようやく座れたのは20時半の水上ショー。売店も長蛇の列だったので、コンビニで買ったおにぎりと冷凍ジュースが正解。帰りのバス予約ページを開くと、満席だった21時に奇跡的に1席だけ空きが出ていて、即予約。これで一安心。

水上ショーは噴水が海風に流されて観客席に降り注ぎ、体中が塩っぽく。ミストスクリーンの映像はなかなかの見応えだった。だが、期待していたドローンショーは強風で中止。目論見は儚くも崩れた。冷静に考えれば、1人1万円近く払って2時間並び、20分の展示と20分のショーだけ。普通なら「頭おかしい」と思うが、みんなが同じ行動をしていると、それが普通に見えてくる。不思議なものだ。お祭りとは、そういうものかもしれない。そう思いながら、塩風をまとって高速の帰路についた。

羅臼岳ヒグマ襲撃事件2025年08月16日

羅臼岳ヒグマ襲撃事件
「羅臼岳のヒグマは人間と共存している」牧歌的な言葉が、観光パンフレットや自然保護の美辞麗句として繰り返されてきた。だが、昨日、北海道・羅臼岳で起きた致命的な襲撃事件は、その幻想を一瞬で打ち砕いた。登山中の20代男性が、突如現れたヒグマに襲われ、下半身を損壊されるほどの激しい攻撃を受けて命を落とした。遺体は藪の中に引きずり込まれ、捕食行動を示す痕跡が残されていた。人間が“獲物”として認識された可能性が極めて高い。この事件を「異常個体による例外」として片付けるのは安易すぎる。実際、同様の事例は近年相次いでいる。先日、北海道・福島町では新聞配達員がヒグマに襲われ、遺体の一部が熊の胃から発見された。しかもこの熊は、過去の死亡事故にも関与していたことがDNA鑑定で判明。つまり、同一個体が複数回にわたり人間を捕食していたのだ。さらに2023年には、大千軒岳で登山中の大学生が襲われ、遺体は枝で覆われた状態で発見された。熊の胃からは人間の組織が検出され、保存食として扱われていた可能性が指摘されている。これらの事例は、ヒグマが人間を餌資源として認識しうることを示しており、「熊は人を襲わない」という定説が希望的観測にすぎないことを明らかにしている。

こうした事態が頻発するの理由は単純だ。山野の食糧がクマの数を支えきれなくなっているのだ。クマは広大なテリトリーを必要とする動物だが、近年の繁殖の上昇に見合う狩猟が行われず、クマが既存の空間に収まりきらず、人間の生活圏へと“押し出される”ように移動し、食性も動物も食するように変化している。この現象は、爆発的な個体数増加がなくとも起こる。臨界点とは、生態系が安定を保てる限界値であり、静かに飽和が進行すれば、構造的に人里への侵入が誘発される。つまり、今起きているのは「臨界点突破」と考えられる。ここで問題になるのが、環境省の生息数統計の信頼性である。クマの個体数は目撃情報や痕跡調査に基づく推定値であり、未踏域や若齢個体の把握は困難。実態は統計より多い可能性が高く、捕獲数が自然増加量に追いつかない状況が続いている。数字が安定して見えても、現場では臨界点を静かに超えているのだ。

「共存」という言葉はこの実態を覆い隠すレトリックにすぎない。生態学的に「共存」とは、互いの存在を認識し、行動を調整しながら持続的に同じ空間で生きる関係性を指す。羅臼岳では、熊の個体識別も行動調査も不十分で、登山者の行動規範も統一されていない。これまで事故が起きていないことをもって「共存している」と語るのは、科学的にも倫理的にも無責任だ。今後必要なのは、言葉の見直しではなく、現実への対応だ。熊が人間を捕食対象とする可能性がある以上、遭遇回避だけでなく、遭遇を減らす個体管理、情報発信の強化が不可欠である。「共存」という言葉を使うなら、それに見合うだけの科学と倫理、そして現場の覚悟が必要だ。幻想を語る時代は終わった。現実を直視しなければまた事故は確実に起こる。

旅とAI2025年07月19日

東北の旅
2週間の旅が終わった。今回は行き先だけをざっくり決め、あとはAIに任せて旅程を組んだ。使ったのは、Googleマップと連動しやすいジェミニ。宿泊は「3泊キャンプ」とだけ指定し、残りは楽天トラベルやBooking.comで探した。AIによる旅行プランは、概ね実用的だった。唯一日程を変更したのは、弘前に2泊したあと、キャンプ場へ向かう3日目。AIの提示したプランは、反対方向の八甲田と奥入瀬を観光してからキャンプ場へ向かうものだったので、奥入瀬は2日目に移動させた。道順を変えた例もある。一関から陸中高田の休暇村へ向かう行程に、少し北側の龍泉洞を組み込んだことで、AIは盛岡からのルートを提案してきたが、GHオーナーの「復興道路の方が楽」という勧めで、遠野から釜石へ入り、北上して龍泉洞、さらに折り返して陸中宮古に戻るルートを採用した。細かな修正はその都度AIに相談し、「駐車場はどこか」「何時間ほど見学できるか」などを尋ねながら、快適な旅ができた。これまでならGoogleマップとにらめっこする時間が長かったが、その手間がほぼ省けた。自力でやったのは、宿泊予約くらいだ。

もちろん「それでは旅の計画段階の楽しみが半減するではないか」という向きもあるだろう。しかし、年を重ねるにつれ集中力が続かなくなり、計画そのものが面倒に感じられるようになる。キャンプ場選びも、熊との遭遇率を下げるために、なるべく人気の場所を選びたいところだが、いくつもの口コミやホームページを見比べる作業は煩雑だ。AIに希望を伝えるだけで、まず外れのないキャンプ場を示してくれる。実際には人気のあるキャンプ場でも平日だったため、ひとりキャンプという状況になったが、それもまた一興。薪の購入可否までは検索できなかったようだが、道の駅やホームセンターを行程に組み込めば、不足の心配はなかった。

行き先の情報については、Kindleで『東北ドライブ』を1冊購入し、パラパラと読んだものの、情報が網羅的すぎて深い知識には届かず。むしろ、AIにピンポイントで説明させたほうが、欲しい情報に直接アクセスできるので便利だ。こうして今回の旅は、旅程作成も含め、約8割がAIによるガイドに依存した。それでも、まあまあ満足している。とはいえ、時折とんでもない計算違いや誤情報を出すことがあるため、全面的な信用はできない。AIも間違うという前提を持って、「●●が正解だと思うけれど、違っていないか?」と質問すると、再考のアルゴリズムが働き、修正を提示してくれる。しつこくやりとりをしないと修正に至らないことも何度かあったが、それもまたAIとのつき合い方だと思えば、トラブルは避けられる。つまり、まだ人間の経験や直観力には敵わない。それでも、旅のトラブルや偶然も含めて面白さだとすれば、間違いのない旅など味気ない。相談相手がAIというのも、どこか寂しい。残る地域は関東。さて、次はどんな風景に出会えるだろうか。

フェリー移動2025年07月18日

太平洋フェリー
仙台港12時50分発名古屋港翌日10時30分着の太平洋フェリーいしかりの船中である。秋田行きの新日本海フェリーでは、最安値の雑魚寝部屋で電源コンセントがなく困ったが、太平洋フェリーでは二段ベット部屋で照明の下にコンセントがあって助かった。スマホもタブレットも暇な時ほど使い倒すので、電源問題は重要だ。愛用のバッテリー型ACアダプターは2台同時に充電できる。狭い所にコンセントがあるとバッテリー筐体が邪魔してプラグが差せないことがあるが、AC電源がなくてもUSB電源があれば本体にも充電できるので車中でも重宝している。

旅行中は検索の機会が増える。昔はググってどの情報が適当か選択する必要があったが、今はAIで一発回答だ。書籍に掲載されている程度のことはAIが間違いなく答えるし、再質問にも答えてくれる。逆に言えばネットに頼り切っているとも言える。今日もフェリー乗り場に行こうとするとナビのWi-Fiが突然繋がらなくなり出港時間は迫るわ行き先の見当がつかないわでプチパニックだった。急いでいる時にトラブルは起こりやすいものだ。車側のアプリを再起動をすれば解決するのだが、この解決策を焦ってしまうと思い出せなくなる。とは言え、今更地図や本を持ち歩いて移動というアナログ時代にももどれぬ。

携帯デバイスとその電源は無くてはならないもので、雑魚寝部屋だからといってコンセント一つ設置していないフェリーは許せない。だったら車で移動すれば良いというご意見もあろうが、片道1000キロ10時間運転は年寄りには酷だ。今回の旅でも2週間で2000キロ余りだ。燃料代と高速代は京都から往復すれば5万程かかる。とすれば今回のフェリー往復5万5千は悪い選択ではない。ただ時間は倍かかるので暇つぶしの電源問題は捨て置けぬ話なのだ。だからと言って新日本海フェリーが携帯デバイスのことを何も考えていないわけではない。他社の話で有料ではあるが衛星回線の紹介をしていた。でも、自社の船内フェリーのWi-Fi回線の故障はもう1週間以上放置したままだ。潔く太平洋フェリーのように船内Wi-Fiはないと言い切った方が納得感がある。あれ?結局ディスってるなぁ。しかし、新日本海フェリーの給湯室は製氷機がない分やや広めに使えることは胸を張って言える。でも無料の製氷機そのものを見かけなかった。風呂も太平洋フェリーのように入港30分前まで自由に入れるわけでもない。うーむ。

奇跡の一本松2025年07月17日

奇跡の一本松
陸中宮古のキャンプ場では、買い溜めた薪をすべてくべて、深夜まで一人大キャンプファイアーとなった。加川良や高田渡といった懐かしいフォークソングを流し、若き日々を思い出してセンチメンタル・ジャーニーに浸る。鳥のさえずりで目を覚ましたのは午前五時前。結局シュラフは枕代わりにして何も被らなくても十分暖かく、クマとも遭遇せず、安堵と共に吹き抜ける心地よい朝風に身をまかせ、しばし二度寝を貪った。バイオマス燃焼のシャワーで眠気を流し、ノタノタと撤収に取りかかる。湿度が高く、動くだけで汗が吹き出す。車のエアコンで汗を乾かしては荷をまとめるというインターバル作業になり、やたらと時間がかかった。

すぐ近くの浄土ヶ浜は、AIが「見ておけ」と勧めるので立ち寄る。小雨がぱらついていたが、空の合間には青さも覗いている。車を停めて、浜まで歩いた。浄土ヶ浜は、白い砂と白い岩が海と空の青に映える、美しいコントラストが印象的だ。白い岩も砂も安山岩の色。その風景の中に、海沿いの岩肌に咲くオレンジ色の鬼百合が鮮やかなアクセントになっている。鬼百合の花言葉は「富」「誇り」「華麗」など。強く美しい花の象徴とされるという。汗をかきながら坂道を登る帰り道、ビジターセンターに昇降用エレベーターが設置されていたことを知る。どうりで誰も坂を歩いていなかったわけだ。歳を取ったのだから、なにごとも即断せず、もう少し落ち着いて行動したいものだと、頭を掻いた。

その後、「奇跡の一本松」で知られる陸前高田の津波復興祈念公園へ向かう。奇跡の一本松は、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田市において、唯一残った松の木である。津波により松林のすべてが流される中、ただ一本だけが耐え抜き、復興の象徴として知られるようになったが、塩害により枯死。現在は樹脂製のレプリカが立ち、その記憶を伝えている。その隣には、旧ユースホステルの建物が津波遺構として保存されていた。伝承館では、津波のメカニズムから災害救助、復興の記録まで幅広く展示されている。自然災害そのものは避けがたいが、命をかけて人を救おうとした人々の記録に触れるたび、目頭が熱くなる。最後まで地域の人々を守ろうとして命を落とした消防団員。全国から20万人の半数を投入し、長期にわたって救援活動にあたった自衛隊。世界各地から駆けつけた災害医療チーム。名前も知らぬ、多くのボランティアたち。助けたい、力になりたいという一念だけで動いた彼らの記録は、強く胸を打つ。「あるべき国と国民の姿」が、ここにはっきりと示されているように思えた。気仙沼にも立ち寄り、被災を克明に記録したリアス・アーク美術館を訪れた。爆発的な破壊力を持つ津波被害を克明に残した学芸員の記録にも深く感銘を受けた。

「人間も捨てたもんじゃない」と思いながら、余韻に浸って国道を仙台に向かって走っていると、目の前に突然、警官が赤い旗を振って飛び出してきた。しまった、ネズミ捕りだ。居住区間の制限速度は40キロ。18キロオーバーで、罰金1万2千円。国道は通常50キロ制限なので、60キロ未満で走っていたのだが、住宅地の中で速度が下がることは知っていながら、田舎道で交通量が少ないせいか、見落としてしまった。とはいえ、不思議と腹は立たなかった。「震災の勉強代だ」と思い妙に納得している。明日は仙台からフェリーに乗って、家路に着く。

ゲストハウス考2025年07月16日

龍泉洞
一関のGHの主人が言うには、「陸中宮古はめちゃくちゃ時間かかるぞ、朝は早く出ろ」だそうだ。そら確かに遠いけどなあ、と少し首をかしげた。だって、盛岡のGHの主人は「遠野から復興道路走れば楽勝、運転はスイスイよ」なんて言ってたからだ。どっちが本当なんだか、土地の人間のくせに言うことバラバラやんけ。つまるところ、人による、ということなんだろう。盛岡の主人は、嫁にしたいくらい気が利くナイスガイで、なんでもよく知っている。いい意味でうるさい。逆に一関の主人は悪い人じゃないけど、なんとなく片手間でGHやってる感じで、一人一部屋のスタイルだから宿代も高め。だけどまあ、その辺はそれぞれの流儀ってやつだ。ワシはどっちかっていうと、盛岡の4000円GHに軍配をあげたい。

旅人ってのは、ほとんどが一期一会だ。だからこそ、ちょっとした気配りとか、地元の知識を「ググる」レベルで出すんじゃなくて、地面からじわっと湧き上がるような話をしてほしい。せっかくそこに住んでるのだから、もうちょい頼むわ、と思ったりもする。

一関から3時間走って龍泉洞。岩泉町にある日本三大鍾乳洞のひとつ。地底湖はべらぼうに透明で、深さ98メートルっていうからすごい。ライトアップもされてて、観光地感まんさい。でもワシは、山口の秋芳洞のほうがいい。あっちはとにかくでかい。広い。歩いてて気持ちがいい。龍泉洞はというと、幅が狭くてアップダウンが激しくて寒い、正直めんどくさい。足の弱ってきたワシにはちょっとした苦行だった。

最後の夜は、陸中宮古。津波で甚大な被害を受けた土地だが、今は復興して綺麗なキャンプ場までできている。そのキャンプ場がすごい。なんとシャワーのためにバイオマスボイラーを導入している。どんだけ金かけてんだ。と思いながら湯を浴びた。そして、泊まってたのはワシだけ。50張分のサイトを独り占め。平日だからか、それともクマが怖いのか。AIの回答によると、キャンプ中にクマに襲われる確率は、交通事故の1万分の1以下らしい。じゃあしょうがないな、と納得しつつも、やっぱり出たら終わりだな、と思う。そんなことを考えながら、加川良の曲をかけて、焚き火の音を聞きつつ、酒をちびちびやっていた。雲の合間から夏の大三角形、夜はしんしんと更けていく。明日は復興の後を見ながら仙台まで行く。

神子田・遠野・中尊寺を行く2025年07月15日

中尊寺
盛岡の神子田(みこだ)朝市は、土地の人には名の知れた市である。宿のすぐ近くということで、ゲストハウスの主が「ひっつみ」を勧めてくれた。すいとんの類である。朝市は五時開店、七時半には閉まるというから、朝寝坊には不向きな場所である。盛岡の人々は、そこでラーメンや冷麺をすすってから職場へ向かうのだという。朝飯がっつり食とは一日の営みにとって理にかなっているかもしれぬが、こちらには少々重い。とはいえ地元の風俗見物の一環として、閉店ぎりぎりの七時過ぎに滑り込んだ。

市は掘っ立て小屋が100店舗近く出ており、週六日開かれている。串カツ、焼き鳥、唐揚げ、天ぷらと、胃袋が健康でないと太刀打ちできぬ品々が並ぶ。ひっつみの売り場には「噂のひっつみ」と看板があり、年配の夫婦――と見えたが真偽はわからぬ――が大釜の前で忙しく働いていた。英語表記は“Wide Noodles”。なるほど、広めの麺という訳だが、やや違う気もする。“Flat Dumplings”、平らな茹で団子の方がイメージに近くないか。食べてみると出汁がやわらかく胃に染み入る。ひっつみそのものは、小麦粉を練って延ばした生地をちぎって茹でたもの。讃岐うどんを切る前のような食感だが、釜揚げうどんよりもいくぶん柔らかい。その柔らかさを出すには、一晩冷蔵庫で寝かせるのがコツだと主が教えてくれた。春前にはテレビ局の取材もあったという。

中尊寺へ向かう予定だが、平泉の雨は午後から上がるらしい。それまでの時間を使って、途中に遠野を組み込んだ。遠野といえば民俗学の祖・柳田國男、『遠野物語』、そして河童、座敷童、山男――われわれの心の片隅に棲みついている“見えないもの”たちの棲処である。水木しげるもこの地を訪れ、妖怪の宝庫として多くを描いた。雨のせいか、遠野ふるさと村も博物館も人影まばらで、こちらは一人の見学となった。ふるさと村には、茅葺きの豪農屋敷が十数棟移築保存されているが、屋根の葺き替えにかかる費用だけでも今の家が一軒建つという。文化財の保存とは、文化の重みに対する人間の意志の問題でもある。

中尊寺は奥州藤原氏の祖・清衡が、戦乱の世に終止符を打ち、仏の理想郷を築こうと願って建てた寺である。なかでも金色堂は創建時の姿を今にとどめる。中尊寺を含む「平泉の文化遺産」は、浄土思想の視覚化として高く評価され、世界遺産に登録された。金色堂は空調の効いた遺産保存堂の中に入れ子のように入っている。牛若丸こと義経もまたこの地に縁が深い。少年期を平泉で過ごし、兄・頼朝の招きで鎌倉へ向かうが、のちに対立。再び平泉に戻るも、泰衡の軍に攻められ、衣川館で自刃した。その悲劇を今に伝えるのが中尊寺の「義経堂」である。栄枯盛衰は歴史の常。英雄の死も、寒村の民話も、すべては人の世の泡沫にすぎぬ。こうした営みを記す者がいて、それを語り継ぐ者がいて、今日の旅もまたその連なりのひとつなのかもしれない。一関の宿に着くと、台風の吹き返しが木々をしならせていた。風の音が耳を打ち、今日の記憶が眠りへと誘う。今日はここまで、明日は最終キャンプだ。

霧の彼方にドローン消ゆ2025年07月14日

尻尾崎灯台
「台風が来るらしい」――そんな一報に押されるように旅程を前倒ししたが、結局、明日は一日中雨らしい。ならば中尊寺は駆け足で済ませて、雨宿りがわりに美術館でも……頭を悩ませながらの移動が明日も続く。

本日は下北半島の先端、尻屋崎灯台からスタート。ここは日本で最初に霧鐘と霧笛が設置されたという、由緒ある白亜の灯台だ。だが、その姿は、文字どおり霧の中。まるで自らの歴史を隠すかのように、厚い白煙に包まれていた。さらには、放牧されているはずの寒立馬(かんだちめ)も一頭も姿を見せず。台風接近のせいか、厩舎で休業中だったのだろう。極めつけは、ドローンを海に沈めた事件だ。離陸した瞬間、操縦不能になり、霧の彼方へフワリと消えた。どうやら電波妨害――いわゆるジャミング――を受けたらしい。よりによってこんな場所で。機体そのものは惜しくないが、旅の記録を詰め込んだSDカードが戻らないのは痛恨の極みだ。

気を取り直して向かったのは六ヶ所村の「原燃PRセンター」。核燃料サイクルの仕組みが、模型や実機展示で丁寧に解説されている。豪奢な設備に「資金の潤沢さ」がひしひしと伝わってくる。道は妙に広く、子どもの姿は見えないのに公園には立派な遊具が並ぶ。国家のエネルギー政策が、この村に落とす影のようなものを肌で感じた気がした。

三沢では航空博物館を目指したが、月曜はまさかの休館日。基地は防衛上の理由で柵に囲まれており、外からは何も見えない。「残念」がまた一つ。それでも最後の望みをかけて、小岩井農場へ。だが、ここでも雨雲に先回りされ、到着した瞬間から雨脚が強まり、入場は断念。

心が折れかけた旅の終わり、大観 湯守ホテルでのひとときが救いとなった。肌に吸いつくような湯の感触、ロケーションの良さ、そして何よりGHの気の利いた男性オーナーの人柄。思わず「嫁にほしい」と冗談が出るほど、心を和ませてくれた。振り返れば今日は「2勝4敗」。決して上出来とはいえないが、湯に浸かりながら「これも旅の醍醐味」と苦笑いする。明日の雨に備え、今日は早めにゲームセットとしよう。