尾瀬ヶ原 ― 2024年10月15日

新潟港から尾瀬の入口沼田まで関越道で2時間半走る。暗くなって宿が分からないのが嫌なのでノンストップで行く。道路はそこいら中でリニューアル工事をしており、その度に渋滞するので追突注意だ。朝食は6時半からというので、一番にとって尾瀬を目指す。予定より1時間近く早く着いたのでのんびりと鳩待峠を下りる。左に至仏山の紅葉が広がる。尾瀬は標高1400mなので木々の紅葉はまだまだというところだ。草原の茅草などは枯れて薄茶の絨毯だ。
天気予報では昼から天候が崩れるとのことだったが夕方まで青空が広がった。前方に燧山、後方に至仏山、枯草の草原の中に真っ直ぐに敷かれた木道を3時間歩き続けると今日の宿『竜宮小屋』についた。auが繋がるはずなのに楽天回線がローミングしない。尾瀬小谷組合のフリーWi-Fiはあるが登録に携帯回線が必要となる。どうやらこの宿はauプレミア回線しか繋がらないので楽天のローミング外らしい。ここは小屋が1軒だけなので800mhz帯の電波を提供しているようだ。楽天回線は大手から嫌がらせを受けているのでこの電波帯は譲ってもらえないそうだ。仕方がないので30分先にある小屋の密集地域『見晴台』まで行ってローミング可能電波を拾ってWi-Fi登録をすることにした。それだけでは往復1時間歩く動機には繋がらないので「向こうの小屋にはここには無い生ビールがあるはず」と自らを鼓舞して前進した。かくして電波も生ビールもゲットして復路は千鳥足で帰った。なので本日のブログはプレミアムなのだ。
天気予報では昼から天候が崩れるとのことだったが夕方まで青空が広がった。前方に燧山、後方に至仏山、枯草の草原の中に真っ直ぐに敷かれた木道を3時間歩き続けると今日の宿『竜宮小屋』についた。auが繋がるはずなのに楽天回線がローミングしない。尾瀬小谷組合のフリーWi-Fiはあるが登録に携帯回線が必要となる。どうやらこの宿はauプレミア回線しか繋がらないので楽天のローミング外らしい。ここは小屋が1軒だけなので800mhz帯の電波を提供しているようだ。楽天回線は大手から嫌がらせを受けているのでこの電波帯は譲ってもらえないそうだ。仕方がないので30分先にある小屋の密集地域『見晴台』まで行ってローミング可能電波を拾ってWi-Fi登録をすることにした。それだけでは往復1時間歩く動機には繋がらないので「向こうの小屋にはここには無い生ビールがあるはず」と自らを鼓舞して前進した。かくして電波も生ビールもゲットして復路は千鳥足で帰った。なので本日のブログはプレミアムなのだ。
海辺のキャンプ場風強し ― 2024年10月14日

宵の口からキャンプ場に風が吹き始め焚き火が延焼しないようにかかりきりになった。せっかくホームセンターで薪を買い足したのにこんなに風が吹いてはのんびり焚き火もできないので追加分は使うのをやめた。松ヶ崎キャンプ場は佐渡市の無料のキャンプ場だが新潟側の海が見えてロケーションは最高だ。日の出の写真を撮ろうと選んだが、風が強いのでテントを出そびれて太陽が上がってしまっていた。夜半暑くて寝袋を出た。気温は15度ほどだが湿度が高いようでベトベトして気持ちが悪かった。高気圧が秋田沖にあってそこから吹き下ろした風が日本海の水蒸気を吸って北から吹いているようだ。この高気圧が今日は太平洋側に抜け東日本が大陸の高気圧との間に入って気圧の谷ができ明日の夜からは前線が通過する。ちょうど尾瀬で泊まっているころだ。帰りは雨の中の尾瀬を帰らなければならないかも。
洗濯物が溜まったのでコインランドリーを回した。50分で仕上がる少量4kgコースと60分の標準コースがある。標準コースは6kgの洗濯用だが今回はそこまで重くないが中途半端な量だ。少量コースでも100円安いだけだがケチって選択した。仕上がりはコットンの厚地のtシャツの脇の部分だけが半乾きだった。ジーンズやパーカーは完全に乾いたのになぜだろう。けちらなければ良かったと呟きながら車内干しにした。両津港から佐渡一高い1000m超えの金北山がフェリーを見送ってくれる。
洗濯物が溜まったのでコインランドリーを回した。50分で仕上がる少量4kgコースと60分の標準コースがある。標準コースは6kgの洗濯用だが今回はそこまで重くないが中途半端な量だ。少量コースでも100円安いだけだがケチって選択した。仕上がりはコットンの厚地のtシャツの脇の部分だけが半乾きだった。ジーンズやパーカーは完全に乾いたのになぜだろう。けちらなければ良かったと呟きながら車内干しにした。両津港から佐渡一高い1000m超えの金北山がフェリーを見送ってくれる。
砂金すくい ― 2024年10月13日

砂金すくい西三川ゴールドパークに行く。今日もGoogleナビは最短距離を計算してナビるので農道やら山道に誘導されて冷や汗をかいた。ここは、川砂から砂金をすくいとる体験をさせてくれる。リアルな川砂なのかアサリ取りの前に貝をまくようななんちゃって川砂かどうかはわからないか確かに金粒は取れた。川底に似せた水路の中に川砂が入っておりこれをすくって特製ザルで揺する。比重の重い金粒が底に沈むので軽い砂は水に流していくと最後に金粒が光っているのがわかる。とはいうものの30分ほど川砂を振い続けて二粒しか金粒は見つけられなかった。隣の人は数粒見つけていたが目がいいのだろう。老眼には辛い。砂金一粒は0.002グラム、1グラムの相場は1万8千円なので一粒36円、二粒で70円だ。30分かけて70円だ。体験費用は1200円だった。
今日は佐渡の西端を海岸沿いに回って新潟と対面のキャンプ場に向かった。連休の中日で小さな村でも太鼓が鳴り響いている。収穫祭をしているようだ。携帯電波の届かないような村でも賑わって日本の原風景を残しているのはホッとする。小木温泉で風呂場を独り占めしてゆっくりした。観光スポットではそれなりに客はいるが、鄙びた温泉には誰も来ないのだろう。今日のキャンプ場は無料だが設備はちゃんとしている。水銀灯が暗闇の邪魔になるが仕方がない。明日は両津港から新潟に渡って尾瀬の入り口の沼田まで走る。
今日は佐渡の西端を海岸沿いに回って新潟と対面のキャンプ場に向かった。連休の中日で小さな村でも太鼓が鳴り響いている。収穫祭をしているようだ。携帯電波の届かないような村でも賑わって日本の原風景を残しているのはホッとする。小木温泉で風呂場を独り占めしてゆっくりした。観光スポットではそれなりに客はいるが、鄙びた温泉には誰も来ないのだろう。今日のキャンプ場は無料だが設備はちゃんとしている。水銀灯が暗闇の邪魔になるが仕方がない。明日は両津港から新潟に渡って尾瀬の入り口の沼田まで走る。
松本城 ― 2024年10月11日

ゲストハウスは松本城下の味噌蔵のリノベーション宿だった。「またたび」というゲストハウス名でググった場所には「糀屋フジヨ」や「カンデラゲストハウス」と看板を掲げた店しか見当たらない。元は味噌蔵を初代ゲストハウスオーナーが「カンデラゲストハウス」で看板を上げたが、現在のまたたびオーナーに譲渡されたのだろう。あえて現在名で看板を掲げず謎めき感を出した遊び心だろうが、疲れ果ててたどり着く旅人には迷惑な話だ。味噌蔵を改造したドミトリールームからスペイン人のオリオンが出てきた。明日は中山道を歩くという。バルセロナからドーハでトランジットして成田まで遠かったという。
松本城は白鳥が泳ぐお堀に囲まれた美しい黒塗りの城だ。開城前なのに多くの外国人が並んでいた。天守閣自体は名古屋城の半分もないが、北アルプスとお城がお堀の水面に反射して美しい。天守閣内のハシゴ階段はかなり急で段差が広いので年寄りにはきつい。これもあっち系の輩なら松本城のハシゴをバリアフリーのエレベーターにせよというのだろうか?時間が余ったので、善光寺にも寄った。善光寺の胎内巡りは、御本尊様の真下にある開運の錠前に触れてご縁を結ぶ、暗闇の中を手すりをたどって進む「お戒壇めぐり」だが、小学生の遠足で暗闇内が喧し過ぎた。参拝者への迷惑にならないよう教師が注意しないので悲しくなった。直江津から佐渡島に渡る。これまで畳一枚分の空間で寝ていたのに今日は10畳だ。八幡温泉はいいお湯だ。
松本城は白鳥が泳ぐお堀に囲まれた美しい黒塗りの城だ。開城前なのに多くの外国人が並んでいた。天守閣自体は名古屋城の半分もないが、北アルプスとお城がお堀の水面に反射して美しい。天守閣内のハシゴ階段はかなり急で段差が広いので年寄りにはきつい。これもあっち系の輩なら松本城のハシゴをバリアフリーのエレベーターにせよというのだろうか?時間が余ったので、善光寺にも寄った。善光寺の胎内巡りは、御本尊様の真下にある開運の錠前に触れてご縁を結ぶ、暗闇の中を手すりをたどって進む「お戒壇めぐり」だが、小学生の遠足で暗闇内が喧し過ぎた。参拝者への迷惑にならないよう教師が注意しないので悲しくなった。直江津から佐渡島に渡る。これまで畳一枚分の空間で寝ていたのに今日は10畳だ。八幡温泉はいいお湯だ。
トヨタ博物館 ― 2024年10月10日

トヨタ産業記念館とトヨタ博物館をハシゴした。さすが年間売り上げ45兆円営業利益5兆円の巨大企業の博物館だった。産業記念館は豊田式織り機から水素発電自動車ミライまでの製造作業工程が実物で展示されている。質問にはトヨタのお姉さんが何でも答えてくれる。65歳以上はハシゴしても1000円にも満たない入場料でとてもお得だ。ロボット溶接は映像で見ていたが実物ロボットが動くと迫力満点だ。利益を生み出すには如何に人手を加えず、最速で処理するかだ。トヨタは部品製造から販売までを全て一社で賄うシステムを作ったから世界競争に残れる。サプライチェーンを海外まで伸ばすにしても全てを本社がコントロールできるトヨタ生産方式はすごい。ジャストインタイムと人の介在するロボット自動化を真似できる企業はなかなか生まれないだろう。初代から総合的にモノづくりにこだわった豊田DNAは他社には真似できるものではなかろう。
トヨタ博物館はトヨタ車の説明というより、世界の自動車の歴史を実車展示で教えてくれる。毎日朝昼に、無料で説明ツアーをしてくれる。ガイドのトヨタレディーは世界中の車とその仕組みを頭に入れている。立板に水の説明を聞きながら1時間の博物館ガイドを満喫した。驚いたことにヨーロッパでは自動車の初期時代に蓄電池モーター駆動の自動車があったようだ。ただ、蓄電時間がかかりすぎて普及しなかったという。これからは水素電池だという。酸素と水素を化学反応させて発電するというが、水素タンクの強度が半端ないのと、水素ステーションがガススタンドほど普及するかどうかにかかっている。ただ、そこまで言わなくとハイブリット車なら今のインフラを使って十分CO2削減に貢献できる。高速のガススタンドで給油したらリッター198円だった。ハイブリッドカーだから支払い時に狂わずに済んでいるとも言える。
トヨタ博物館はトヨタ車の説明というより、世界の自動車の歴史を実車展示で教えてくれる。毎日朝昼に、無料で説明ツアーをしてくれる。ガイドのトヨタレディーは世界中の車とその仕組みを頭に入れている。立板に水の説明を聞きながら1時間の博物館ガイドを満喫した。驚いたことにヨーロッパでは自動車の初期時代に蓄電池モーター駆動の自動車があったようだ。ただ、蓄電時間がかかりすぎて普及しなかったという。これからは水素電池だという。酸素と水素を化学反応させて発電するというが、水素タンクの強度が半端ないのと、水素ステーションがガススタンドほど普及するかどうかにかかっている。ただ、そこまで言わなくとハイブリット車なら今のインフラを使って十分CO2削減に貢献できる。高速のガススタンドで給油したらリッター198円だった。ハイブリッドカーだから支払い時に狂わずに済んでいるとも言える。
名古屋城 ― 2024年10月09日

名古屋城は空襲で焼失しコンクリートで再建され65年が経過した。天守閣は崩壊の恐れがあるそうで入れない。城の石垣もあちこち崩れて工事中だった。本丸御殿は6年前に再建された。空襲の危機を察知して設計図や写真などの資料を疎開させていたのでほぼ実物通りに再現されているという。徳川家康が清洲城から街ごと引越したのが名古屋城だという。木曽川の水害を避けて名古屋台地に据えたというが、家康の用心深さのDNAが昭和まで引き継がれた姿を垣間見たようだ。二条城は本丸御殿と同規模だと感じたが、400年前なので年季が違う。絢爛豪華とは言え、秀吉の大阪城のような成金感はない。しっとり高貴と言えば良いかもしれない。
この名古屋城を木造で建て替えるのだと河村市長はいう。保守党の政策にも一つだけ浮いたように入っている。河村市長が松の大木に斧を入れている写真も御殿にあった。日本の再現城は木造建築であるべきだというのは意義深い。木造反対派は車椅子でも上がれる天守閣にという。日本古来の天守閣を再現するのかバリアフリーのなんちゃって天守閣を作るのかは議論の余地がない。再現するのならバリアフリーにはできない。400年前の姿への再現の意義を壊してまでエレベーターを設置したいという人たちの気持ちが解せない。車椅子で行けるところを増やそうという意義はわかるが、歴史的な再現物にまでバリアフリーを求めること自身が茶番だと思う。議論の争点はバリアフリーではない、歴史的再現が市民にとって価値があるかどうかが争点だ。同じような茶番争点は山のようにある。夫婦別姓かどうか争点ではなく子供の氏名までは変えずに旧姓使用できるかどうかが争点というのも同じだが、人権という耳障りの良い言葉で人は騙されやすいものだ。
この名古屋城を木造で建て替えるのだと河村市長はいう。保守党の政策にも一つだけ浮いたように入っている。河村市長が松の大木に斧を入れている写真も御殿にあった。日本の再現城は木造建築であるべきだというのは意義深い。木造反対派は車椅子でも上がれる天守閣にという。日本古来の天守閣を再現するのかバリアフリーのなんちゃって天守閣を作るのかは議論の余地がない。再現するのならバリアフリーにはできない。400年前の姿への再現の意義を壊してまでエレベーターを設置したいという人たちの気持ちが解せない。車椅子で行けるところを増やそうという意義はわかるが、歴史的な再現物にまでバリアフリーを求めること自身が茶番だと思う。議論の争点はバリアフリーではない、歴史的再現が市民にとって価値があるかどうかが争点だ。同じような茶番争点は山のようにある。夫婦別姓かどうか争点ではなく子供の氏名までは変えずに旧姓使用できるかどうかが争点というのも同じだが、人権という耳障りの良い言葉で人は騙されやすいものだ。
旅の前日 ― 2024年10月08日

やっと涼しくなったので、旅に出ようと思う。夏前に旅に出ようとしたのだが、すでに暑くて旅の意欲が失せていた。一昨日から断続的に降っている秋雨も、明朝までには一段落するという。今回は佐渡や尾瀬に足を延ばすつもりだ。佐渡金山はこの夏に世界文化遺産に登録され、訪れる人が多いかもしれない。カーフェリーでの往復費用は約4万弱で、出費が痛いが、キャンプをする予定なので仕方がない。ソロキャンプでも、焚火道具を含めたキャンプ道具一式を運ぶには重すぎるからだ。キャンプは夜の焚火のために行くようなもので、時には安宿に泊まるよりも割高になる。コーナンで薪を2箱、2500円で購入した。二晩続けて野営する予定なので、LEDランタンのバッテリーでは心許ないと思い、ガスランタン用のカートリッジも購入したが、帰ってきて確認したら2本も残っていた。
尾瀬には、沼田から戸倉まで車で移動し、そこからバスに乗り換えて鳩待峠へ行き、尾瀬ヶ原に下る予定だ。バス停から尾瀬ヶ原の中央に位置する竜宮小屋までは徒歩3時間ほどかかる。尾瀬ヶ原は標高1400mなので、気温は約10度低く、15度ほどになるのでフリースは必携だ。クマよけスプレーを持っているが、乾電池ほどの大きさしかなく、気休め程度なので、遭遇しないことを祈るばかりだ。山小屋はトコジラミの発生が報告されていたが、すでに2回の消毒作業が行われているので心配はない。その後は太平洋側を回って帰るつもりだが、3時間以上の運転をすると眠気が襲うので、富士・彦根で区切ろうと思っている。最後は奈良の薬師寺周辺を巡ってから帰る予定だ。尾瀬までの宿はすでに予約してあるが、後半の宿は旅をしながら決めるつもりだ。最近はスマホひとつで宿が予約できるので、ぐーたらな自分には本当にありがたい。ただ、まだ準備もせずにこのブログを書いている。旅の準備が面倒くさいのは、いつものことだ。
尾瀬には、沼田から戸倉まで車で移動し、そこからバスに乗り換えて鳩待峠へ行き、尾瀬ヶ原に下る予定だ。バス停から尾瀬ヶ原の中央に位置する竜宮小屋までは徒歩3時間ほどかかる。尾瀬ヶ原は標高1400mなので、気温は約10度低く、15度ほどになるのでフリースは必携だ。クマよけスプレーを持っているが、乾電池ほどの大きさしかなく、気休め程度なので、遭遇しないことを祈るばかりだ。山小屋はトコジラミの発生が報告されていたが、すでに2回の消毒作業が行われているので心配はない。その後は太平洋側を回って帰るつもりだが、3時間以上の運転をすると眠気が襲うので、富士・彦根で区切ろうと思っている。最後は奈良の薬師寺周辺を巡ってから帰る予定だ。尾瀬までの宿はすでに予約してあるが、後半の宿は旅をしながら決めるつもりだ。最近はスマホひとつで宿が予約できるので、ぐーたらな自分には本当にありがたい。ただ、まだ準備もせずにこのブログを書いている。旅の準備が面倒くさいのは、いつものことだ。
岳沢小屋 クマがテント襲撃 ― 2024年07月23日

北アルプス穂高連峰の岳沢小屋で、クマがテントを襲う被害が相次ぎ、テント場の利用を停止している。小屋付近のテント場で21日夜、男性が休んでいたところ、動物の息づかいが聞こえ、突然、テントに覆い被さって襲ってきた。声をあげてテント内から蹴るなどすると動物は去ったという。テント場では7月18日にも、無人のテントでフリーズドライの食品が動物に食べらる被害があった。周辺では他にもクマの目撃がある。「岳沢小屋」と聞き覚えのある名前だったので、マップで調べると30年前穂高を縦走登山したときの帰り道に休憩した場所だった。昔は毎年この時期に地元の親子クラブで小中学生と一緒に北アルプス登山をしていた。「3000mに子供たちを登らせよう」の言い出しっぺが自分だったので、次第に臨時スタッフのようになって小中学生の入れ替わり登山の2週間ほどは小屋やテント場で暮らすようになった。当時北アルプスでクマを見たのは10年登り続けて1度きりだ。岳沢から尾根を一つ越えた横尾谷でクマの親子が沢沿いを下っていくのを見た。5・6年生とその親を連れて横尾小屋から涸沢ヒュッテを目指して林道を歩いていたときだ。北アルプスではライチョウやテンと遭遇したことは何度もあるがクマは初めてだった。距離は100mほどでこちらは30人ほどの集団なので向かってくることはないと思い、刺激しないようにと子供たちを諭して静かにやり過ごしたのを覚えている。
北アルプスでのテント泊は徳沢や雷鳥平など賑やかなところならばクマが出ることはない。岳沢小屋でキャンプする人は上高地に昼以降に到着して岳沢で幕営し、テントを置いて次の日1日かけて前穂・奥穂と巡ってピストンで下りてくる初級者か、ジャンダルムと天狗岩を回って天狗沢を下りて戻ってくる中級者の登山者だろう。初心者は通常涸沢から入っていくので岳沢でテント泊の人は多くはない。それもクマのねらい目だったかもしれない。今回の襲撃は登山者の残飯の味をクマが覚えてしまったのだろう。のんびりテント泊もままならぬ北アルプスになった。
北アルプスでのテント泊は徳沢や雷鳥平など賑やかなところならばクマが出ることはない。岳沢小屋でキャンプする人は上高地に昼以降に到着して岳沢で幕営し、テントを置いて次の日1日かけて前穂・奥穂と巡ってピストンで下りてくる初級者か、ジャンダルムと天狗岩を回って天狗沢を下りて戻ってくる中級者の登山者だろう。初心者は通常涸沢から入っていくので岳沢でテント泊の人は多くはない。それもクマのねらい目だったかもしれない。今回の襲撃は登山者の残飯の味をクマが覚えてしまったのだろう。のんびりテント泊もままならぬ北アルプスになった。
出雲日御碕県道崩落 ― 2024年07月14日

先週の大雨で出雲市大社町の県道「みさきうみねこ街道」が大きく崩落し、出雲日御碕(ひのみさき)灯台がある日御碕地区548人の住民が孤立状態になっている。現場は出雲大社と出雲日御碕灯台を結ぶ海沿いの道路。道路は長さ約50メートルにわたって、ガードレールごと海側に大きく崩落。通りかかったタクシーが巻き込まれかけたが、運転手は無事だったという。この道は昨年の晩秋、山陰旅行で行こうとした道だ。前半は雨が続いた。出雲大社に参拝した後、出雲大社の裏道を入ってモンベルが提携するウサギキャンプ場で一泊した。鷺峠が崩落しているとのことで迂回路を行くが、けもの道のような林道で携帯電波も入らず心細くなりながらキャンプ地にたどり着いたのを覚えている。夕刻は雨が上がったが未明からまた降り出した。キャンプ場の職員に、海岸沿いに快適な2車線道路があると教えてもらう。しばらく行くと広い道路に出た。こんなに広い道があったのかとポンコツカーナビを恨んだ。右折すれば10分ほどで予定していた日御碕灯台だが、雨でドローン撮影もできないとあきらめて、左折して石見銀山を目指し出雲を後にした。
今回の崩落現場はその分岐点から右折して300mほどの場所だ。実際に見たわけではないが、海岸道路は岸壁に張り付いた観光道路風でそんなにやわなつくりには見えなかった。それが崩落したのだからどれほどの豪雨だったかわかる。そして、あの道路を復旧するには短期間では難しいことも想像に難くない。取り残された日御碕地区は、崩落地の奥にある約200メートルある坂道の迂回路を歩き、シャトルバスで物資を補給しているというが、救急や老人介護、ごみ処理などが課題だという。山裾居住の土砂崩落の危険性を昨日書いたが、過疎地居住は道路崩落の危険性がある。日本列島強靭化政策で山中に新しい道路を作るにしても、能登半島地震復旧問題と同じく過疎地への投資をどこまで進めるのかは行政にとって頭の痛い問題だ。
今回の崩落現場はその分岐点から右折して300mほどの場所だ。実際に見たわけではないが、海岸道路は岸壁に張り付いた観光道路風でそんなにやわなつくりには見えなかった。それが崩落したのだからどれほどの豪雨だったかわかる。そして、あの道路を復旧するには短期間では難しいことも想像に難くない。取り残された日御碕地区は、崩落地の奥にある約200メートルある坂道の迂回路を歩き、シャトルバスで物資を補給しているというが、救急や老人介護、ごみ処理などが課題だという。山裾居住の土砂崩落の危険性を昨日書いたが、過疎地居住は道路崩落の危険性がある。日本列島強靭化政策で山中に新しい道路を作るにしても、能登半島地震復旧問題と同じく過疎地への投資をどこまで進めるのかは行政にとって頭の痛い問題だ。
松山城土砂崩れ ― 2024年07月13日

昨日未明、松山市緑町1丁目の松山城城山の北東側斜面が崩れ、周辺の住宅に土砂が流入し、住宅1棟が倒壊し3人が巻き込まれた。現場はマンションや民家が建ち並ぶ地域。3日前の降り始めから12日午前7時までの松山市の降水量は平年の7月1カ月分の降水量(223・5ミリ)に相当する。昨年6月の四国ボッチ旅で松山城にロープウェーで上った。松山についてからは雨にずっと降られていて、松山城に上がるのに二日待った。瀬戸内は雨が少ないという印象があったが、土砂降りで驚いたことを思い出した。今回の土砂崩れ(土石流?)の現場はロープウェーで上がる右手すぐのところだ。お城は防衛のために山の上か水路の中と相場は決まっている。その周囲に城下町が発展していく。城周りにへばりつくように建てられた民家は今でも静かな居住区となる。今回土砂崩れが起きた周辺のエリアは、土砂災害警戒区域や特別警戒区域に指定されていたという。指定されたからと言ってもおいそれと立ち退くわけにもいかない。今回は土石流かもしれぬという識者の見解が正しければ谷沿いに水路と砂防ダムを築くべきだったのかもしれない。
2010年にも城山南西の漱石と子規の根城であった愚陀仏庵が、豪雨の土砂崩れで全壊したことを今日のニュースで知った。近くの坂の上記念館まで行ったが気が付かなかった。当日は雲一つない快晴で、ここが子規と漱石、秋山真之が未来を語り合った場所なのだと(松山城の)坂の上の雲を探したことを思い出す。この国の発展を確信していた子規らもまさか100年後の松山城下でこんな土砂災害が起こるとは思いもしなかったに違いない。
2010年にも城山南西の漱石と子規の根城であった愚陀仏庵が、豪雨の土砂崩れで全壊したことを今日のニュースで知った。近くの坂の上記念館まで行ったが気が付かなかった。当日は雲一つない快晴で、ここが子規と漱石、秋山真之が未来を語り合った場所なのだと(松山城の)坂の上の雲を探したことを思い出す。この国の発展を確信していた子規らもまさか100年後の松山城下でこんな土砂災害が起こるとは思いもしなかったに違いない。